十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―
第30話 まだ終わらない夜
第30話 まだ終わらない夜
今日は。
朝から。
婚礼部の空気が。
少しだけ違った。
理由は。
分かっている。
「今日、一軒目ここでいいですよね?」
「いいよー」
「予約何時?」
「二十時!」
「二次会どうします?」
「もう二次会の話?」
「だって明日休みですよ?」
「明後日も」
「そうなんですよ!」
パソコンを触りながら。
みんな。
明らかに浮かれている。
婚礼部は。
土日祝日が忙しい。
結婚式の予定に合わせて。
休みもバラバラ。
だから。
部署全体で。
二日続けて休みになることなんて。
ほとんどない。
でも。
今回は。
ホテル側のスケジュールの関係で。
珍しく。
明日。
明後日。
婚礼部自体が休みになった。
つまり。
今日。
どれだけ飲んでも。
明日は休み。
「三次会まで行きましょうよ」
「早いって」
「でも明日休みですよ?」
「最悪昼まで寝ればいいし」
「それな」
「主任も行きますよね?」
「え?」
主任が。
パソコンから顔を上げる。
「三次会?」
「はい」
「まだ一軒目にも行ってないんだけど」
「行きますよね?」
「そのとき考える」
「絶対行くやつ」
「知らない」
みんなが笑う。
俺も。
少し笑った。
「一ノ瀬さんは?」
「俺?」
「三次会」
「行くよ」
「即答!」
「明日休みだし」
「さすが」
「一ノ瀬くん」
「はい?」
主任が。
こっちを見る。
「飲みすぎないでよ」
「主任にだけは言われたくないです」
「何で?」
「前回のこと忘れたんですか?」
「……忘れてない」
「今回は自分で歩いて帰ってくださいね」
「今日は大丈夫」
「その言葉信用できないんですよ」
「一ノ瀬くん」
「はい」
「うるさい」
後輩が笑う。
「主任、今日は一ノ瀬さんに運ばれないでくださいね」
「運ばれてないから」
「ほぼ運ばれてたじゃないですか」
「歩いてた」
「一ノ瀬さんに捕まって」
「……歩いてたでしょ?」
なぜか。
俺に確認してくる。
「一応」
「ほら」
「一応って言われてますよ」
「もうこの話終わり」
主任が。
少しだけ顔を赤くして。
パソコンへ視線を戻す。
みんなが笑う。
「……」
俺も。
笑った。
あの日のことは。
婚礼部のみんなが知っている。
打ち上げで。
主任が飲みすぎたこと。
俺が。
家まで送ったこと。
そこまでは。
みんな知っている。
でも。
その途中で。
俺たちが。
同じマンションに住んでいると分かったことは。
誰にも話していない。
主任も。
俺も。
別に。
隠そうと話し合ったわけじゃない。
ただ。
何となく。
言っていない。
だから。
みんなからすれば。
前回は。
俺がわざわざ主任を家まで送り届けたことになっている。
本当は。
俺も。
同じ場所へ帰っただけなのに。
「一ノ瀬くん」
「はい?」
「笑ってないで仕事」
「はい」
「今日終わらなかったら飲み会なしだからね」
「それは困る」
「じゃあ仕事して」
「はい」
今日の飲み会。
正直。
めちゃくちゃ楽しみだった。
婚礼部のみんなと。
こうやって飲みに行くのも。
異動してから。
まだそんなに多くない。
それに。
「一ノ瀬くん」
「はい?」
「これ確認した?」
「しました」
「ほんと?」
「何回聞くんですか」
「念のため」
「大丈夫です」
「ならいいけど」
「主任」
「何?」
「今日仕事終わったら主任じゃないですからね」
「どういう意味?」
「仕事の注意禁止」
「それは一ノ瀬くん次第」
「絶対言うじゃないですか」
主任と。
飲みに行く。
それが。
楽しみだった。
十九時過ぎ。
「終わったー!」
後輩が。
椅子の背もたれに身体を預ける。
「お疲れ」
「主任、終わりました?」
「あと五分」
「一ノ瀬さんは?」
「終わった」
「早っ」
「今日のために頑張ったから」
「飲む気満々じゃないですか」
