十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―

第32話 帰れない

第32話 帰れない
三次会の店に入ったのは。
日付が変わって。
一時前だった。
残ったのは。
五人。
主任。
俺。
後輩三人。
「かんぱーい!」
「乾杯!」
何回目か。
もう分からない乾杯。
グラスを合わせる。
「一ノ瀬さん、まだ飲めます?」
「まあ」
「強いですね」
「そっちもな」
「明日休みですから!」
「今日な」
「あ」
「もう日付変わってる」
「じゃあ今日休み!」
「そういうこと」
笑う。
主任も。
隣で笑っている。
「主任」
「なに?」
「まだ飲むんですか?」
「飲む」
「即答」
「一ノ瀬くんは?」
「飲みますけど」
「じゃあ一緒」
「何がですか」
「飲む人」
「そりゃみんな飲みますよ」
「じゃあみんな一緒」
「……結構酔ってます?」
「酔ってない」
「はいはい」
「ほんとだって」
主任が。
グラスを持つ。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「乾杯」
「また?」
「乾杯」
「……乾杯」
グラスを合わせる。
飲む。
主任は。
楽しそうだった。
仕事中とは。
全然違う。
よく笑って。
よく喋って。
後輩にいじられて。
たまに。
俺にも絡んでくる。
「一ノ瀬さん」
後輩が。
俺を見る。
「婚礼部来てどうです?」
「急だな」
「だってちゃんと聞いたことない」
「どうって?」
「楽しいですか?」
「楽しいよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「営業戻りたいとかないです?」
「今はないかな」
「おお」
「主任」
「ん?」
後輩が。
今度は主任を見る。
「一ノ瀬さん婚礼部楽しいって」
「聞こえてる」
「よかったですね」
「何が?」
「主任、教育係じゃないですか」
「まあね」
主任が。
俺を見る。
「どう?」
「何がです?」
「私の教育」
「……」
「何その間」
「正直に言っていいですか?」
「いいよ」
「怖いです」
「一ノ瀬くん」
みんなが笑う。
「やっぱり!」
「主任怖いですよね!」
「怖くないでしょ」
「怖いです」
「一ノ瀬くん?」
「でも」
主任が。
俺を見る。
「……何?」
「ちゃんと教えてくれるんで」
「……」
「分からないところ聞いたら何回でも教えてくれるし」
「……」
「俺がミスしそうなところも先に気づいてくれるし」
「一ノ瀬さん」
後輩が笑う。
「急に褒めるじゃないですか」
「聞かれたから」
「主任、照れてます?」
「照れてない」
「顔赤いですよ」
「飲んでるから」
「それ今日何回目?」
俺が言う。
主任が。
こっちを見る。
「一ノ瀬くんも言ってたでしょ」
「俺は本当に酒です」
「私も」
「はいはい」
「信じてない」
「信じてますよ」
「絶対嘘」
笑う。
飲む。
また。
話す。
婚礼部の話。
過去の結婚式。
変わった新郎新婦。
後輩の恋愛。
俺の営業時代。
主任の新人時代。
話題なんて。
いくらでも出てきた。
二時前。
「……」
ふと。
隣を見る。
主任が。
静かになっていた。
さっきまで。
あんなに喋っていたのに。
頬杖をついて。
ぼーっと。
テーブルを見ている。
「主任」
「……ん?」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
返事。
遅。
「眠い?」
「ちょっと」
「水飲みます?」
「いらない」
「飲みましょう」
「大丈夫」
「……」
来た。
知ってる。
この人。
ここからが。
早い。
「主任」
「なに」
「これ飲んで」
水を渡す。
「いらないって」
「いいから」
「一ノ瀬くん」
「はい」
「しつこい」
「知ってます」
「……」
「はい」
「……分かった」
主任が。
水を飲む。
「一ノ瀬さん」
後輩が笑う。
「もう扱い慣れてますね」
「前回で学んだから」
「扱いって何」
主任が。
ぼそっと言う。
「聞こえてた」
「聞こえてますね」
「酔ってないから」
「じゃあまっすぐ歩けます?」
「歩ける」
「ほんと?」
「歩けるって」
「それは店出てから確認します」
「何それ」
まだ。
会話はできる。
でも。
目が。
もう眠そう。
「そろそろ出ます?」
「ですね」
「さすがに眠い」
「私も」
「主任?」
「……帰る」
「帰れます?」
「帰れる」
「一ノ瀬さん」
「何?」
後輩三人が。
俺を見る。
嫌な予感。
「主任お願いします」
「また俺?」
「だって前回も」
「今回はみんなで何とかしろよ」
「方向違うんですよ」
「私こっち」
「私も反対」
「私タクシーです」
「……」
主任を見る。
「大丈夫」
「絶対大丈夫じゃない」
「一人で帰れる」
「じゃあ立ってください」
「うん」
主任が。
立つ。
「……」
少し。
揺れる。
「主任」
「大丈夫」
「まだ何も言ってないです」
「大丈夫だから」
「それ言ってる時点で大丈夫じゃないんですよ」
会計を済ませる。
店を出る。
「じゃあ主任お願いします!」
「お願いします!」
「お疲れさまでしたー!」
「お疲れ」
「主任また休み明け!」
「んー」
後輩たちが。
それぞれ帰っていく。
残ったのは。
俺と。
主任。
「……」
まあ。
いいか。
どのみち。
帰る場所は。
同じなんだから。
もちろん。
みんなには。
言ってないけど。
「主任」
「なに?」
「行きますよ」
「うん」
時間も遅い。
タクシーを拾う。
後部座席。
主任を先に乗せる。
俺も乗る。
「どちらまで?」
住所を伝える。
車が走り出す。
「……」
主任は。
窓側。
外を見ている。
「主任」
「ん?」
「寝ないでくださいね」
「寝ない」
「ほんと?」
「うん」
三分後。
「……」
目。
閉じてる。
「主任」
「起きてる」
「嘘つけ」
「起きてるって」
「今寝てたでしょ」
「寝てない」
「はいはい」
主任が。
少しだけ。
俺の方へ傾く。
肩に。
頭が乗る。
「……」
マジか。
「主任」
「んー?」
「そっち窓ですよ」
「……」
動かない。
「……」
寝てる。
いや。
たぶん。
半分。
寝てる。
「……」
肩。
動かせないじゃん。
タクシーが。
曲がる。
そのたび。
主任の身体が。
少しだけ。
こっちへ寄る。
いい匂い。
また。
これ。
「……」
今日は。
何回。
これに耐えればいいんだ。
外を見る。
考えるな。
何も。
考えるな。
ただ。
送るだけ。
マンションに着く。
「着きましたよ」
「……ん」
「主任」
「起きて」
「起きてる」
「それ寝てる人が言うやつ」
支払いを済ませる。
タクシーを降りる。
主任も。
降りる。
「歩けます?」
「歩けるって」
「じゃあどうぞ」
主任が。
歩く。
一歩。
二歩。
三歩。
「……」
右。
左。
右。
「主任」
「なに?」
「全然まっすぐ歩けてないです」
「歩けてる」
「どこが」
また。
ふらつく。
咄嗟に。
腕を掴む。
「危な」
「……」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「もうその言葉禁止にしますよ」
「何で」
「信用できないから」
「ひど」
「ほら」
腕を支える。
「ゆっくり行きますよ」
「うん」
マンションの。
エントランスへ向かう。
「……」
途中。
主任が。
また。
ふらついた。
「危ないって」
「歩ける」
「だから歩けてないです」
「じゃあ」
「え?」
主任が。
俺の腕に。
自分の腕を絡めた。
「……」
「これなら歩ける」
「……主任?」
「なに?」
「いや」
近い。
身体が。
ほとんど。
くっついている。
「行こ」
「……はい」
歩く。
「……」
まずい。
主任の腕が。
俺の腕に。
しっかり絡んでいる。
それだけなら。
まだ。
いい。
問題は。
その。
「……」
近すぎる。
主任が。
身体を預けるように。
俺の腕へ寄っている。
歩くたび。
柔らかい感触が。
腕に触れる。
「……」
無理。
意識するなって方が。
無理だろ。
主任は。
酔ってる。
俺は。
送ってるだけ。
だから。
絶対。
変なこと考えるな。
「一ノ瀬くん」
「……はい」
「歩くの速い」
「すみません」
少し。
速度を落とす。
主任が。
さらに。
こっちへ寄る。
「……」
また。
当たる。
「……」
頼む。
早く。
