ピカレスクに心酔


分かりやすく動揺してしまい、もごもごと尻すぼみになる。
羊が瞳を輝かせ、まさに口を開こうとした時だった。


「九栗」


ちょうど職員室から出てきた坂井が、私を呼び止める。
たったそれだけなのに大袈裟なくらい心臓が跳ねてしまうのは、タイミング悪くバレンタインの話なんかしていたからだ。それ以外にない。


『朱南ちゃんは、誰かにチョコ渡すの?』


――だって、咄嗟に浮かんだ顔がこの人だったから。


「な、なに?」


平静を装って立ち止まった。片手で前髪を直している自分に気が付いて、猛烈に恥ずかしくなる。


「今週の委員会のことなんだけど、」


お願い、どうかバレませんように。
頬が熱いのも、心臓が早鐘を打っているのも。知られたら困るのに、知って欲しいなんて、正反対の思いが交錯している。

ゆっくりと顔を上げた。
手に持っているプリントを眺める彼の睫毛が、思いのほか長い。

その伏せられた黒い瞳がこちらを向いた瞬間――僅かに私とかち合ったのも束の間、すぐ横に彼の視線がずれた。


「……ごめん、やっぱり後で話すね」


早口で一方的に締められた会話。坂井はそのまま足早に教室へ戻っていった。

彼の様子に違和感を覚えつつも、なんとはなしに羊へ話しかけようとした時。


「羊?」

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