「明日休みだぞ?」
「最高ですね」
二十時前。
婚礼部全員で。
ホテルを出る。
「主任」
「何?」
「今日どれくらい飲むんですか?」
「知らない」
「怖」
「明日休みだから」
「それが一番怖いんですよ」
「大丈夫だって」
「俺、今日は介抱しませんよ」
「頼んでない」
「ほんとですか?」
「ほんと」
「じゃあ覚えときます」
「何それ」
一軒目。
駅近くの居酒屋。
奥の席。
全員が座る。
メニューを開く。
「とりあえずビール?」
「私サワー」
「ハイボール!」
「主任は?」
「私もビール」
「一ノ瀬さん?」
「ビール」
「じゃあ頼みますね」
飲み物が来る。
全員。
グラスを持つ。
「じゃあ」
後輩の一人が。
立ち上がる。
「珍しく明日も明後日も休みということで」
「そこ?」
「大事ですよ」
「確かに」
「今日は仕事のこと忘れて飲みましょう!」
「おー」
「乾杯!」
「乾杯!」
グラスが。
ぶつかる。
飲む。
「うま」
「仕事終わり最高」
「主任飲んでます?」
「飲んでるよ」
「今日ペース早くないです?」
「まだ一杯目」
「今日は潰れないでくださいよ」
「分かってるって」
「一ノ瀬さん、主任見張っといてください」
「なんで俺」
「前回の実績」
「任せて」
「任せないで」
主任が。
俺を見る。
「今日は自分で帰るから」
「じゃあ今日はちゃんと駅まで歩いてくださいね」
「歩けるって」
「前回もそう言ってました」
「一ノ瀬くん」
「はい」
「今日ちょっとうるさい」
「すみません」
笑う。
みんなも。
笑っている。
料理が来る。
飲む。
食べる。
また飲む。
普段。
仕事中は。
真面目な婚礼部も。
今日は。
完全に違う。
「主任って入社したときから婚礼なんですよね?」
「そうだよ」
「十一年前?」
「そう」
「私まだ中学生です」
「言わなくていい」
「私小学生」
「もっと言わなくていい」
「一ノ瀬さんは?」
「俺?」
「十一年前」
「十三」
「中学生?」
「そう」
「……」
主任が。
ビールを飲む。
「何ですか?」
「いや」
「また年齢?」
「何も言ってないでしょ」
「顔に出てます」
「出てない」
「主任、最近俺の年齢気にしすぎです」
「気にしてない」
「また始まった」
「何が」
「普通と気のせい」
「うるさい」
「何ですかそれ?」
後輩が聞く。
「主任の口癖」
「違う」
「最近すぐ普通って言うんですよ」
「一ノ瀬くんも言ってたでしょ」
「昨日は」
「ほら」
「何の話ですか?」
「何でもない」
「二人だけで分かる話やめてくださいよー」
「……」
その言葉に。
少しだけ。
主任と。
目が合った。
「別に」
主任が言う。
「大した話じゃないよ」
「そうですね」
答える。
でも。
少しだけ。
嬉しかった。
二人だけに。
分かる話。
「主任」
「何?」
「飲むの早くないです?」
「まだ二杯目」
「もう二杯目ですよ」
「明日休み」
「魔法の言葉みたいに使わないでください」
「明後日も休み」
「増えた」
主任が笑う。
仕事中より。
よく笑う。
当たり前か。
仕事じゃない。
前の打ち上げでは。
途中から。
酔った主任をどうやって家まで連れて帰るか。
そればかり考えていた。
こうやって。
普通に酒を飲みながら。
楽しそうにしている主任を見るのは。
意外と。
初めてかもしれない。
「一ノ瀬さん」
「何?」
「主任のこと見すぎじゃないですか?」
「……は?」
隣の後輩が。
小声で言う。
「見てないけど」
「今ずっと見てましたよ」
「見てない」
「ほんとですか?」
「ほんと」
「ふーん」
「何」
「別に」
「その言い方主任に似てきたな」
「一ノ瀬さん」
「何?」
「顔赤いですよ」
「飲んでるから」
「まだ二杯ですよね?」
「暑いんだよ」
「そうですか?」
「暑くない?」
「私は普通」
「……」
また。
普通。
俺は。
ビールを飲む。
「ちょっと暑くない?」
向かいから。
主任の声。
