ピカレスクに心酔


坂井よりも少し低い声。彼(・)自身が放った問いであることは間違いない。
けれども、真っ直ぐ、他意はなく。単純に疑問だ、とでも言いたげなトーンに拍子抜けした。

階段を一つ降りて私との距離を詰めた忍は、そのまま平然と続ける。


「我慢しないで全部言えばいいのに。平気なふりするから好き勝手されるんだよ」


そんなことは分かっていた。できるならとっくのとうに喚いて怒鳴って騒いでいただろう。


「……無理だよ」

「何で」


私にはできない。少なくとも、今の私には。


「だって、嫌われるもん……みんな離れていっちゃう。我儘で聞き分けない私なんか、誰もいらないよ」


自分の口が紡いだ言葉は思いのほか拙く、声も頼りなかった。小学生――いや、幼稚園児の主張なのではないかと錯覚するほど、私の不安は脆い。


「嫌われればいいじゃん」


視線を決して逸らすことなく、彼が私の瞳と心臓を貫いた。


「自分が苦しい時にそばから離れていく奴を惜しまなくたっていい。もっと我儘になりなよ。助けて欲しいって、我慢しないでちゃんと言いなよ。今のあんたは、言う前に『誰も気付いてくれない』って諦めてるだけ」


朱南、と。すぐ目の前で私を呼ぶ声がする。


「ぶっ壊そうよ。そうやって自分を守ってる殻とか、無害なふりして傷つけてくる周りとか、全部」


――いい子なんて、クソ食らえだ。
荒々しい単語を吐き捨てた彼のあどけない笑顔に、鼓動が速くなるのを感じた。

< 50 / 75 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop