ピカレスクに心酔


その力強さと低まった声は、まさに私が願っていたものだった。

理解するより先に、力のままやや強引に振り向かされる。

彼の目は私をひたと捕らえていた。物騒でぎらついた深い黒。
暗い中でも分かる。どうしてさっきまで見分けがつかなかったのか不思議なほど、その黒は異質だった。


「なんだ。泣いてるのかと思った」


は、と嘲笑のような息を落として彼の唇が弧を描く。

心臓がたちまち騒ぎだす。
間違いない。今ここにいるのは、坂井ではないもう一人の彼(・)だ。


「……私が泣いてると思って、来てくれたの?」


突然の切り替えに、こちらの思考が追いつかない。
それでも恐る恐る尋ねると、彼が「そうだよ」とあっさり頷いた。


「じゃあ、私の声届いたってこと?」

「え? 何が」

「私、さっき『忍』って呼んだよ。それ聞いて来てくれたってことでしょ?」


たとえ「坂井」として存在していても、名前を呼べばいつだって会えるんじゃないか――そんな淡い希望は、彼本人の言葉によって打ち砕かれる。


「何も聞こえなかったけど。俺が出てきた(・・・・)のは、朱南が泣いてるように見えたから。それだけ」

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