True Blue Line ~君は僕のたった一つの宝物~
第5章 純白
EP33
琴音とあのカフェに行ってから1か月後、2026年5月19日。
私は会社の営業の人から、最近オープンした岩盤浴店のクーポンチケットを貰った。
このクーポンは3枚ある。
お昼休みに三郷を誘うと、三郷は琴音も誘っていいかと聞いてきた。
「この間しょぼくれてたからさ、ちょっと気になって」
このお節介焼きさんは、こうして日々いろんな子の世話を焼く。
時折私を巻き込んで。
仕事に厳しい私と、ほどよく緩い三郷は社内でペア的な扱いになっていた。
「いいけど、先輩権限で無理やり連れて来るのはやめてね」
「もちろん」
そう言いながらスマホで推しのSNSをチェックしている。
聞いているんだか聞いていないんだか。
17時32分。
今日の業務を終えた私は、急いでロッカーに駆けていく琴音を見かけた。
「仲崎先輩! お誘いありがとうございます、急ぎますね!」
「三郷さんもまだ終わってないから、慌てなくていいわよ」
「そうなんですか。じゃあちょっと着替えてきます」
三郷を見ると新しく入った若手の仕事をチェックしていた。
「手伝おうか?」
「もうすぐ終わるの」
私は1人会社の裏口へ向かった。
遅咲きの八重桜が、緩やかな風に撫でられて花びらを散らしている。
また夏がやって来る。
そして私も1年歳を取る。
歳を重ねていくうちに悟った。
あんな人はもう2度と現れないだろうと。
「ま~た、仲崎さんが黄昏てる」
三郷が呆れたように声を掛ける。
「少し、空を見ていただけよ。……行きましょ」
「はい!」
琴音の明るい返事が少しだけ羨ましかった。
岩盤浴のチケットは1枚で3名まで使えるらしい。
私は残りの2枚を三郷と琴音に配る。
「自分で使えばいいのに」
「こういうのは独占しちゃダメなの」
「じゃあまた3人で来ませんか?」
琴音の提案に三郷も相づちを打つ。
私も微笑んだ。
化粧を落としてすっぴんになる。
それは付けていた仮面を剥がす瞬間に似ている。
裸になって岩盤浴用の衣装に着替える。
それは鎧を脱ぐような解放感に近かった。
程よい温度の空間。
温かい床にタオルを敷き、ゴロンと横になる。
この空間ではおしゃべりは出来ないが、思い思いに自分の中の誰かを想い慕う時間になっていることだろう。
例えば私が20年前の恋人を想うように、三郷は推しを思い浮かべるのかもしれない。
琴音はどうなのだろう。遠距離恋愛だった元恋人を思い出しているようには思えない。
復縁を諦めるといっていた彼女。
諦めるか、諦めないか。結論を急がなくてもいいのに、と私は思う。
でもそれを私が伝えることは出来そうもなかった。
-*-
岩盤浴を終えて休憩室に集った私たちは、ビールを片手に軽い夕食を取った。
夕食と言っても併設されている食堂で出すメニューは、居酒屋メニューだ。
フライドポテト、枝豆、ラーメンサラダ。明太子バタートースト……。
「ふぁ……さっぱりしたね。体がほぐれた気がするわ」
三郷が左右の二の腕を軽くマッサージしながら呟く。
琴音はついさっき来たばかりのビールジョッキを片手に、枝豆をつまんでいる。
好きなんだという。
私は、乾杯の音頭から一気に飲んでしまったせいか、ジョッキの半分が空だ。
「仲崎、あんたペース速すぎ。少しは肝臓を労わりなさいな」
「すでにジョッキを空にしてる三郷に言われてもね……」
「お二人ともペース速い……酒豪ですね」
「お風呂上りのこの一杯が、どうしようもなく癖になるの」
我ながらオッサンくさいとは思う。
歳を取ると言動が本当にオバサン化していることに気が付く。
「あ〜わかる。料理しながらキッチンでビール開けちゃうのと同じよね」
三郷がすぐに相槌を打つ。
一方で琴音は、
「それって、仕事終わった後にお酒を買って、列車の中で飲んじゃう系ですか? それなら私もよくやるかも……」
と赤い顔をして呟く。
「琴音ちゃん、アンタ、それはヤバいわよ」
「せめて自宅に帰ってからのほうがスマートよ」
「そうなんですか……」
三郷と私の言葉に、シュンとなる琴音。
私は大体、見えてきた。
琴音は恐らく、自然体の姿を早くから恋人に見せすぎたのだろう。
それが却って裏目に出たのかもしれない。
「その話、遠距離恋愛中の彼にしたりは……」
「しましたよぉ。秘密とか嫌なんで」
三郷が絶句する。
さすがの私もそこまでの自然体を武に披露したことはなかった。
恋人同士だからこそ、見せすぎてはいけない部分があるのだと。
――私はそう思っていた。