エントランス着いてくれ。
自動ドア。
開く。
中へ入る。
「主任」
「んー?」
「もうちょっとだけ頑張ってください」
「頑張ってる」
「全体重預けてません?」
「そんなことない」
「重いです」
「……」
主任が。
止まる。
「今」
「はい?」
「重いって言った?」
「……」
まずい。
「体重の話じゃないです」
「ほんと?」
「酔ってる人支えるのが大変って意味です」
「……ほんと?」
「ほんとです」
「ならいい」
また。
歩く。
「……危な」
酔ってても。
そこは気にするんだ。
エレベーターホール。
ボタンを押す。
「……」
来ない。
頼む。
早く。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「あったかい」
「……」
主任が。
俺の腕に。
もう少し。
身体を寄せる。
「……主任」
「なに?」
「何でもないです」
やめて。
本当に。
今。
それは。
やめてください。
「眠い」
「寝ないでください」
「立ってるから寝ない」
「主任なら寝そうで怖いです」
「寝ないよ」
「ほんと?」
「たぶん」
「たぶんになった」
音が鳴る。
扉が開く。
「ほら、乗りますよ」
「うん」
二人で乗る。
十二階。
ボタンを押す。
「……」
主任が。
パネルを見る。
「八階」
「え?」
「押さないの?」
「……」
俺は。
主任を見る。
「主任送ってから戻ります」
「……そっか」
「はい」
「一ノ瀬くん八階だもんね」
「……」
覚えてる。
酔ってるのに。
ちゃんと。
俺が八階なのは。
覚えてる。
「そうですよ」
「私は十二」
「知ってます」
「四つ上」
「階の話ですよね?」
「うん」
「びっくりした」
「何が?」
「何でもないです」
十二階。
扉が開く。
「主任」
「着きましたよ」
「ん」
廊下を。
ゆっくり歩く。
まだ。
腕は。
組んだまま。
「……」
もう。
慣れろ。
俺。
無理だけど。
部屋の前。
「鍵あります?」
「ある」
「出してください」
「ん」
主任が。
鞄を探る。
「……」
「あります?」
「ある」
「どこに?」
「鞄」
「それは見れば分かります」
「……ない」
「え」
「……あった」
「あるじゃないですか」
鍵を出す。
鍵穴。
一回。
外す。
「貸してください」
「できる」
「できてないです」
「できるって」
二回目。
また。
外す。
「主任」
「なに?」
「貸して」
「……はい」
鍵を受け取る。
開ける。
「ほら」
「ありがと」
「入ってください」
主任が。
玄関へ入る。
「靴脱げます?」
「脱げる」
「ほんと?」
「子どもじゃない」
「はいはい」
俺は。
外。
主任は。
中。
「じゃあ」
「ん?」
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
「ちゃんと水飲んでくださいね」
「うん」
「そのまま玄関で寝ないでください」
「寝ない」
「ベッドまで行ってくださいよ」
「分かった」
「じゃあ」
扉を。
閉める。
「……」
終わった。
無事。
送り届けた。
「疲れた……」
廊下を。
歩き出す。
一歩。
二歩。
ガタンッ。
「……」
止まる。
振り返る。
「……」
今の。
何。
「……主任?」
返事は。
当然。
聞こえない。
「……」
いや。
今の。
絶対。
人が倒れた音だろ。
戻る。
インターホンを押す。
「……」
反応なし。
もう一度。
「主任?」
反応なし。
「マジかよ……」
ドアに。
手をかける。
「……」
開いた。
ちゃんと。
閉まり切っていなかったらしい。
少しだけ。
扉を開ける。
「主任?」
中を見る。
「……」
いた。
玄関。
床。
主任が。
座り込むように。
転んでいる。
「何してるんですか!?」
慌てて。
中へ入る。
「主任!」
「……」
「大丈夫ですか?」
「……転んだ」
「見れば分かります」
「靴が……」
見る。
片方。
まだ履いてる。
「靴に負けないでくださいよ」
「負けてない」
「負けてます」
「……」
「どこか打ちました?」
「たぶん大丈夫」
「痛いところは?」
「ない」
「ほんと?」
「うん」
「……」
この人。
ここに置いて。
帰れるか?
