ピカレスクに心酔
雰囲気が和らいだ隙を見計らって、彼の隣の席へ腰掛ける。
「はは、何その口調」
「一応頼み事だから丁寧にいこうと思って」
使い方合ってる? と苦笑する坂井は、もう既にいつも通りの優しい目をしていた。
一人で集中したいからわざわざ自習室で勉強しているんだろうに、私が何回質問をしても怒らない。ゆっくり説明をして、私の理解度を確かめながら解法を教えてくれる。
その横顔を無意識のうちに眺めていたら、坂井が一瞬だけこっちを向いて、すぐに逸らしてしまった。
「俺の顔になんかついてる?」
「え? あ、ううん! ごめん、ぼーっとしてた!」
ちゃんと聞いてよ、と笑う彼の頬が僅かに赤い。それに気が付いたと同時、坂井がはにかむ。
「……あんまり見ないで」
不意に心臓を鷲掴みされて、胸の奥が苦しくなった。こみ上げる熱を誤魔化すように唇を噛んで堪える。
俯く坂井の顔を覗き込んだのは、完全にただの衝動だった。
彼の目と自分の目を通わせた刹那、坂井の両頬が朱色に熟れる。
「坂井、リンゴみたい」
「な――なに、どうしたの、急に」
意外だ。人に見られたところで、平然と流すタイプなのかと思っていた。
しどろもどろになっている彼の様子があまりにも新鮮で揶揄いたくなってしまう。ちょっとこれは可愛いかもしれない。
「ううん。何でもないよ」