偽りの婚約者さまは、この関係を終わらせる気がない!

 営業企画部長への昇進内示を受けた日、父からグループ本社の社長室へ来るよう連絡が入った。
 呼び出される理由は、だいたい想像がついた。

「部長昇進の内示が出たそうだな」
「……あなたが何かしたのですか」

 祝いの言葉を聞くより先に確認すると、父がわずかに眉を寄せた。

「現部長から後押しがあっただけだ。実績もあるし、周りからの評判も含めてな」
「本当ですね」
「そこまで疑うか?」
「疑われても仕方のない立場でしょう」

 父がその気になれば人事に影響を与えることくらい難しくない。
 だからこそ、父には、俺が高遠グループに入るときに仕事に関する忖度をするのは絶対にやめてくれと伝えてあった。

「私が口を出したわけじゃない。今回の人事に関しては、お前が私の息子だと知らない人間ばかりだ」
「なら、いいです」

「出世は嫌か?」
「仕事で成果を出して、それを評価されることは嫌ではありません。ただ、役職が欲しくて仕事をしているわけではないだけです」

 父が少しだけ口元を緩めた。

「そういうところは私に似ているな。お前は実力も人望もある。私は、お前が高遠グループを継ぎたいと思うなら、そうしてほしいと思っているよ」
「ご冗談を。俺が高遠グループに入ったのは、あなたのためでも会社のためでもありません。翠のためです。翠が将来、継ぎたくないと言ったときに、それを選べるようにしておきたい。そのために俺はここにいる。そこだけは誤解しないでください」

 きっぱりと言うと、父はしばらく俺を見てから、諦めたように息を吐いた。

「お前は昔から翠には甘いな」
「甘いんじゃありません。翠には選択肢を残しておきたいだけです」
「お前にも選択肢はある」
「あるように扱われた覚えはありませんけどね」

 父の表情がわずかに硬くなった。
 言いすぎたとは思わなかった。

 昔から、『お前はどうしたい』と聞かれた記憶はひとつもない。こうしろ、と命令ばかりだった。
 母の名字になったことだけは、母の強い希望があって、俺は母の希望通りにした。

 しかしそれ以外俺は、どうしたいかではなく、どうするのが一番いいのか。何を選ぶのが一番合理的なのか。そればかりを考えてきた。それが一番反対を受けないからだ。

「役職や立場が意識を作っていくんだ。今はそう思っていても、部長として責任を持つようになれば、見えるものも変わる。その先にグループ全体を背負う立場があると考えるようになるかもしれない」
「変わりません」

「随分言い切るな」
「役職を与えられたくらいで、会社を継ぎたいと思うほど単純ではありませんから」

「これは話していても平行線だな。まあいい。とにかく昇進おめでとう。それと、部長になるなら、そろそろ結婚もしておいたほうがいい。付き合っている相手はいないのか」
「いませんし、必要ありません」

「今後、それ以上になるなら必要になる。見合いの席を設けよう。坂本グループのお嬢さんなどどうだ」

 まただ、と思った。

 部長になる。その先へ進むには結婚が必要。
 結婚するなら、高遠にとって都合のいい相手を選ぶ。

 父の中では、それがすべて一本の線でつながっている。

 俺が結婚したいのかしたくないのか。
 そんなことは、最初から考慮する必要すらないらしい。
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