ピカレスクに心酔
愉し気につり上がった口端が、やっぱり歪んでいるように見える。
さっきまで善良に微笑んでいた彼と全く同じ外形なのにも関わらず、こうも変貌できるのかと感心してしまうほどだ。
「今回はほんとに睫毛が入って……」
「今回は?」
揶揄うニュアンスで語尾を上げた彼に、そうじゃなくて、と反駁した。
「ど、どういうこと? 何で急に昨日みたくなるの?」
「どういうことって?」
「だから、さっき坂井――」
続きは遮られた。否、正確に言うならば、彼の雰囲気に呑まれて続けることができなかった。
じりじりと、視線に焦がされている。
「忍」
「え?」
「忍って呼んでよ。俺のこと」
唐突だ。全てがいきなりで突拍子もない。
素直に頷くにはテンポが速すぎて、それでも今この場の空気を掌握しているのは間違いなく彼であった。首を横に振ることは無粋だと言わんばかりに。
「し、忍……?」
慣れない呼称を口にした私に、彼は満足気だ。掴んでいた腕を離すと、先程まで座っていた私の隣ではなく、私の一つ前の席に腰を下ろしてこちらをひたと見据えてきた。
あまりにも執拗に見つめてくるので、気まずくて逸らしてしまう。
「顔伏せないで。こっち見てよ」