無理だろ。
「主任」
「なに?」
「ソファまで行きますよ」
「大丈夫」
「玄関で転んだ人が言わないでください」
「歩ける」
「信用ないです」
靴を。
脱がせる。
「立てます?」
「たぶん」
「そのたぶんが一番怖い」
腕を取る。
ゆっくり。
立たせる。
「……」
ふら。
「ほら」
「ちょっとだけ」
「何が」
「ふらってしただけ」
「それを歩けないって言うんです」
また。
腕を組まれる。
「……」
近い。
また。
さっきと。
同じ。
いや。
今は。
それどころじゃない。
今は。
本当に。
それどころじゃない。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「こっち」
「ソファ?」
「うん」
歩く。
主任の身体が。
俺に。
寄る。
「……」
当たってる。
いや。
考えるな。
今は。
転ばせないことだけ。
考えろ。
「ゆっくり」
「うん」
「段差あります?」
「ない」
「よかった」
リビング。
ソファ。
「ほら」
座らせる。
「着きました」
「ん」
「待っててください」
「どこ行くの」
「水」
キッチンを見る。
「コップ借りますね」
「うん」
水を入れる。
戻る。
「はい」
「いらない」
「飲んでください」
「眠い」
「飲んでから寝て」
「……」
「主任」
「一口でいいから」
「……主任みたい」
「主任はあなたです」
「ふふ」
何がおかしいんだ。
主任が。
水を飲む。
「もう少し」
「いらない」
「あと一口」
「一ノ瀬くん」
「はい」
「しつこい」
「知ってます」
「……」
もう一口。
「はい。よし」
コップを。
テーブルへ置く。
「じゃあ」
立ち上がる。
「今度こそ帰りますから」
「……」
「主任?」
「……」
動けない。
右手。
何か。
引っかかっている。
見る。
「……」
主任が。
俺の手を。
握っていた。
「主任」
「……」
「手」
「……」
「離してください」
返事なし。
目も。
ほとんど閉じている。
そっと。
手を抜こうとする。
ぎゅ。
「……」
逆に。
握られた。
「何で」
こういうときだけ。
力強いんだよ。
「主任?」
「……」
「俺、帰りますよ」
「……」
「主任」
「……いかないで」
「……」
止まる。
「……主任?」
返事は。
ない。
目を閉じたまま。
俺の手だけ。
握っている。
「……」
それ。
酔ってるときに。
言うの。
反則でしょ。
分かってる。
たぶん。
深い意味なんてない。
酔ってる。
眠い。
一人にされたくない。
それだけ。
それでも。
好きな人に。
そんなこと言われたら。
「……帰れないじゃん」
小さく。
言う。
もちろん。
返事はない。
「……」
仕方ない。
ソファの横。
床へ座る。
主任は。
ソファ。
俺は。
床。
手だけ。
繋がったまま。
「寝たら帰りますからね」
「……ん」
「聞いてます?」
「……」
もう。
寝てる。
「……」
時計を見る。
三時前。
俺も。
かなり飲んだ。
一軒目。
二次会。
三次会。
眠い。
普通に。
眠い。
「……主任」
返事なし。
手を見る。
まだ。
握られてる。
もう一度。
そっと。
外そうとする。
ぎゅ。
「……」
無理。
「俺も眠いんですけど」
返事なし。
「八階なんですよ」
返事なし。
「たった四階」
返事なし。
「エレベーター乗って」
返事なし。
「自分の部屋で寝たいんですけど」
返事なし。
「……」
ソファに。
背中を預ける。
少しだけ。
目を閉じる。
少し。
休んだら。
帰ろう。
主任が。
手を離したら。
帰る。
それまで。
少しだけ。
「……」
今日。
楽しかった。
一軒目。
二次会。
三次会。
主任と。
いっぱい話した。
歌った。
笑った。
腕を組まれて。
死ぬかと思った。
好きな人に。
あんな距離でくっつかれて。
何も意識するなって。
無理だろ。
「……」
眠い。
主任の手。
まだ。
あったかい。
「……」
少しだけ。
本当に。
少しだけ。
目を閉じるだけ。
主任が。
手を離したら。
帰ろう。
そう。
思っていた。
でも。
気づけば。
俺も。
そこで。
力尽きていた。
< 32 / 35 >

この作品をシェア

pagetop