十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―
第5話 仕事じゃない時間
第5話 仕事じゃない時間
「終わった……」
打ち合わせ先のビルを出た瞬間、私は小さく息を吐いた。
神崎さんたちの披露宴で使用する装花について、提携先のフラワーショップとの打ち合わせ。
予定では一時間半だったはずなのに、気づけば二時間を超えていた。
隣では一ノ瀬くんがスマートフォンで時間を確認している。
「十三時十八分」
「結構かかったね」
「ですね」
「ホテル戻ろうか。十四時半から次の打ち合わせあるし」
歩き出そうとすると、一ノ瀬くんがついてこない。
振り返る。
「一ノ瀬くん?」
「水野主任」
「なに?」
「このあと予定、十四時半からですよね?」
「そうだけど」
「じゃあ飯食えますね」
「……ご飯?」
「はい」
一ノ瀬くんが当然のように言う。
「俺、朝から何も食ってないんですよ」
「朝ご飯食べなよ」
「寝坊しました」
「知らないよ」
「水野主任も昼食ってないでしょ?」
言われて時計を見る。
確かに食べていない。
ホテルに戻ってから適当に済ませようと思っていた。
「私は戻ってからでいいよ」
「またコーヒーだけとかじゃないですよね?」
「なんで知ってるの」
「最近よく婚礼部行くんで。主任、だいたいコーヒー持ってるじゃないですか」
「ちゃんと食べてるよ」
「じゃあ今食いましょう」
「……なんで一緒に食べる前提なの?」
「俺、一人で食うより二人の方がいいんで」
あまりにも普通に言う。
深い意味なんて一つもないのだろう。
「それに、この辺で美味そうな店見つけたんですよ」
「調べてたの?」
「さっき打ち合わせ中に」
「仕事して」
「休憩中です」
本当だろうか。
結局、一ノ瀬くんに連れられて入ったのは、ビルから五分ほど歩いたところにある小さな洋食屋だった。
ランチの時間を少し過ぎていたからか、店内はそれほど混んでいない。
「俺これにします」
席に着いて一分も経たないうちに、一ノ瀬くんがメニューを閉じた。
「早くない?」
「もう決めてました」
「何にしたの?」
「ハンバーグ。チーズ乗ってるやつ。あとライス大盛り」
「重っ」
「朝から何も食ってないんで」
「それにしても大盛り?」
「二十四歳なんで」
都合のいいときだけ年齢を使う。
私はパスタとコーヒーを注文した。
料理を待っている間、一ノ瀬くんはさっきの打ち合わせ資料を開いた。
「水野主任、一個聞いていいですか?」
「ご飯のときくらい仕事やめない?」
「まだ来てないじゃないですか」
「そういう問題?」
「さっき装花の担当者が、高砂の花を少し低くするって言ってたじゃないですか」
「うん」
「あれって写真のためです?」
少し驚いた。
ちゃんと聞いていたらしい。
「それもある。今回ゲスト多いでしょ?」
「はい」
「高砂の装花が高すぎると、角度によっては新郎新婦の顔が見えにくくなるの。写真だけじゃなくて、ゲストからも」
「ああ、なるほど」
「あと二人が立ったり座ったりするとき、ドレスに引っかからないようにする意味もある」
「そこまで考えるんですね」
「婚礼は細かいことの積み重ねだから」
「なるほど。助かります」
一ノ瀬くんがスマートフォンに何かをメモする。
「それ、全部メモしてるの?」
「忘れたらまた聞くことになるじゃないですか」
「別に聞けばいいよ」
「同じこと二回聞くの嫌なんですよ、俺」
やっぱりこの子は、こういうところがしっかりしている。
「お待たせしました」
料理が運ばれてきた。
私のパスタ。
そして一ノ瀬くんの前には、大きな鉄板に乗ったハンバーグが置かれる。
