ピカレスクに心酔


どうしてこの人の前だと滞りなく涙が溢れるのだろう。
雫が何滴も床へ吸い込まれていく。ずっと我慢してきた嗚咽もとうとう堪え切れなくなって、子供のように泣きじゃくった。

平気なふりをするのは苦しい。本当の私を見て欲しい。駄目な部分も認めて欲しい。
ひたむきに、私を一番大切にして欲しい。

自分の泣き声だけがこだまする空間の中、胸中の靄が整理されて、傲慢であけすけな願いが鎮座する。

いい子でありたいと思っていたくせに、私は自分が一番大切だっただけだ。自己中心的で利己主義の、とんでもない暴君。悪魔は私の方かもしれない。

散々涙を零した。情けない声も上げた。ぼろぼろでぐちゃぐちゃで、立っているのがやっとだった。
それなのに、目の前の彼は一向に私に触れてこない。あまりにも静かだから、いなくなってしまったのかと思った。

忍といて初めて、私は私の涙を自分で拭った。晴れた視界の先で、笑いもせずただ真っ直ぐこちらを見つめる彼と出会う。


「忍?」


いつもの挑発的な瞳ではない。坂井の持つ緩やかな瞳とも違う。何の混じり気もない、純真な色。
見つめられていることには変わりないのに、捕まっただとか、逸らせないだとか、強制的な感想は抱かせない類いのもの。まるで少年のような無垢さで、興味を惹かれて。そんな他意のない視線を向けられている。


「いい子じゃなきゃ、駄目なの?」

< 49 / 75 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop