十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―

第4話 同じチーム

第4話 同じチーム
「難しいな」
神崎家との打ち合わせを翌日に控え、私は資料を見ながら呟いた。
紗季さんが望んでいた、家族と親しい友人だけの小さな挙式。
そして神崎家が望む、三百五十人規模の披露宴。
一ノ瀬くんの案なら、両立できる。
問題は。
「神崎家が認めるか、ですよね」
向かいに座る一ノ瀬くんが言った。
「そう。特にお父様」
「そこは俺が話します」
「大丈夫?」
「水野主任」
「なに?」
「俺、営業ですよ?」
「知ってる」
「信用ないなぁ」
「神崎グループの会長相手だから心配してるの」
「それは俺も怖いですよ」
「怖いんだ」
「当たり前じゃないですか」
意外だった。
これまでの一ノ瀬くんは、何をするにも余裕があるように見えていた。
「じゃあ、なんでそんな平気そうなの?」
「営業なんで。顔に出さないだけです」
「便利な言葉ね、それ」
「気に入ってるんで」
笑いながら資料を閉じる。
翌日。
神崎家との打ち合わせが始まった。
予想通り、話は簡単には進まなかった。
「挙式を四十人だけで?」
神崎隆臣さんの父親、神崎隆一郎さんの声が低くなる。
「はい。その後の披露宴は予定通り、三百五十名規模で行います」
一ノ瀬くんが答える。
「なぜわざわざ分ける必要がある?」
「挙式と披露宴、それぞれの役割を明確にするためです」
「私は取引先の皆さんにも、息子の門出を見届けてもらいたいと思っている」
「もちろん、そのお気持ちは理解しております」
一ノ瀬くんは表情を崩さない。
「披露宴では、神崎家として皆様をお迎えする場をこれまで以上に充実させます。お料理、演出、VIP対応についても営業部と宴会部で再検討しています」
「なら挙式も同じでいいだろう」
「挙式については、ご家族と親しい方々を中心にすることで、お二人の節目そのものを大切にできると考えています」
隆一郎さんが眉を寄せた。
「これは紗季さんの希望か?」
空気が変わった。
私は口を開こうとした。
でも、それより先に。
「いえ」
一ノ瀬くんが答えた。
「ホテル側からのご提案です」
迷いがなかった。
「水野主任を中心に婚礼部門と検討し、営業部としても最善だと判断しました」
紗季さんの名前を出さなかった。
彼女を矢面に立たせないためだ。
「お父様」
私は隆一郎さんを見る。
「一つ、プランナーとしてお話ししてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「三百五十名の皆様をお迎えする披露宴と、ご家族の前でお二人が夫婦になる挙式。どちらかを小さくするのではなく、役割を分けることで、どちらも大切にできると私は考えています」
隆一郎さんは黙って聞いている。
「披露宴では神崎家として、最高のおもてなしをする。その部分は私たちも一切妥協いたしません」
私は隣の一ノ瀬くんを見た。
一ノ瀬くんも小さく頷く。
「そのうえで挙式だけは、お二人が大切な方々の顔を一人ずつ見られる時間にさせていただけませんか」
長い沈黙だった。
やがて隆一郎さんが息を吐いた。
「……披露宴については、こちらの要望をすべて聞いてもらえるんだな?」
「可能な限り」
一ノ瀬くんが答える。
「ただし、できないことはできないと申し上げます。その代わり、必ず代案をご用意します」
「言うな、若いのに」
「ありがとうございます」
「褒めてはいない」
「失礼しました」
隆臣さんが堪えきれず笑った。
それにつられるように紗季さんも笑う。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
「分かった」
隆一郎さんが資料を閉じる。
「任せよう」
「ありがとうございます」
私と一ノ瀬くんの声が重なった。
打ち合わせが終わり、神崎家を見送る。
エレベーターの扉が閉まった瞬間。
「……怖かったぁ」
隣から聞こえてきた。
「え?」
一ノ瀬くんが壁に背中を預ける。
「途中で担当外されるかと思いました」
「めちゃくちゃ普通に喋ってたじゃん」
「だから、顔に出さないだけですって」
「余裕なのかと思ってた」
「二年目に何求めてるんですか」
思わず笑ってしまった。
「でも、さっき助かった」
「何がです?」
「紗季さんの名前出さなかったでしょ」
「ああ」
「ありがとう」
「俺が名前出したら、水野主任に怒られると思ったんで」
「私そんな怖い?」
「割と」
「一ノ瀬くん?」
「冗談です」
笑いながら歩き出す。
少し前まで、この人と組んで大丈夫なのかと思っていた。
今は違う。
少なくとも。
同じ方向を向いて仕事ができる人だとは思っている。
それから一ノ瀬くんが婚礼部門に顔を出すことが増えた。
「水野主任、今ちょっといいですか?」
「なに?」
「この席次なんですけど」
「メールでよくない?」
「直接聞いた方が早いんで」
「営業部、暇なの?」
