さようなら、お別れしましょう
17 別居後、初めて会う夫(2)
長い黒髪が私の頬に触れ、琥珀色の瞳がじっと私を見つめていた。
――なんて綺麗な目……
異国の香木の香りが、近すぎる距離から漂い、ようやく我に返った。
「あ、あの……とても距離が近いのですが?」
「なんだ。俺を誘ったわけではないのか」
「さ、さ、誘う!? 違います!」
慌ててジグルズ様の体を手で押し戻し、離れた私の顔を見て笑う。
「二人きりになりたいと言うから、てっきり俺を誘っているのかと思った」
「話をしたかっただけです」
ジグルズ様は壁から手を離し、本が山積みになった大きな長机のほうへ歩いていく。
まるで、軍議をする時に使うようないかつい長机である。
そこには、難しい本が広げられていて、ジグルズ様は読みかけの本を閉じた。
「てっきり、イーザックへのあてつけで、浮気の一つでもしてやろうと、考えたのかと思ったが、違ったようだな」
「そんなことしません!」
そもそも、【契約】に『妻の不義』が含まれている以上、うっかり死にかねない。
――あ、危なかった!
死ぬ寸前だったのか、まだドキドキしている心臓に危機を感じ、左胸に手を置いた。
心臓は動いているようだ。
ジグルズ様は私をからかっただけらしく、動じることなく余裕たっぷりな態度で、笑いながら長机を片付けて椅子を引く。
「それは失礼。では、椅子へ」
「あ、ありがとうございます……」
ジグルズ様はイーザック様と兄弟でも、まったく雰囲気が違う。
――母親が違うからかもしれないけど、イーザック様はジグルズ様のように、ふざけたり笑ったりするのかしら?
イーザック様の険しい顔しか思い浮かばなかった。
「それで、誰にも聞かれたくない話とはなんだ? イーザックが新しく迎えたという妻のことか?」
イーザック様が新しく迎えた妻のメリア。
メリアは可愛らしい笑顔をしたリースフェルト伯爵家の令嬢――それ以上、私が知りたいと思うことはなにもなかった。
「いいえ、違います」
「夫婦仲の相談ではなかったか」
「イーザック様は私に興味を持てないとおっしゃいました。興味を持てないと言われては、どうしようもありませんわ」
「興味を持てない……」
愛情がないどころか、興味を持てないとまで言われたら、私の存在はイーザック様にとって、迷惑以外のなにものでもない。
愛するメリアを妻に迎えて、ますます私の存在を煩わしく思っているはずだ。
いつ正妃の地位を奪われ、死んでしまうかわからない。
だからこそ、私は一刻も早く【契約】を無効にしなければいけなかった。
「ジグルズ様はドーヴハルク王が使う【契約】の力をご存じですか?」
「ああ。王女の心臓に刻まれた【契約】のことか。……レフィカも?」
「はい。王女は例外なく、嫁ぐ前に全員が【契約】を心臓に刻まれます」
「……そうか」
ジグルズ様は笑みを消し、あごに手を置き、難しい顔をした。