True Blue Line ~君は僕のたった一つの宝物~

EP26

 介護の仕事をこなすうち、秋が過ぎ、冬を迎えた。
 相変わらず武とのメールも、通話もいつも通り続いていた。
 クリスマスは私が夜勤、お正月に武は日本に居なかった。
 家族のことになると口を閉ざす武。
 私の家族を羨ましいと何度も言っていたから、私はそれ以上詮索できなかった。

 半年近く会えていないまま迎えた2008年1月5日のことだった。
 元旦に出した年賀状のお返しが、私の自宅に届いた。
 そこに書かれていたのは、関東だと聞いていた場所とは違う住所だった。
 聞いていた場所より、もっと遠いところに住んでいたことが、ここで初めて明らかになった。
 胸が少しチクリとする。
 きっと何か事情があるはずだ。引っ越したんだ。理由があるんだ。
 でも武はきっと聞いても理由を隠すような気がした。
 嘘をつかない代わりに。
 そしてこの予感が間違っていなかったことを、私はずっと後になって知る。
 けれどこの時の私は、この違和感を見ないことにした。

 -*-

 2008年3月5日、同僚ヘルパーの菊池さんが結婚した。
 彼女は33歳、私の周囲では珍しい見合い婚だった。
 結婚式は挙げず、籍だけを入れ、新居として一軒家を建てたという。
 私達がお祝いを渡すと、遊びに来てねと誘われた。

 2008年3月16日のことだった。
 遠田さんから「一緒に行こう」と声を掛けられ、休日に二人で彼女の家を訪ねた。
 新しい木材の香り、今はやりの室内デザイン。
 雑多な感じがなく、必要最低限の家具が使いやすい位置に置かれている。
 それだけで二人の生活が見えてくる気がした。

「そんなに見つめないで。お掃除が雑なのがバレちゃう」
「そんなことないですよ。綺麗にされてて、いいお家じゃないですか~!」
「ありがとう。二人とも、座って! お菓子焼いてみたの。よかったら食べてね」

 テーブルには、銀色のアルミカップに入ったマドレーヌが置かれている。

「コーヒーがいい? 紅茶がいい?」
「コーヒーで!」
「私も」
「落とすからちょっと待っててね」

 コーヒー豆の香りが対面式のキッチンから漂ってくる。
 生活を感じられる光景だった。
 遠田さんには付き合って5年になる同い年の彼氏がいる。
 別の介護施設で働いている看護師だ。
 そろそろ結婚の話も出ているのだろう。
 遠田さんが私を誘った理由が何となく想像できた。

 ――帰りたい……そう思った。
 なのに、もう少し見てみたいという好奇心が、私を引き止める。

「仲崎さん?」
「ん? どうしたの?」
「ボーっとしてるよ?」
「あ、ごめん。モデルハウスみたいだからなんかビックリして……」
「わかる! 結婚したらこんな感じかなって、夢見ちゃうよね」

 無邪気に笑う遠田さん。
 困ったような笑みを見せる菊池さん。

「で、遠田さんは結婚後も今の仕事続けるの?」
「そのつもりですよ! でも子供ができたら育休は難しいかなって……」
「デイケアに担当を変えて貰えばいいかもね」
「そうですね~」

 会話に参加できず、聞き役を続ける私。
 私だって28歳だ。結婚は単なる憧れ以上の意味がある。

「仲崎さんは結構夜勤入れてくれてるけど、ご家族や恋人の方は大丈夫なの?」
「はい。家族も恋人も理解してくれているので……」

 嘘は言っていない。

「仲崎さんの彼氏、イケメンなんですよ!」

 遠田さんが武のことに触れる。
 こんなことなら武の写メを見せなきゃよかった。

「あら……そうなんだ、仕事は何をしている方なの?」
「漫画家を目指していて、今はアシスタントをしてます」
「それって……会社員ではないの?」
「はい」

 私が告げると、二人の表情が一瞬固まる。
 気まずい沈黙が流れた。

「……その夢を仲崎さんが支えるってステキね」

 その場を繕うかのような社交辞令。
 これが現実なんだ、と私はただ黙って受け止めた。

「ですよね、いつかきっと夢がかなうかもしれないし……」

 遠田さんと菊池さんのフォローが、心を締め付ける。
 それでも私は、武の夢を応援したかった。
 その苦しみを、少しでも理解できるのは自分しかいないと。

 でも本当にそう?
 心が少し揺れてくる。

 1時間ほどお邪魔したあたりで、遠田さんと共に菊池さんの家を離れる。
 彼女たちに罪はない。
 でも私は笑顔の下で泣いていた。
 この行き場のない感情を、私はただ封じることしか出来なかった。
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