「ほら」
「え?」
「主任も暑いって」
「ほんとだ」
主任が。
手で顔を扇ぐ。
「暑いねー」
少し。
酔っている。
いつもより。
声が柔らかい。
主任が。
椅子から少し身体を起こす。
そして。
羽織っていた上着を脱いだ。
「……」
下は。
仕事中から着ていたシャツ。
別に。
何もおかしくない。
いつも。
上着の下に着ているもの。
ただ。
普段は。
仕事中。
きっちり上着まで着ていることが多い。
それが。
なくなっただけ。
「主任、珍しい」
「何が?」
「上着脱ぐの」
「だって暑い」
「酔ってるんじゃないですか?」
「まだ平気」
主任が。
脱いだ上着を。
椅子の背にかける。
そのまま。
髪に触れる。
「髪も邪魔」
手首にあった。
ヘアゴムを取る。
髪をまとめる。
「……」
何だ。
別に。
普通じゃん。
上着を。
脱いだだけ。
髪を。
まとめただけ。
なのに。
「……」
女の人。
なんだよな。
当たり前。
そんなの。
最初から知ってる。
水野主任は。
女性。
三十四歳。
十歳上。
知ってる。
でも。
仕事のできる主任。
教育係。
上司。
そういうものが。
少しだけ。
薄くなった瞬間。
急に。
一人の女性に見えた。
「……」
やめろ。
俺。
「一ノ瀬くん」
「……はい」
「食べないの?」
「食べてます」
「全然減ってないよ」
「今食べます」
「今日静かじゃない?」
「さっきうるさいって言ったじゃないですか」
「そうだっけ?」
「言いました」
「覚えてない」
「主任」
「何?」
「やっぱり酔ってます?」
「酔ってない」
「絶対嘘」
主任が。
笑う。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「飲んでる?」
「飲んでますよ」
「もっと飲みなよ」
「俺まで酔ったら誰が主任止めるんですか」
「止めなくていい」
「それが怖いんですよ」
「乾杯」
主任が。
グラスを向けてくる。
「……乾杯」
軽く。
合わせる。
飲む。
「一ノ瀬さん」
隣から。
また。
小さな声。
「何?」
「やっぱ顔赤いですよ」
「酒」
「主任も言ってましたよ?」
「だから酒だって」
「まだ三杯目ですよね?」
「暑いんだよ」
「主任と同じですね」
「……」
向かいを見る。
主任も。
少し頬が赤い。
「……そうだな」
たぶん。
違うけど。
俺が。
暑い理由は。
主任とは。
違う。
それからも。
かなり盛り上がった。
仕事の話。
昔の失敗。
婚礼部で起きた事件。
主任の新人時代。
「主任もミスしたことあるんですか?」
「あるよ」
「嘘」
「あるって」
「何したんです?」
「言わない」
「聞きたい!」
「絶対嫌」
「一ノ瀬さん聞いてくださいよ」
「主任」
「何?」
「何したんです?」
「一ノ瀬くんまで?」
「気になるんで」
「言わない」
「俺の失敗はいつもみんなの前で言うのに」
「教育」
「便利ですね、それ」
「便利じゃない」
笑う。
飲む。
気づけば。
主任のグラスも。
何杯目か。
分からなくなっていた。
「主任」
「なに?」
「水飲みましょう」
「大丈夫」
「その大丈夫は前にも聞きました」
「今日はほんと平気」
「じゃあ水も飲めますよね?」
「……」
「はい」
水を渡す。
主任が。
少し不満そうな顔をする。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「お母さんみたい」
「せめてお父さんにしてください」
「どっちでもいい」
「ひど」
「主任、一ノ瀬さんの言うことだけは聞くんですね」
「……は?」
後輩の一言。
主任が。
止まる。
俺も。
止まる。
「だって私たちが水飲んでって言っても絶対飲まないじゃないですか」
「そんなことないよ」
「ありますよ」
「一ノ瀬さんが渡したら飲むじゃないですか」
「……たまたま」
主任が。
水を飲む。
「へえー」
「何」
「何でもないです」
「その顔やめて」