熱い鉄板の上でソースが音を立てた。
「うわ」
一ノ瀬くんの顔が変わった。
「めっちゃ美味そう」
さっきまで仕事の話をしていた人と同じとは思えない。
ナイフを入れる。
チーズと肉汁が流れ出す。
「いただきます」
一口。
「……うまっ」
「そんなに?」
「これ、めちゃくちゃ美味いですよ」
もう一口。
そのまま大盛りのご飯を頬張る。
「水野主任、一口食べます?」
「いらない」
「なんでですか」
「自分のあるから」
「じゃあ次来たとき食ってください。これ当たりです」
「また来る前提なんだ」
「近いですし」
本当に美味しそうに食べる。
見ているこっちまで気持ちよくなるくらい。
仕事中の一ノ瀬悠は落ち着いている。
神崎グループの会長を相手にしても表情を崩さない。
必要な根回しは先に済ませる。
分からないことは聞く。
教えたことは覚える。
だから時々、十歳も年下だということを忘れそうになる。
でも。
「これ午後めっちゃ頑張れます」
大盛りのご飯を頬張りながら嬉しそうに笑っている姿を見る。
――ああ。
こういうところは、ちゃんと二十四歳なんだ。
「水野主任」
「ん?」
「全然食べてなくないですか?」
「食べてるけど」
「パスタ減ってないですよ」
「一ノ瀬くんが食べるの早すぎるの」
「それで足ります?」
「足りる」
「俺だったら三時には腹減ります」
「一ノ瀬くん基準にしないで」
「主任、燃費いいですね」
「車みたいに言わないで」
一ノ瀬くんが笑う。
つられて私も笑った。
仕事中より、ずっとよく喋る。
こんな子だったんだ。
「そういえば」
一ノ瀬くんが水を飲む。
「水野主任って、本当に三十四なんですよね?」
「……なに、その聞き方」
「いや」
「第一声それ、失礼だからね」
「違いますって。仕事してると、もっと上に感じるんですけど」
「もっと失礼になったけど?」
「あ、違う。経験的な意味です」
「もう遅い」
「すみません」
慌てているのがおかしくて笑ってしまう。
「一ノ瀬くんは、仕事してるともうちょっと上に見えるよ」
「それ褒めてます?」
「今回はちゃんと褒めてる」
「今回は、ってなんですか」
「いつも半分くらいだから」
「じゃあ成長しましたね、俺」
「何が?」
「水野主任からの評価」
「調子乗らない」
また笑う。
こうして仕事以外の話をするのは初めてだった。
意外と楽しい。
ただ、それだけ。
食事を終え、会計へ向かう。
私は財布を取り出した。
「ここ出すよ」
「え?」
「いいよ。私が出す」
「いや、割り勘で」
「いいって」
「なんでですか」
「主任だし。それに十歳上なんだから、これくらい――」
一ノ瀬くんがじっと私を見る。
「水野主任」
「なに?」
「仕事に年齢は関係ないって言った人が、それ言います?」
「これは仕事じゃないでしょ」
「じゃあ俺たち今、プライベートなんですか?」
「…………」
言葉に詰まった。
一ノ瀬くんは本当に何も考えていない顔をしている。
たぶん、ただ言い返しただけ。
それなのに。
「……割り勘ね」
「はい」
「一円単位まで分けるから」
「急に細かいな」
店を出る。
ホテルへ戻る道を並んで歩く。
「水野主任」
「今度はなに?」
「さっきの装花なんですけど」
「また仕事の話?」
「聞けるときに聞いとかないと」
「さっきご飯のときくらいやめようって言ったよね?」
「もう食べ終わったじゃないですか」
「……一ノ瀬くんって、結構めんどくさいね」
「今さらですか?」
笑いながら歩いていく。
私は小さく息を吐いて、その隣を歩いた。
仕事では頼りになる。
覚えるのも早い。
そのくせ、美味しいものを食べれば子どもみたいに喜ぶ。