「失礼な。ちゃんと働いてます」
資料を机に広げる。
「俺は神崎さんの会社関係者をこっちにまとめた方がいいと思ったんですけど、婚礼的にはどうです?」
「悪くない。でもこの席、新郎のお母様から見える位置でしょ?」
「はい」
「だったら親族との関係も考えた方がいい。この人をこっち」
「ああ……なるほど」
一ノ瀬くんがすぐにメモを取る。
「あと、ここは?」
「それは宴会部にも確認して」
「了解です。助かります」
五分ほどすると本当に帰っていく。
質問は多い。
でも、一度教えたことを何度も聞いてくることはなかった。
忙しくて来られない日は、メールが届く。
ある日の午後。
パソコンの右下に新着メールの通知が出た。
差出人:一ノ瀬 悠 <y.ichinose@granciel-tokyo.co.jp>
宛先:水野 千尋 <c.mizuno@granciel-tokyo.co.jp>
件名:【神崎様婚礼】披露宴入場導線について確認
水野主任
お疲れさまです。営業部の一ノ瀬です。
神崎様の披露宴入場について一点確認です。
現在、メイン扉からの入場で進めていますが、報道関係者の撮影位置を考えると、東側扉からの入場に変更した方が動線を確保しやすいと考えています。
営業側では問題ありません。
婚礼側から見て懸念点があれば教えていただけますでしょうか。
本日外出中のため、メールで失礼します。
よろしくお願いいたします。
――――――――――
ホテル・グランシエル東京
営業部
一ノ瀬 悠
内線:314
――――――――――
ちゃんとしたメールを書くんだ。
そんな失礼なことを思いながら、私は返信する。
件名:Re:【神崎様婚礼】披露宴入場導線について確認
一ノ瀬さん
お疲れさまです。
東側扉からの入場でも問題ありません。
ただし、新婦のドレスがボリュームのあるタイプなので、扉前の待機スペースを広めに確保してください。
また、入場直前に親族が通る動線と重なります。
宴会部にも共有をお願いします。
よろしくお願いいたします。
水野
数分後。
返信が来た。
件名:Re:【神崎様婚礼】披露宴入場導線について確認
水野主任
お疲れさまです。
承知しました。
ドレスまで考える必要があるんですね。
宴会部にはこちらから共有しておきます。
助かります。ありがとうございます。
一ノ瀬
私は小さく笑った。
「また一ノ瀬さんですか?」
隣の席の後輩が画面を覗こうとする。
「見ないの」
「最近よく来ますよね。一ノ瀬さん」
「案件一緒だから」
「仲良くなりました?」
「別に。仕事相手」
即答した。
でも。
「……まあ、最初に思ってたよりは頼りになるかな」
「へえ」
「なに、その顔」
「別に?」
後輩はニヤニヤしながら自分の席へ戻っていった。
数日後。
週末の婚礼が重なり、私は朝から走り回っていた。
新郎の衣装に問題。
披露宴の開始時間変更。
別会場では席札の確認。
気づけば昼食すら取っていない。
夕方、ようやく事務所へ戻った。
椅子に座り、パソコンを開く。
未読メール、十七件。
「……最悪」
上から確認していく。
その中に一ノ瀬くんの名前があった。
また質問かな。
そう思って開いた。
差出人:一ノ瀬 悠 <y.ichinose@granciel-tokyo.co.jp>
宛先:水野 千尋 <c.mizuno@granciel-tokyo.co.jp>
件名:【神崎様婚礼】本日の確認事項について
水野主任
お疲れさまです。
今日かなりお忙しそうでしたので、神崎様の件はこちらで進められる部分を対応しておきました。
・神崎グループ側 招待客追加分の確認済み
・宴会部 VIP待機室の変更共有済み
・警備担当 当日の入館予定時刻を共有済み
婚礼側では、追加招待客12名分の席次のみご確認をお願いします。
急ぎではありませんので、落ち着いてからで大丈夫です。
よろしくお願いいたします。
一ノ瀬
「…………」
質問じゃなかった。
いつもなら何かしら聞きに来るのに。
今日は一度も来なかった。
私が忙しいのを見ていたから。
翌日。
廊下で一ノ瀬くんを見つけた。
「一ノ瀬くん」
「あ、水野主任。お疲れさまです」
「昨日ありがと」
「昨日?」
「神崎さんの件」
「ああ」
「かなり助かった」
「主任、昨日死にそうだったんで」
「死にそうって」
「俺でもできること聞きに行ったら邪魔でしょ」
何でもないことのように言う。
「だから、できるところだけやっときました」
「……そっか」
「席次だけお願いします」
「うん」
一ノ瀬くんが営業部へ戻っていく。
その背中を見送りながら、ふと思った。
質問が多くて。
少し生意気で。
まだ婚礼のことなんてほとんど知らない。
だけど。
ちゃんと周りを見ている。
そして、一度教えれば次には自分で動く。
――頼りになる。
今度は「二年目にしては」なんて言葉は、頭に浮かばなかった。
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