ピカレスクに心酔
俯いていると名前を呼ばれた。
僅かに彼の雰囲気が和らいだ気がして、顔を上げる。
「泣いていいよ?」
多分、罠にかけられている。甘い蜜をちらつかせて導かれている。
凶悪な瞳も、歪んだ笑みも、全部きちんと見えているのに。
泣いていいよ――それが酷く魅惑的な誘いに思えて仕方がない。
「……私だって、傷つかないわけじゃない……」
一度弱音を吐いたら駄目だった。
呼応するように喉の奥から熱がぶり返してきて、視界が滲んでいく。
「ばかだよ、ぜんぜん器用じゃない、でもぜんぶちゃんと分かってる……」
おバカだね、と言われることは気にしていなかった。実際、私は馬鹿だ。実里のそばで何回も絶望したから分かる。
でも、馬鹿だから何も知らないわけではないのだ。馬鹿を装うことの方が上手くなってしまって、自分さえ騙して、自分の中の悲鳴に、痛覚に鈍くなっていった。
何もかもを飲み下す。飲み下せなくなってきたのは、いつから?
「本当は、私、全然『いい子』なんかじゃない」
いい子でありたかった。可能な限りずっと、誰にもバレないように。そうすることで私を容認してもらえるなら、いくらだってへらへらと笑い続けるつもりだった。
でも、知ってしまった。
私はいい子なんかじゃないから、ずっといい子でいることはできない。このまま永遠に自分の首を絞め続けると死んでしまう。
タイムリミットは、もうすぐそこだ。