偽りの婚約者さまは、この関係を終わらせる気がない!
 船内へ入ると、外から見ていたときよりもずっと落ち着いた空間が広がっていた。

 ホテル経営を母体とする会社ではなく、クルーズ事業と和食を中心に展開してきた飲食会社が共同で始めたサービスらしく、船内もホテルのダイニングとは少し雰囲気が違う。

 先に少し散策し、大きな窓の向こうを流れていく夜景を眺めながら案内された席につく。船内にはピアノ演奏の音色が流れていた。

 最初に出てきたのは季節の食材を少しずつ盛り合わせた前菜。器の中にまで景色が作られているような繊細さに、思わず見入ってしまった。

「きれい……。食べるのもったいないですね」
「でも食べるんだろ?」
「もちろんです」

 そう答えて口に運ぶと、今度は味に驚いて、また慧さんに笑われた。

 刺身も、出汁の香りが優しい椀物も、焼き物も、ひとつひとつは決して派手ではないのに、食材の味がきちんとわかる。
料理が運ばれてくるタイミングも絶妙で、窓の外の景色が変わっていくことまで含めて、食事そのものがひとつの体験として作られているようだった。

 それなのに私たちは、途中から料理を純粋に楽しむより先に、仕事目線で分析し始めていた。

「うちも和食をもう少し重点的に入れてもいいかもしれないな。ホテルだと、どうしても華やかさを出しやすい洋食を前面に出しがちだろ」
「……ふふっ」

 あまりにも真剣な顔で言うものだから、堪えきれずに笑ってしまった。

「なんだよ」
「いえ。デートに来たのに、やっぱり仕事の話するんだなと思って」
「あ……」

 慧さんはそこで初めて気づいたように目を瞬かせた。

「すまない」
「いいえ。私も同じこと考えてましたから」

 首を振りながら、また笑ってしまう。

「じゃあ、お互いさまだな」
「そうですね」

 仕事の話をしないように無理をして、普段とは違う自分を演じるより、目の前の料理を食べて仕事のアイデアが浮かんだらそのまま話して、二人で面白がっているほうが、私たちらしい気がした。
< 113 / 159 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop