偽りの婚約者さまは、この関係を終わらせる気がない!
 仕事の外出先から会社に戻ったら、定時を回っていた。
 もう報告書だけ書いて帰ろうかと思いながら使用のスマートフォンを確認してみると、理玖から届いたメッセージがいくつも並んでいる。

 それを開くことなく画面を伏せ、小さくため息をついた。

「どうした、顔色が悪いぞ。何か仕事でトラブルでもあったか?」

 不意に頭上から声をかけられて顔を上げると、部長会議へ向かう途中だったらしい久世部長だ。
 ちなみに部長会議は定時後に行われる、現代にしては珍しい会議だ。わが社唯一の定時後の会議である。

「いえ……なんでもないです。仕事も特に問題ありません」
「そうか。ならいいんだが……片瀬、ひとつだけいいか」
「はい」

「俺は、もちろんほかの部員もそうだが、片瀬のこともかなり高く評価してる。仕事には真面目だし、任せたことは最後までやり遂げるし、忙しいときでも周りをよく見てるだろ。そういう姿勢に引っ張られてる人間もいるし、今の営業企画部にとって欠かせない存在だと思ってる」
「え……ありがとうございます」

 突然なんだか褒められ、私は少しむずがゆい気持ちになる。
「ただ、」と部長は続けた。

「もう一段上に行くために、ひとつだけ直したほうがいいと思ってるところもある」

 久世部長は私を叱るわけでもないように、同じ落ち着いた表情でこちらを見ていた。

「片瀬は、なんでも自分ひとりで解決しようとしすぎる。もちろん、それ自体は悪いことじゃない。まず自分で考える姿勢は大事だ。ただ、本当に困ったときまでひとりでどうにかしようとする必要はない」
「……はい」

「本当に困った時には、助けの手を差し出されたら迷わず掴め。遠慮する必要もないし、自分でなんとかできるなんて意地を張る必要もない。もし俺でも、部のみんなでも、きっと片瀬を全力で助けるから。そこだけは躊躇するなよ」
「……わかりました。覚えておきます」

「ならいい。じゃあ、会議に行ってくる」

 私が頷くのを確認すると、久世部長はそれ以上追及することもなく踵を返し、そのまま会議室へ向かって歩いていった。
きっとさっきのため息を仕事上の悩みだと思ったのだろうと、その背中を見送りながらもう一度息を吐いた。

 本当は仕事ではなく、別れたはずの元彼から毎日のように連絡が届くことにうんざりしている――なんて、直属の上司に言えるはずもない。
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