「主任顔赤いですよ」
「飲んでるから」
「一ノ瀬さんと同じこと言ってる」
「……」
また。
目が合う。
今度は。
二人とも。
少しだけ。
笑った。
一軒目が終わったのは。
二十二時過ぎ。
「ごちそうさまでしたー!」
店を出る。
夜風。
「涼しー」
主任が。
両腕を少し広げる。
「主任」
「なに?」
「上着」
俺が持っていた。
「……何で一ノ瀬くん持ってるの?」
「主任忘れてたから」
「あ」
「やっぱ酔ってるじゃないですか」
「忘れただけ」
「それ前回も聞いた気がします」
「返して」
「はい」
上着を渡す。
でも。
主任は。
着ない。
腕にかける。
「次どこ!?」
「カラオケ!」
「予約した?」
「今から!」
「入れるかな?」
「この人数ならいけますって」
「二次会行く人!」
「はい!」
「はい!」
「行く!」
主任も。
手を上げる。
「主任も行くんですか?」
「行くよ」
「大丈夫?」
「明日休み」
「またそれ」
「一ノ瀬くんは?」
「行きますよ」
「じゃあ行こ」
「はい」
みんなで。
歩き出す。
二次会。
カラオケ。
「三次会も行きましょうね!」
「まだ言ってる」
「明日休みですよ!」
「朝までいける!」
「私は三次会はそのとき考える」
主任が笑う。
俺は。
少し後ろを歩きながら。
その姿を見る。
仕事のできる上司。
十歳上の教育係。
それだけだったはずの人。
でも。
今は。
笑っているだけで。
目で追ってしまう。
上着を脱いだだけで。
変に意識する。
髪をまとめただけで。
可愛いと思う。
少し酔っているだけで。
心配になる。
「……」
好きになるって。
こんなに。
面倒なんだな。
「一ノ瀬くーん!」
前から。
主任の声。
「遅い!」
「はいはい」
「置いてくよ」
「今行きます」
少し。
歩く速度を上げる。
主任の隣へ。
「遅い」
「主任が速いんですよ」
「普通」
「出た」
「何?」
「何でもないです」
二次会。
三次会。
今日は。
まだ。
終わらない。
そう思ったら。
正直。
めちゃくちゃ。
楽しみだった。
今日は。
朝から。
婚礼部の空気が。
少しだけ違った。
理由は。
分かっている。
「今日、一軒目ここでいいですよね?」
「いいよー」
「予約何時?」
「二十時!」
「二次会どうします?」
「もう二次会の話?」
「だって明日休みですよ?」
「明後日も」
「そうなんですよ!」
パソコンを触りながら。
みんな。
明らかに浮かれている。
婚礼部は。
土日祝日が忙しい。
結婚式の予定に合わせて。
休みもバラバラ。
だから。
部署全体で。
二日続けて休みになることなんて。
ほとんどない。
でも。
今回は。
ホテル側のスケジュールの関係で。
珍しく。
明日。
明後日。
婚礼部自体が休みになった。
つまり。
今日。
どれだけ飲んでも。
明日は休み。
「三次会まで行きましょうよ」
「早いって」
「でも明日休みですよ?」
「最悪昼まで寝ればいいし」
「それな」
「主任も行きますよね?」
「え?」
主任が。
パソコンから顔を上げる。
「三次会?」
「はい」
「まだ一軒目にも行ってないんだけど」
「行きますよね?」
「そのとき考える」
「絶対行くやつ」
「知らない」
みんなが笑う。
俺も。
少し笑った。
「一ノ瀬さんは?」
「俺?」
「三次会」
「行くよ」
「即答!」
「明日休みだし」
「さすが」
「一ノ瀬くん」
「はい?」
主任が。
こっちを見る。
「飲みすぎないでよ」
「主任にだけは言われたくないです」
「何で?」
「前回のこと忘れたんですか?」
「……忘れてない」
「今回は自分で歩いて帰ってくださいね」
「今日は大丈夫」
「その言葉信用できないんですよ」
「一ノ瀬くん」
「はい」
「うるさい」
後輩が笑う。
「主任、今日は一ノ瀬さんに運ばれないでくださいね」
「運ばれてないから」
「ほぼ運ばれてたじゃないですか」
「歩いてた」
「一ノ瀬さんに捕まって」
「……歩いてたでしょ?」
なぜか。
俺に確認してくる。
「一応」
「ほら」
「一応って言われてますよ」
「もうこの話終わり」
主任が。
少しだけ顔を赤くして。
パソコンへ視線を戻す。
みんなが笑う。
「……」
俺も。
笑った。
あの日のことは。
婚礼部のみんなが知っている。
打ち上げで。
主任が飲みすぎたこと。
俺が。
家まで送ったこと。
そこまでは。
みんな知っている。
でも。
その途中で。
俺たちが。
同じマンションに住んでいると分かったことは。
誰にも話していない。
主任も。
俺も。
別に。
隠そうと話し合ったわけじゃない。
ただ。
何となく。
言っていない。
だから。
みんなからすれば。
前回は。
俺がわざわざ主任を家まで送り届けたことになっている。
本当は。
俺も。
同じ場所へ帰っただけなのに。
「一ノ瀬くん」
「はい?」
「笑ってないで仕事」
「はい」
「今日終わらなかったら飲み会なしだからね」
「それは困る」
「じゃあ仕事して」
「はい」
今日の飲み会。
正直。
めちゃくちゃ楽しみだった。
婚礼部のみんなと。
こうやって飲みに行くのも。
異動してから。
まだそんなに多くない。
それに。
「一ノ瀬くん」
「はい?」
「これ確認した?」
「しました」
「ほんと?」
「何回聞くんですか」
「念のため」
「大丈夫です」
「ならいいけど」
「主任」
「何?」
「今日仕事終わったら主任じゃないですからね」
「どういう意味?」
「仕事の注意禁止」
「それは一ノ瀬くん次第」
「絶対言うじゃないですか」
主任と。
飲みに行く。
それが。
楽しみだった。
十九時過ぎ。
「終わったー!」
後輩が。
椅子の背もたれに身体を預ける。
「お疲れ」
「主任、終わりました?」
「あと五分」
「一ノ瀬さんは?」
「終わった」
「早っ」
「今日のために頑張ったから」
「飲む気満々じゃないですか」
「明日休みだぞ?」
「最高ですね」
二十時前。
婚礼部全員で。
ホテルを出る。
「主任」
「何?」
「今日どれくらい飲むんですか?」
「知らない」
「怖」
「明日休みだから」
「それが一番怖いんですよ」
「大丈夫だって」
「俺、今日は介抱しませんよ」
「頼んでない」
「ほんとですか?」
「ほんと」
「じゃあ覚えときます」
「何それ」
一軒目。
駅近くの居酒屋。
奥の席。
全員が座る。
メニューを開く。
「とりあえずビール?」
「私サワー」
「ハイボール!」
「主任は?」
「私もビール」
「一ノ瀬さん?」
「ビール」
「じゃあ頼みますね」
飲み物が来る。
全員。
グラスを持つ。
「じゃあ」
後輩の一人が。
立ち上がる。
「珍しく明日も明後日も休みということで」
「そこ?」
「大事ですよ」
「確かに」
「今日は仕事のこと忘れて飲みましょう!」
「おー」
「乾杯!」
「乾杯!」
グラスが。
ぶつかる。
飲む。
「うま」
「仕事終わり最高」
「主任飲んでます?」
「飲んでるよ」
「今日ペース早くないです?」
「まだ一杯目」
「今日は潰れないでくださいよ」
「分かってるって」
「一ノ瀬さん、主任見張っといてください」
「なんで俺」
「前回の実績」
「任せて」
「任せないで」
主任が。
俺を見る。
「今日は自分で帰るから」
「じゃあ今日はちゃんと駅まで歩いてくださいね」
「歩けるって」
「前回もそう言ってました」
「一ノ瀬くん」
「はい」
「今日ちょっとうるさい」
「すみません」
笑う。
みんなも。
笑っている。
料理が来る。
飲む。
食べる。
また飲む。
普段。
仕事中は。
真面目な婚礼部も。
今日は。
完全に違う。
「主任って入社したときから婚礼なんですよね?」
「そうだよ」
「十一年前?」
「そう」
「私まだ中学生です」
「言わなくていい」
「私小学生」
「もっと言わなくていい」
「一ノ瀬さんは?」
「俺?」
「十一年前」
「十三」
「中学生?」
「そう」
「……」
主任が。
ビールを飲む。
「何ですか?」
「いや」
「また年齢?」
「何も言ってないでしょ」
「顔に出てます」
「出てない」
「主任、最近俺の年齢気にしすぎです」
「気にしてない」
「また始まった」
「何が」
「普通と気のせい」
「うるさい」
「何ですかそれ?」
後輩が聞く。
「主任の口癖」
「違う」
「最近すぐ普通って言うんですよ」
「一ノ瀬くんも言ってたでしょ」
「昨日は」
「ほら」
「何の話ですか?」
「何でもない」
「二人だけで分かる話やめてくださいよー」
「……」
その言葉に。
少しだけ。
主任と。
目が合った。
「別に」
主任が言う。
「大した話じゃないよ」
「そうですね」
答える。
でも。
少しだけ。
嬉しかった。
二人だけに。
分かる話。
「主任」
「何?」
「飲むの早くないです?」
「まだ二杯目」
「もう二杯目ですよ」
「明日休み」
「魔法の言葉みたいに使わないでください」
「明後日も休み」
「増えた」
主任が笑う。
仕事中より。
よく笑う。
当たり前か。
仕事じゃない。
前の打ち上げでは。
途中から。
酔った主任をどうやって家まで連れて帰るか。
そればかり考えていた。
こうやって。
普通に酒を飲みながら。
楽しそうにしている主任を見るのは。
意外と。
初めてかもしれない。
「一ノ瀬さん」
「何?」
「主任のこと見すぎじゃないですか?」
「……は?」
隣の後輩が。
小声で言う。
「見てないけど」
「今ずっと見てましたよ」
「見てない」
「ほんとですか?」
「ほんと」
「ふーん」
「何」
「別に」
「その言い方主任に似てきたな」
「一ノ瀬さん」
「何?」
「顔赤いですよ」
「飲んでるから」
「まだ二杯ですよね?」
「暑いんだよ」
「そうですか?」
「暑くない?」
「私は普通」
「……」
また。
普通。
俺は。
ビールを飲む。
「ちょっと暑くない?」
向かいから。
主任の声。
「ほら」
「え?」
「主任も暑いって」
「ほんとだ」
主任が。
手で顔を扇ぐ。
「暑いねー」
少し。
酔っている。
いつもより。
声が柔らかい。
主任が。
椅子から少し身体を起こす。
そして。
羽織っていた上着を脱いだ。
「……」
下は。
仕事中から着ていたシャツ。
別に。
何もおかしくない。
いつも。
上着の下に着ているもの。
ただ。
普段は。
仕事中。
きっちり上着まで着ていることが多い。
それが。
なくなっただけ。
「主任、珍しい」
「何が?」
「上着脱ぐの」
「だって暑い」
「酔ってるんじゃないですか?」
「まだ平気」
主任が。
脱いだ上着を。
椅子の背にかける。
そのまま。
髪に触れる。
「髪も邪魔」
手首にあった。
ヘアゴムを取る。
髪をまとめる。
「……」
何だ。
別に。
普通じゃん。
上着を。
脱いだだけ。
髪を。
まとめただけ。
なのに。
「……」
女の人。
なんだよな。
当たり前。
そんなの。
最初から知ってる。
水野主任は。
女性。
三十四歳。
十歳上。
知ってる。
でも。
仕事のできる主任。
教育係。
上司。
そういうものが。
少しだけ。
薄くなった瞬間。
急に。
一人の女性に見えた。
「……」
やめろ。
俺。
「一ノ瀬くん」
「……はい」
「食べないの?」
「食べてます」
「全然減ってないよ」
「今食べます」
「今日静かじゃない?」
「さっきうるさいって言ったじゃないですか」
「そうだっけ?」
「言いました」
「覚えてない」
「主任」
「何?」
「やっぱり酔ってます?」
「酔ってない」
「絶対嘘」
主任が。
笑う。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「飲んでる?」
「飲んでますよ」
「もっと飲みなよ」
「俺まで酔ったら誰が主任止めるんですか」
「止めなくていい」
「それが怖いんですよ」
「乾杯」
主任が。
グラスを向けてくる。
「……乾杯」
軽く。
合わせる。
飲む。
「一ノ瀬さん」
隣から。
また。
小さな声。
