偽りの婚約者さまは、この関係を終わらせる気がない!
――そして、そんな日のすぐあとのこと。
「ただいま帰りました」
「おかえり」
玄関を開けると、すぐに慧さんの声が返ってきた。
靴を脱ぎながら顔を上げると、慧さんがこちらへ歩いてくる。つい顔がへにゃりと緩んでしまった。
「今日は早かったんですね」
「悠里が今日は早く帰れるって言ってただろ。俺も早く帰ってきた」
「……わざわざ?」
「一緒にいたかったからな」
あまりにも当然のように言うので、思わず笑ってしまった。
こういうところは付き合い始めた頃から変わらない。
「お腹すきました。何か作りますね」
「簡単なものならもう作ってあるよ」
「さすが慧さん」
「その前に」
手を引かれ、そのままソファに座らされる。
「はい」
目の前に差し出されたものを見て、思わず顔がほころんだ。
よく冷えた缶ビールだった。
「……最高!」
「だと思った」
慧さんも隣へ座り、自分の缶を手に取る。
「じゃあ、今日もお疲れさま」
「慧さんも、お疲れさまでした」
「乾杯」
「乾杯」
缶と缶が軽く触れ、澄んだ音が響いた。
一口、喉へ流し込むと、冷たい炭酸が身体の中へ落ちていき、今日一日ずっと張りつめていたものが一気にほどけていく。
「あー……おいしい!」
「本当に幸せそうに飲むな」
「だって、これのために今日も頑張ってたんですよ。それに今は、慧さんと一緒に飲めるのがすごく嬉しいです」
そう言うと、慧さんが少しだけ目を細めた。
実は偽物の関係で付き合うよりもかなり前に、慧さんと外で缶ビールを飲んだのだけど彼は覚えているだろうか?
あの時は、まさかこんなふうになるなんて想像もできてなかった。あの時の私が知ったら心底驚くだろう。
きっと慧さんも同じだよね。そう思ってつい笑みが溢れた。
「俺も幸せ。こうして悠里と一緒に一日を終えたいから、今日も頑張ろうと思える」
伸びてきた彼の手が、そっと私の頬に触れる。
そのまま顔を見合わせているうちに、どちらからともなく距離が縮まり、唇が重なった。
ほんの短いキスだったのに、離れて目が合うとなんだかくすぐったくなって、私が笑えば、慧さんも同じように笑う。
こんなふうに一日を終えられることが、今ではもう当たり前になりつつある。
それが、たまらなく幸せだった。