四浦のあまやどり〜雨のち晴れ、ときどき青い奇跡〜

晴れの日の「あまなぎ」

その日は、珍しく晴れていた。

四浦の空には雲がほとんどなく、青い空がどこまでも広がっている。

いつも雨の日にだけ開く喫茶店「あまなぎ」。

けれど今日は――休みだった。

夕凪は店内の奥にある、自分の家でゆっくり過ごしていた。

店と家が一緒になっている「あまなぎ」では、店を休みにすると、そのまま家で休むことができる。

朝から掃除を少ししたあとは、のんびりお茶を飲んでいた。

「今日は、ゆっくりしようかな」

そんなことを考えながらソファに座っていた、そのとき。

コンコン。

小さな音がした。

「……?」

夕凪は顔を上げた。

もう一度。

コンコン。

今度ははっきり聞こえた。

玄関の扉を叩く音だった。

「誰だろう?」

今日は店休日。

予約もない。

夕凪は立ち上がって、玄関へ向かった。

扉を開ける。

そこに立っていたのは――

「……しずくちゃん?」

小さな女の子だった。

「あ……夕凪さん」

しずくは少し恥ずかしそうに笑った。

「こんにちは」

「こんにちは。どうしたの?」

夕凪がしゃがんで目線を合わせる。

すると、しずくは首を傾げながら聞いた。

「今日、あまなぎ……お休みなの?」

「うん。今日はお休みだよ」

「そっか……」

しずくは少しだけ残念そうな顔をした。

夕凪はそんな表情を見て、思わず笑った。

「どうしたの?」

しずくは小さな声で答える。

「……夕凪さんに会いたくて来たの」

「私に?」

「うん」

しずくは頷いた。

「遊びに来たの」

夕凪の胸が、ぽっと温かくなった。

今日は晴れの日。

「あまなぎ」が開いていないことも分かっていたはずなのに。

それでも会いに来てくれた。

「そっか」

夕凪は笑った。

「じゃあ……今日は特別ね」

「いいの?」

「うん。入っておいで」

「ありがとう!」

しずくは嬉しそうに靴を脱いだ。

店内へ入る。

今日は営業していないから、いつもの「あまなぎ」とは少し違う。

テーブルもきれいに片付いていて、静かな店内。

「ここ、いつもと違うね」

しずくが辺りを見回す。

「今日はお休みだからね」

「なんか、ふしぎ」

「そう?」

「うん」

しずくは楽しそうに笑った。

夕凪は厨房へ向かった。

「しずくちゃん、オレンジジュース飲む?」

「飲みたい!」

夕凪はグラスにオレンジジュースを注いで、しずくの前に置いた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

しずくは両手でグラスを持って、一口飲む。

「おいしい」

「よかった」

しずくはオレンジジュースを飲みながら、夕凪の顔を見る。

「夕凪さん」

「ん?」

「今日ね、本当に会いたくて来たの」

「うん」

「遊びに来たの」

もう一度、しずくは言った。

夕凪は優しく笑う。

「嬉しいよ」

「ほんと?」

「ほんと」

しずくは安心したように笑った。

二人はしばらく、いろんな話をした。

学校のこと。

好きな食べ物のこと。

最近見たもの。

しずくが描いた絵のこと。

夕凪は、しずくの話を一つずつ聞いた。

急がせることもなく。

途中で遮ることもなく。

ただ、ゆっくり。

やがて時計を見ると、夕方になっていた。

「そろそろ、おじいちゃんたちに連絡しようか」

「うん」

夕凪はしずくに尋ねる。

「おじいちゃんと、お兄ちゃんに連絡していい?」

「うん!」

夕凪は連絡をした。

しばらくすると、外から足音が聞こえてきた。

「あまなぎ」の扉が開く。

「しずく!」

お兄ちゃんの声。

「おじいちゃん!」

しずくが嬉しそうに立ち上がる。

おじいちゃんも一緒だった。

「夕凪さん、今日はすみません」

「いえいえ」

夕凪は笑う。

「しずくちゃんが遊びに来てくれたんですよ」

おじいちゃんは、しずくを見る。

「そうか」

「夕凪さんに会いたくて来たの」

しずくが言う。

おじいちゃんは少し驚いたあと、優しく笑った。

「そうかそうか」

お兄ちゃんも、

「しずくらしいな」

と笑った。

そのとき、夕凪はふと思いついた。

「せっかくだから、ケーキ食べていかない?」

「ケーキ?」

しずくの目が輝く。

「うん」

夕凪は冷蔵庫を開けた。

そこには三種類のケーキがあった。

レアチーズケーキ。

チーズケーキ。

そしてチョコレートケーキ。

「三人で食べようか」

「やった!」

しずくが喜ぶ。

夕凪はそれぞれのお皿にケーキを用意した。

「おじいちゃんは、レアチーズケーキ」

「ありがとう」

「お兄ちゃんは、チーズケーキ」

「いただきます」

そして最後に――

「しずくちゃんは、チョコレートケーキ」

「わあ!」

しずくは嬉しそうに笑った。

「私の?」

「うん。しずくちゃんの」

「ありがとう、夕凪さん!」

三人でテーブルを囲む。

おじいちゃんはレアチーズケーキをゆっくり食べる。

「うん……美味しいな」

お兄ちゃんもチーズケーキを一口。

「やっぱり、ここのチーズケーキ好きだな」

しずくはチョコレートケーキを一口食べる。

「おいしい!」

「よかった」

夕凪も嬉しそうに笑った。

晴れた日の「あまなぎ」。

本当なら、お客さんを迎えることのない休日。

でも今日は――

一人の小さなお客さんが、夕凪に会いに来てくれた。

しずくが帰る時間になる。

「今日は楽しかった?」

夕凪が聞く。

「うん!」

しずくは大きく頷いた。

「夕凪さんに会えてよかった」

「私も、しずくちゃんに会えてよかったよ」

「また来てもいい?」

「もちろん」

「晴れの日でも?」

夕凪は少し考えてから笑った。

「晴れの日は、お休みだけど……」

しずくの顔を見る。

「また会いたくなったら、来ていいよ」

「ほんと?」

「うん」

しずくは嬉しそうに笑った。

「じゃあ、また来るね!」

「うん。またね」

おじいちゃんとお兄ちゃんに手を引かれながら、しずくは帰っていく。

扉の前で振り返って、

「夕凪さん、ばいばーい!」

と手を振った。

「ばいばい、しずくちゃん」

三人が帰っていく。

夕凪はしばらく、その背中を見送っていた。

今日は晴れの日。

雨は降っていない。

だから「あまなぎ」は、本来なら休み。

それでも――

誰かが会いたいと思って来てくれる。

誰かの「会いたい」が、誰かの心を温める。

夕凪は静かに笑った。

「……晴れの日も、悪くないな」

青い空の下。

四浦の海が、きらきらと光っていた。

今日だけは、雨のない「あまなぎ」にも――

小さな笑顔が灯っていた。
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