十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―

第6話 十一年目の背中

第6話 十一年目の背中
「水野主任」
「んー?」
「これ、確認お願いします」
差し出された資料を受け取りながら、私はパソコンから目を離さなかった。
「一ノ瀬くん、今度はなに?」
「今度はってなんですか」
「今日もう三回目」
「二回目です」
「メール含めたら三回」
「メールは別でしょ」
「同じです」
神崎さんたちの結婚式まで、残り一ヶ月半。
準備は順調に進んでいる。
少人数で行う挙式。
三百五十人を招く披露宴。
二つを同日に成立させるため、通常の婚礼より確認することは多い。
その分、一ノ瀬くんが婚礼部門へ来る回数も増えていた。
「で、なに?」
「追加された十二名の席次です。昨日言われた通り、親族との位置関係も確認しました」
資料を見る。
「あ、本当だ」
「あと宴会部にも確認済みです」
「じゃあ大丈夫」
「よし」
「嬉しそうだね」
「一発OKだったんで」
「子どもじゃないんだから」
「褒められたら嬉しいでしょ」
「褒めてないけど」
「今のは褒めたようなもんです」
勝手に満足している。
本当に覚えるのが早い。
「じゃ、戻ります」
「はい。お疲れさま」
一ノ瀬くんが事務所を出ていく。
その背中を見送る間もなく、内線が鳴った。
「はい、ブライダル水野です」
『主任、大変です』
後輩の声だった。
「どうしたの?」
『今週土曜日の高橋様なんですけど……新婦のお母様が来られてて』
「お母様?」
『席次のことで、かなり怒ってます』
時計を見る。
午後三時四十二分。
土曜日まで、あと三日。
「分かった。今行く」
電話を切り、立ち上がる。
「主任、神崎様の資料は?」
別の後輩に聞かれる。
「机に置いといて。戻ったら見る」
「分かりました」
急いで事務所を出る。
エレベーターへ向かう途中。
「水野主任?」
声をかけられた。
一ノ瀬くんだった。
まだ営業部へ戻っていなかったらしい。
「どうしたんです?」
「別の婚礼でちょっとトラブル」
「神崎様は?」
「あとで」
「何か手伝えます?」
「大丈夫。一ノ瀬くんは戻って」
そう言ってエレベーターに乗った。
三階の打ち合わせスペースへ入ると、空気だけで状況が分かった。
新婦。
新婦の母親。
担当の後輩。
三人とも表情が硬い。
「お待たせいたしました。ブライダル主任の水野です」
「責任者の方?」
「はい」
「これ、どういうことですか?」
テーブルの上に席次表が置かれる。
話を聞けば、親族席の配置について、新婦と母親の希望が食い違っているらしい。
「私は最初からこちらの席にしてほしいと言っていたんです」
「でもお母さん、それだと――」
「あなたは黙ってなさい」
新婦が俯く。
私は席次表を見る。
それから母親を見る。
「お母様。こちらのお席をご希望された理由を、もう一度お聞きしてもよろしいでしょうか」
「だから、親族の順番を考えたら普通でしょう?」
「順番、ですか?」
「ええ」
怒っている。
でも。
たぶん、席そのものに怒っているわけじゃない。
「もしかして……ご親族の方から何か言われましたか?」
母親の表情が止まった。
「……どうして?」
「こちらのお席について以前お打ち合わせした際は、ご納得いただいていたと記録にございましたので」
沈黙。
しばらくして、母親が小さく息を吐いた。
「昨日、義姉から電話があったんです」
やっぱり。
そこからは早かった。
誰を上座にするべきか。
親族同士の関係。
新婦が避けたかった事情。
一つずつ聞く。
「でしたら、こちらはいかがでしょう」
席を二つ入れ替える。
「これならお義姉様のお席も上座になります。ただ、新婦様がご希望されていた配置も大きく変わりません」
母親が席次表を見る。
「……これなら」
「念のため、担当からご親族のお名前をもう一度確認させていただきます」
「分かりました」
さっきまでの険しい表情が、少しずつ戻っていく。
「申し訳ありません。急に来て」
「いえ。結婚式までに分かってよかったです」
私は笑った。
「当日気になってしまったら、お母様も楽しめませんから」
「……ありがとうございます」
頭を下げる。
母親が席を外したあと、新婦が私を見た。
「水野さん」
「はい」
「ありがとうございました」
「大丈夫ですよ」
「私、母に怒っちゃいそうでした」
「結婚式前はみんな余裕なくなりますから」
「水野さんは、ならないんですか?」
思わず笑う。
「なりますよ。毎週」
「そうなんですか?」
「顔に出さないだけです」
言った瞬間。
どこかで聞いた言葉だと思った。
営業なんで。顔に出さないだけです。
一ノ瀬くんか。
「主任?」
「なんでもない」
打ち合わせを終え、廊下へ出る。
「……すげえ」
声がした。
振り返る。
「一ノ瀬くん?」
少し離れたところに立っていた。
「なんでいるの?」
「いや、営業部戻ろうと思ったんですけど」
「戻ってないじゃん」
「気になって」
「何が?」
「水野主任がどうやって対応するのかなって」
「見てたの?」
「途中から」
「趣味悪いよ」
「勉強です」
一ノ瀬くんが近づいてくる。
「俺だったら、最初から席の説明してました」
「それでも間違いじゃないよ」
「でも主任、席の話ほとんどしなかったですよね」
「怒ってる理由が席じゃなさそうだったから」
「なんで分かるんですか?」
「前に納得してた人が、三日前になって急に変えたいって言ったから」
「それだけ?」
「それだけ」
一ノ瀬くんが考え込む。
「……なるほど」
「また?」
「いや、これは助かります」
「何が助かるの」
「俺、たぶん今みたいなとき、正しい説明しようとするんですよ」
「営業だから?」
「はい。でも相手が何に困ってるのか分からないまま説明しても意味ないですね」
「そういうこと」
「覚えときます」
スマートフォンを取り出す。
「今メモするの?」
「忘れるんで」
「真面目だね」
「水野主任」
「なに?」
「十一年って、やっぱすごいですね」
手が止まった。
「急にどうしたの」
「いや」
一ノ瀬くんが笑う。
「前から仕事できる人だとは思ってましたけど」
「上からだね」
「最後まで聞いてください」
「はいはい」
「今日見てて思ったんです。十一年やってる人って、こういうことなんだなって」
思っていたより真っ直ぐな言葉だった。
「……そんな大したことしてないよ」
「水野主任にとっては、でしょ?」
「え?」
「俺にはまだできないんで」
一ノ瀬くんはそう言って、スマートフォンをポケットに戻した。
「だから教えてください」
「……何を?」
「そういうの全部」
「全部って」
「俺、聞くの多いですけど」
「自覚あったんだ」
「ありますよ」
「じゃあ少し減らして」
「それは無理です」
「なんでよ」
「せっかく近くに、十一年やってる人いるんで」
悪びれもせず笑う。
「使えるものは使わないと」
「私を便利アイテムみたいに言わないで」
「違いますって」
笑いながら二人で歩き出す。
「でも本当に、助かってます」
「……はいはい」
「流した」
「褒めても何も出ないよ」
「じゃあ今度、飯奢ってください」
「なんで私が奢るの?」
「十歳上だから」
「仕事に年齢関係ないんじゃなかった?」
「あ、覚えてた」
「誰の言葉よ」
エレベーターの前まで来る。
一ノ瀬くんがボタンを押した。
「じゃあ俺、今度こそ営業戻ります」
「うん」
扉が開く。
「水野主任」
「なに?」
「神崎様の件、今日中に確認必要なのあります?」
「一個だけ。でも明日でも大丈夫」
「じゃあメールしといてください。俺の方でできるならやります」
「分かった。ありがとう」
「はい」
扉が閉まる。
一人になって、私は小さく息を吐いた。
十一年。
主任になってからは、できて当然だと思われることが増えた。
後輩から頼られる。
上司から任される。
新郎新婦からは、できる人でいることを求められる。
それが嫌なわけじゃない。
むしろ誇りに思っている。
でも。
『十一年って、やっぱすごいですね』
そんなふうに言われたのは、いつ以来だろう。
私はエレベーターの表示を見ながら、少しだけ笑った。
……質問が多いのは、本当に困るけど。
悪い気はしなかった。
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