「でも、この間仲崎先輩の恋バナ聞いて、復縁は諦めたんです」
「早くない? もっと考えてからでも良かったんじゃないの?」
琴音の言葉に三郷がすぐに応答する。
こうしたテンポの良さは私にはない。
私は相手の境界線を守ろうとする癖を、武から学んでしまって、すっかりそれが馴染んでしまったから。
「私……疑問に思ったらその疑問、すぐに解決したくなるんです。そしてこたえを求めちゃうんです。だからブロックされたんだって……相手はもう気持ちが冷めていて距離を置きたいのに、追いかけてこられたら迷惑じゃないですか……彼にとって私は、その程度の相手だった」
琴音の目が切なく揺れる。
「本当に未練があるなら、私のことをちゃんと知っていたなら、向き合おうとするでしょう? 終わらせるとしても、一方的になんて済ませなかったはずです」
琴音の言葉が私に深く刺さった。
私の中で眠る34歳の私が、小さな悲鳴を上げた。
「やっぱり仲崎案件だったわけだ。ありがと、仲崎」
「私は自分の過去の恋バナを一方的に話しただけで、なんの力にも……」
それを聞いた三郷が、人差し指を振って答える。
「知ってる? 自分の失敗は誰かの教科書になるってこと。そして誰かの失敗が、今度は自分の教科書になるのよ。そうやって常に支え合って生きていくから成長があるの」
琴音に引き合わせたのは、そういうことだったのか。
敵わない、彼女には――。
「さすが影のお局様……」
「仲崎ほどじゃないわ」
そう笑って答える三郷。
琴音が私と三郷の名を呼び、少し間を置いてから締めるように言葉を紡いだ。
「お二人ともありがとうございました。答えが出たら、あとはちゃんと自分の力で前に進んでいけます」
そこに迷いはなかった。
今の彼女なら、すぐにでも新しい恋を見つけられる気がした。
「後ろに戻りたいときは言って。……背中を押すから」
「あ~仲崎先輩ったら、また武さんの真似してる」
琴音のツッコミには苦笑するしかない。
それくらい武の言葉がもう私の中に根付いているのだから。
「いまの仲崎に推し活なんてすすめられないか……残念」
「うん。まだ……余裕がないわ」
「三郷先輩は誰推しなんですか? 私は――」
女子会の夜は更けていく。
その後90分間の宴を楽しく過ごした私たちは、それぞれの帰路を行くはずだった。
――琴音に呼び止められるまでは。
私は会社の営業の人から、最近オープンした岩盤浴店のクーポンチケットを貰った。
このクーポンは3枚ある。
お昼休みに三郷を誘うと、三郷は琴音も誘っていいかと聞いてきた。
「この間しょぼくれてたからさ、ちょっと気になって」
このお節介焼きさんは、こうして日々いろんな子の世話を焼く。
時折私を巻き込んで。
仕事に厳しい私と、ほどよく緩い三郷は社内でペア的な扱いになっていた。
「いいけど、先輩権限で無理やり連れて来るのはやめてね」
「もちろん」
そう言いながらスマホで推しのSNSをチェックしている。
聞いているんだか聞いていないんだか。
17時32分。
今日の業務を終えた私は、急いでロッカーに駆けていく琴音を見かけた。
「仲崎先輩! お誘いありがとうございます、急ぎますね!」
「三郷さんもまだ終わってないから、慌てなくていいわよ」
「そうなんですか。じゃあちょっと着替えてきます」
三郷を見ると新しく入った若手の仕事をチェックしていた。
「手伝おうか?」
「もうすぐ終わるの」
私は1人会社の裏口へ向かった。
遅咲きの八重桜が、緩やかな風に撫でられて花びらを散らしている。
また夏がやって来る。
そして私も1年歳を取る。
歳を重ねていくうちに悟った。
あんな人はもう2度と現れないだろうと。
「ま~た、仲崎さんが黄昏てる」
三郷が呆れたように声を掛ける。
「少し、空を見ていただけよ。……行きましょ」
「はい!」
琴音の明るい返事が少しだけ羨ましかった。
岩盤浴のチケットは1枚で3名まで使えるらしい。
私は残りの2枚を三郷と琴音に配る。
「自分で使えばいいのに」
「こういうのは独占しちゃダメなの」
「じゃあまた3人で来ませんか?」
琴音の提案に三郷も相づちを打つ。
私も微笑んだ。
化粧を落としてすっぴんになる。
それは付けていた仮面を剥がす瞬間に似ている。
裸になって岩盤浴用の衣装に着替える。
それは鎧を脱ぐような解放感に近かった。
程よい温度の空間。
温かい床にタオルを敷き、ゴロンと横になる。
この空間ではおしゃべりは出来ないが、思い思いに自分の中の誰かを想い慕う時間になっていることだろう。
例えば私が20年前の恋人を想うように、三郷は推しを思い浮かべるのかもしれない。
琴音はどうなのだろう。遠距離恋愛だった元恋人を思い出しているようには思えない。
復縁を諦めるといっていた彼女。
諦めるか、諦めないか。結論を急がなくてもいいのに、と私は思う。
でもそれを私が伝えることは出来そうもなかった。
-*-
岩盤浴を終えて休憩室に集った私たちは、ビールを片手に軽い夕食を取った。
夕食と言っても併設されている食堂で出すメニューは、居酒屋メニューだ。
フライドポテト、枝豆、ラーメンサラダ。明太子バタートースト……。
「ふぁ……さっぱりしたね。体がほぐれた気がするわ」
三郷が左右の二の腕を軽くマッサージしながら呟く。
琴音はついさっき来たばかりのビールジョッキを片手に、枝豆をつまんでいる。
好きなんだという。
私は、乾杯の音頭から一気に飲んでしまったせいか、ジョッキの半分が空だ。
「仲崎、あんたペース速すぎ。少しは肝臓を労わりなさいな」
「すでにジョッキを空にしてる三郷に言われてもね……」
「お二人ともペース速い……酒豪ですね」
「お風呂上りのこの一杯が、どうしようもなく癖になるの」
我ながらオッサンくさいとは思う。
歳を取ると言動が本当にオバサン化していることに気が付く。
「あ〜わかる。料理しながらキッチンでビール開けちゃうのと同じよね」
三郷がすぐに相槌を打つ。
一方で琴音は、
「それって、仕事終わった後にお酒を買って、列車の中で飲んじゃう系ですか? それなら私もよくやるかも……」
と赤い顔をして呟く。
「琴音ちゃん、アンタ、それはヤバいわよ」
「せめて自宅に帰ってからのほうがスマートよ」
「そうなんですか……」
三郷と私の言葉に、シュンとなる琴音。
私は大体、見えてきた。
琴音は恐らく、自然体の姿を早くから恋人に見せすぎたのだろう。
それが却って裏目に出たのかもしれない。
「その話、遠距離恋愛中の彼にしたりは……」
「しましたよぉ。秘密とか嫌なんで」
三郷が絶句する。
さすがの私もそこまでの自然体を武に披露したことはなかった。
恋人同士だからこそ、見せすぎてはいけない部分があるのだと。
――私はそう思っていた。
「でも、この間仲崎先輩の恋バナ聞いて、復縁は諦めたんです」
「早くない? もっと考えてからでも良かったんじゃないの?」
琴音の言葉に三郷がすぐに応答する。
こうしたテンポの良さは私にはない。
私は相手の境界線を守ろうとする癖を、武から学んでしまって、すっかりそれが馴染んでしまったから。
「私……疑問に思ったらその疑問、すぐに解決したくなるんです。そしてこたえを求めちゃうんです。だからブロックされたんだって……相手はもう気持ちが冷めていて距離を置きたいのに、追いかけてこられたら迷惑じゃないですか……彼にとって私は、その程度の相手だった」
琴音の目が切なく揺れる。
「本当に未練があるなら、私のことをちゃんと知っていたなら、向き合おうとするでしょう? 終わらせるとしても、一方的になんて済ませなかったはずです」
琴音の言葉が私に深く刺さった。
私の中で眠る34歳の私が、小さな悲鳴を上げた。
「やっぱり仲崎案件だったわけだ。ありがと、仲崎」
「私は自分の過去の恋バナを一方的に話しただけで、なんの力にも……」
それを聞いた三郷が、人差し指を振って答える。
「知ってる? 自分の失敗は誰かの教科書になるってこと。そして誰かの失敗が、今度は自分の教科書になるのよ。そうやって常に支え合って生きていくから成長があるの」
琴音に引き合わせたのは、そういうことだったのか。
敵わない、彼女には――。
「さすが影のお局様……」
「仲崎ほどじゃないわ」
そう笑って答える三郷。
琴音が私と三郷の名を呼び、少し間を置いてから締めるように言葉を紡いだ。
「お二人ともありがとうございました。答えが出たら、あとはちゃんと自分の力で前に進んでいけます」
そこに迷いはなかった。
今の彼女なら、すぐにでも新しい恋を見つけられる気がした。
「後ろに戻りたいときは言って。……背中を押すから」
「あ~仲崎先輩ったら、また武さんの真似してる」
琴音のツッコミには苦笑するしかない。
それくらい武の言葉がもう私の中に根付いているのだから。
「いまの仲崎に推し活なんてすすめられないか……残念」
「うん。まだ……余裕がないわ」
「三郷先輩は誰推しなんですか? 私は――」
女子会の夜は更けていく。
その後90分間の宴を楽しく過ごした私たちは、それぞれの帰路を行くはずだった。
――琴音に呼び止められるまでは。