偽りの婚約者さまは、この関係を終わらせる気がない!
 慧さんとは相変わらず、ときどき二人でランチをしている。

 ただ、プロジェクトが始まってからはプライベートな話をする時間はめっきり減って、気づけば仕事の相談をしていることのほうが多くなっていた。

 今日も会社から少し離れた店で向かい合って座り、注文したランチが運ばれてくるのを待っていると、慧さんが私の顔をじっと見た。

「きちんと休めてるか?」
「はい、それは一応……。でも、寝る前にいいアイデアが浮かんだりすると、そこから考え始めちゃって眠れなくなることはありますけど」

「ああ、それはわかるな。俺も昔よくなった」
「昔ってことは、今は?」

「今は、寝ないと翌日の仕事に響くって身に染みてるからな。いいアイデアだと思っても、とりあえずメモだけして寝る」

 そう言って慧さんは笑った。
 こうして仕事の話をしているときの慧さんは、やっぱり私の上司なのだと思う。それなのに会社で見る久世部長とはどこか違って、二人きりのときには表情も声も少し柔らかく、その違いにもすっかり慣れてしまった自分がいる。

「休めるときにはちゃんと休めよ。無理して潰れたら意味がない。それも仕事のうちだからな」
「はい。気をつけます」

「支配人のほうはどうだ?」
「ハハ……なかなか手強いですけど」

 思わず乾いた笑いが漏れた。
 L'ÉCRIN東京の支配人、南野武さんは、ひと言で言えばかなり個性的な人だ。

 日本人の両親のもとに生まれたものの、幼い頃から長くアメリカで暮らし、現地のホテルでキャリアを積んだあと、日本へ戻ってきたという経歴を持っている。
 日本語そのものは流暢で、発音も言葉遣いも綺麗なのだけれど、日本特有の曖昧な言い回しや、相手の意図を察して動くようなやり方をひどく嫌う。

『それは誰にとってのメリットですか?』
『なぜL'ÉCRINでやる必要があるんですか?』
『ほかのホテルでもできることなら、うちでやる意味はありません』

 企画を持っていくたび、容赦なく突っ込まれるので、打ち合わせが終わる頃には毎回ぐったりしてしまう。
 しかも、これまで担当していたのが慧さんだ。

 長年かけて信頼関係を築いてきた慧さんから、突然私へ担当が変わるのだから、南野支配人が簡単に納得できないのも当然だと思う。
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