ピカレスクに心酔
坂井が目を伏せる。黒い瞳が再びこちらを向いた時、普段の温厚さとはかけ離れた鋭さが宿っていて息を呑んだ。
「俺、昨日九栗と何の話してた?」
昨日――それが昨晩の電話のことを指しているのは言うまでもない。
私が話したのはあくまで“忍”であり、坂井にその間の記憶がないのは当然のことだった。特別仲が良いわけでもないクラスの女子とのトーク画面に突然通話の記録が残っていたら、誰だって不審に思うだろう。
彼が私の回答を待っている。じっと静かに、心の奥を見透かすように。
深く息を吸った。
「え? 坂井覚えてないの?」
張り詰めた空気にそぐわない能天気な声を絞り出す。表情も硬くならないよう、大袈裟に眉根をひそめた。
「私が間違って電話かけちゃったんだよ。そしたら坂井が課題やってる途中だって言うから、そういえば私もやらなきゃと思って。でも全然内容分かんなくてさ、解き方そのまま教えてくれたじゃん!」
心臓がどくどくと内側で激しく主張している。
絶対にバレてはいけない嘘だ。忍との約束を破ることになってしまうし、坂井自身にも負荷がかかる。
でも、勝算はあった。坂井にとって記憶がなかった間のことを知る術は、私の証言を事実だと捉えることしかないのだ。