少しずつ。
本当に少しずつだけど。
私は、一ノ瀬悠という人間を知り始めていた。
「終わった……」
打ち合わせ先のビルを出た瞬間、私は小さく息を吐いた。
神崎さんたちの披露宴で使用する装花について、提携先のフラワーショップとの打ち合わせ。
予定では一時間半だったはずなのに、気づけば二時間を超えていた。
隣では一ノ瀬くんがスマートフォンで時間を確認している。
「十三時十八分」
「結構かかったね」
「ですね」
「ホテル戻ろうか。十四時半から次の打ち合わせあるし」
歩き出そうとすると、一ノ瀬くんがついてこない。
振り返る。
「一ノ瀬くん?」
「水野主任」
「なに?」
「このあと予定、十四時半からですよね?」
「そうだけど」
「じゃあ飯食えますね」
「……ご飯?」
「はい」
一ノ瀬くんが当然のように言う。
「俺、朝から何も食ってないんですよ」
「朝ご飯食べなよ」
「寝坊しました」
「知らないよ」
「水野主任も昼食ってないでしょ?」
言われて時計を見る。
確かに食べていない。
ホテルに戻ってから適当に済ませようと思っていた。
「私は戻ってからでいいよ」
「またコーヒーだけとかじゃないですよね?」
「なんで知ってるの」
「最近よく婚礼部行くんで。主任、だいたいコーヒー持ってるじゃないですか」
「ちゃんと食べてるよ」
「じゃあ今食いましょう」
「……なんで一緒に食べる前提なの?」
「俺、一人で食うより二人の方がいいんで」
あまりにも普通に言う。
深い意味なんて一つもないのだろう。
「それに、この辺で美味そうな店見つけたんですよ」
「調べてたの?」
「さっき打ち合わせ中に」
「仕事して」
「休憩中です」
本当だろうか。
結局、一ノ瀬くんに連れられて入ったのは、ビルから五分ほど歩いたところにある小さな洋食屋だった。
ランチの時間を少し過ぎていたからか、店内はそれほど混んでいない。
「俺これにします」
席に着いて一分も経たないうちに、一ノ瀬くんがメニューを閉じた。
「早くない?」
「もう決めてました」
「何にしたの?」
「ハンバーグ。チーズ乗ってるやつ。あとライス大盛り」
「重っ」
「朝から何も食ってないんで」
「それにしても大盛り?」
「二十四歳なんで」
都合のいいときだけ年齢を使う。
私はパスタとコーヒーを注文した。
料理を待っている間、一ノ瀬くんはさっきの打ち合わせ資料を開いた。
「水野主任、一個聞いていいですか?」
「ご飯のときくらい仕事やめない?」
「まだ来てないじゃないですか」
「そういう問題?」
「さっき装花の担当者が、高砂の花を少し低くするって言ってたじゃないですか」
「うん」
「あれって写真のためです?」
少し驚いた。
ちゃんと聞いていたらしい。
「それもある。今回ゲスト多いでしょ?」
「はい」
「高砂の装花が高すぎると、角度によっては新郎新婦の顔が見えにくくなるの。写真だけじゃなくて、ゲストからも」
「ああ、なるほど」
「あと二人が立ったり座ったりするとき、ドレスに引っかからないようにする意味もある」
「そこまで考えるんですね」
「婚礼は細かいことの積み重ねだから」
「なるほど。助かります」
一ノ瀬くんがスマートフォンに何かをメモする。
「それ、全部メモしてるの?」
「忘れたらまた聞くことになるじゃないですか」
「別に聞けばいいよ」
「同じこと二回聞くの嫌なんですよ、俺」
やっぱりこの子は、こういうところがしっかりしている。
「お待たせしました」
料理が運ばれてきた。
私のパスタ。
そして一ノ瀬くんの前には、大きな鉄板に乗ったハンバーグが置かれる。
熱い鉄板の上でソースが音を立てた。
「うわ」
一ノ瀬くんの顔が変わった。
「めっちゃ美味そう」
さっきまで仕事の話をしていた人と同じとは思えない。
ナイフを入れる。
チーズと肉汁が流れ出す。
「いただきます」
一口。
「……うまっ」
「そんなに?」
「これ、めちゃくちゃ美味いですよ」
もう一口。
そのまま大盛りのご飯を頬張る。
「水野主任、一口食べます?」
「いらない」
「なんでですか」
「自分のあるから」
「じゃあ次来たとき食ってください。これ当たりです」
「また来る前提なんだ」
「近いですし」
本当に美味しそうに食べる。
見ているこっちまで気持ちよくなるくらい。
仕事中の一ノ瀬悠は落ち着いている。
神崎グループの会長を相手にしても表情を崩さない。
必要な根回しは先に済ませる。
分からないことは聞く。
教えたことは覚える。
だから時々、十歳も年下だということを忘れそうになる。
でも。
「これ午後めっちゃ頑張れます」
大盛りのご飯を頬張りながら嬉しそうに笑っている姿を見る。
――ああ。
こういうところは、ちゃんと二十四歳なんだ。
「水野主任」
「ん?」
「全然食べてなくないですか?」
「食べてるけど」
「パスタ減ってないですよ」
「一ノ瀬くんが食べるの早すぎるの」
「それで足ります?」
「足りる」
「俺だったら三時には腹減ります」
「一ノ瀬くん基準にしないで」
「主任、燃費いいですね」
「車みたいに言わないで」
一ノ瀬くんが笑う。
つられて私も笑った。
仕事中より、ずっとよく喋る。
こんな子だったんだ。
「そういえば」
一ノ瀬くんが水を飲む。
「水野主任って、本当に三十四なんですよね?」
「……なに、その聞き方」
「いや」
「第一声それ、失礼だからね」
「違いますって。仕事してると、もっと上に感じるんですけど」
「もっと失礼になったけど?」
「あ、違う。経験的な意味です」
「もう遅い」
「すみません」
慌てているのがおかしくて笑ってしまう。
「一ノ瀬くんは、仕事してるともうちょっと上に見えるよ」
「それ褒めてます?」
「今回はちゃんと褒めてる」
「今回は、ってなんですか」
「いつも半分くらいだから」
「じゃあ成長しましたね、俺」
「何が?」
「水野主任からの評価」
「調子乗らない」
また笑う。
こうして仕事以外の話をするのは初めてだった。
意外と楽しい。
ただ、それだけ。
食事を終え、会計へ向かう。
私は財布を取り出した。
「ここ出すよ」
「え?」
「いいよ。私が出す」
「いや、割り勘で」
「いいって」
「なんでですか」
「主任だし。それに十歳上なんだから、これくらい――」
一ノ瀬くんがじっと私を見る。
「水野主任」
「なに?」
「仕事に年齢は関係ないって言った人が、それ言います?」
「これは仕事じゃないでしょ」
「じゃあ俺たち今、プライベートなんですか?」
「…………」
言葉に詰まった。
一ノ瀬くんは本当に何も考えていない顔をしている。
たぶん、ただ言い返しただけ。
それなのに。
「……割り勘ね」
「はい」
「一円単位まで分けるから」
「急に細かいな」
店を出る。
ホテルへ戻る道を並んで歩く。
「水野主任」
「今度はなに?」
「さっきの装花なんですけど」
「また仕事の話?」
「聞けるときに聞いとかないと」
「さっきご飯のときくらいやめようって言ったよね?」
「もう食べ終わったじゃないですか」
「……一ノ瀬くんって、結構めんどくさいね」
「今さらですか?」
笑いながら歩いていく。
私は小さく息を吐いて、その隣を歩いた。
仕事では頼りになる。
覚えるのも早い。
そのくせ、美味しいものを食べれば子どもみたいに喜ぶ。
少しずつ。
本当に少しずつだけど。
私は、一ノ瀬悠という人間を知り始めていた。