「何?」
「やっぱ顔赤いですよ」
「酒」
「主任も言ってましたよ?」
「だから酒だって」
「まだ三杯目ですよね?」
「暑いんだよ」
「主任と同じですね」
「……」
向かいを見る。
主任も。
少し頬が赤い。
「……そうだな」
たぶん。
違うけど。
俺が。
暑い理由は。
主任とは。
違う。
それからも。
かなり盛り上がった。
仕事の話。
昔の失敗。
婚礼部で起きた事件。
主任の新人時代。
「主任もミスしたことあるんですか?」
「あるよ」
「嘘」
「あるって」
「何したんです?」
「言わない」
「聞きたい!」
「絶対嫌」
「一ノ瀬さん聞いてくださいよ」
「主任」
「何?」
「何したんです?」
「一ノ瀬くんまで?」
「気になるんで」
「言わない」
「俺の失敗はいつもみんなの前で言うのに」
「教育」
「便利ですね、それ」
「便利じゃない」
笑う。
飲む。
気づけば。
主任のグラスも。
何杯目か。
分からなくなっていた。
「主任」
「なに?」
「水飲みましょう」
「大丈夫」
「その大丈夫は前にも聞きました」
「今日はほんと平気」
「じゃあ水も飲めますよね?」
「……」
「はい」
水を渡す。
主任が。
少し不満そうな顔をする。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「お母さんみたい」
「せめてお父さんにしてください」
「どっちでもいい」
「ひど」
「主任、一ノ瀬さんの言うことだけは聞くんですね」
「……は?」
後輩の一言。
主任が。
止まる。
俺も。
止まる。
「だって私たちが水飲んでって言っても絶対飲まないじゃないですか」
「そんなことないよ」
「ありますよ」
「一ノ瀬さんが渡したら飲むじゃないですか」
「……たまたま」
主任が。
水を飲む。
「へえー」
「何」
「何でもないです」
「その顔やめて」
「主任顔赤いですよ」
「飲んでるから」
「一ノ瀬さんと同じこと言ってる」
「……」
また。
目が合う。
今度は。
二人とも。
少しだけ。
笑った。
一軒目が終わったのは。
二十二時過ぎ。
「ごちそうさまでしたー!」
店を出る。
夜風。
「涼しー」
主任が。
両腕を少し広げる。
「主任」
「なに?」
「上着」
俺が持っていた。
「……何で一ノ瀬くん持ってるの?」
「主任忘れてたから」
「あ」
「やっぱ酔ってるじゃないですか」
「忘れただけ」
「それ前回も聞いた気がします」
「返して」
「はい」
上着を渡す。
でも。
主任は。
着ない。
腕にかける。
「次どこ!?」
「カラオケ!」
「予約した?」
「今から!」
「入れるかな?」
「この人数ならいけますって」
「二次会行く人!」
「はい!」
「はい!」
「行く!」
主任も。
手を上げる。
「主任も行くんですか?」
「行くよ」
「大丈夫?」
「明日休み」
「またそれ」
「一ノ瀬くんは?」
「行きますよ」
「じゃあ行こ」
「はい」
みんなで。
歩き出す。
二次会。
カラオケ。
「三次会も行きましょうね!」
「まだ言ってる」
「明日休みですよ!」
「朝までいける!」
「私は三次会はそのとき考える」
主任が笑う。
俺は。
少し後ろを歩きながら。
その姿を見る。
仕事のできる上司。
十歳上の教育係。
それだけだったはずの人。
でも。
今は。
笑っているだけで。
目で追ってしまう。
上着を脱いだだけで。
変に意識する。
髪をまとめただけで。
可愛いと思う。
少し酔っているだけで。
心配になる。
「……」
好きになるって。
こんなに。
面倒なんだな。
「一ノ瀬くーん!」
前から。
主任の声。
「遅い!」
「はいはい」
「置いてくよ」
「今行きます」
少し。
歩く速度を上げる。
主任の隣へ。
「遅い」
「主任が速いんですよ」
「普通」
「出た」
「何?」
「何でもないです」
二次会。
三次会。
今日は。
まだ。
終わらない。
そう思ったら。
正直。
めちゃくちゃ。
楽しみだった。