死に損ないの巫女と十年の時を刻む春楡
「……ハルニレ」
——記憶からすっかり零れ落ちていた。ハルニレや、トキさん、ツルさんと過ごした和やかな時間。どうして忘れていたんだろう。私を慕う「異邦人」の少年。別れの際に、私に結婚の約束をしてくれた……。
けれど、ハルニレの、私を心の底から案じるような懸命な様子は——、私の神経をざらつかせた。
激しい衝動が湧き起こる。突き放してめちゃくちゃにしてしまいたい。
「……ねえ、ハルニレ。あなたはどうして私が泉に沈んでいたか知っている?」
噛み付くように声をあげる私に、青い瞳が動揺に揺れた。なにか口に出そうと逡巡するハルニレを遮り、乱暴に畳みかける。
「私は処刑されたの……!」
「なず……」
「わかるよね!? 私はこの世界に要らない存在なの!」
寒空に響き渡るのも構わずに声を荒げる。
もう今更——遅いんだ。
私はもう、ハルニレの知るなずなではない。
「だから……この手を離して!」
大きな手を振り解こうと力の限り腕を振り上げる。思いの外力強いその手はぴくりともしない。私は狂ったように叫び、身を捩った。
「離してってば! 私はお父様を殺すこともできない臆病者で、偽善者なの! こんな偽善者生きてる意味ない! そうよ……私の優しさなんて、何もかも無駄だった——」
「無駄なんかじゃない……っ!」
突然、慟哭のような、激しい叫びが私を遮った。
私の頬に温かい雨が降ってくる。
見上げると、ハルニレの青い瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「……僕を、見てくれ……」
熱っぽい大きな手が、そっと私の頬を包む。壊れ物に触れるような優しい手つき。私の体は、魔法にかけられたように動けなくなる。——なんで、そんなに優しく触れるのよ。ハルニレの涙が私の頬を、着物の肩を濡らしていく。
「君のその『優しさ』があったから、僕は生きられた。君が教えてくれた文字で、君がくれた温もりで、僕は今日まで生きてこられたんだ……っ」
青い瞳が涙を湛え、泉のようだ。ハルニレの声が大きく震えた。
「君が自分を偽善者だと笑うなら……僕のこの命全部が、君の優しさでできた偽物だと言うのか……!?」
ハルニレの懸命な様子に、私の凍りついた魂が絆されていくのを感じる。
「でも……っ」
気付けば、私の瞳も涙で濡れていた。
「私、何のために生きていけばいいのか……もうわからないよ。信じてたもの——家族も、巫女の立場も——全部なくなってしまった。だって、この世界は私がいなくてもこんなに満ちてる。もう帰るところだってない」
「それなら」
頬を包む手のひらに熱が籠る。
「……君は僕のためだけに生きればいい」
私の両眼から温かいものが次々と溢れ、流れた。
「僕はこの十年間、君のことだけを思い生きてきた。君のような人がいると知って、憎しみの対象でしかなかった世界を好きになれた。だから……お願いだ」
滲む視界の中で、ハルニレが真っ直ぐ私を見据える。
「……生きてくれ、なずな」
「……っ、」
懐かしい人の腕の温かさに怨嗟と孤独が溶けていく。私の信じた『優しさ』は偽善的な不幸の種なんかじゃなく、誰かに響き、救いになっていたということ。胸を滾る黒々しい怒りの感情でさえ、受け止めてくる温かな腕がここにあること。——私は一人じゃないということ。
「……っ、……私……」
顔を上げる。
私はどうして気付かなかったんだろう。その人はずっと傍で私を守り、助けていてくれたのに。
「あなたのこと、全部忘れて……」
ごめんなさい、と涙声で呟くと、ハルニレは自分が濡れてしまうのも構わず、濡れそぼった私を強く抱きしめた。
「いいんだ」
「……っ」
「遅くなって——辛い思いをさせてごめん、なずな」
ハルニレの金色の髪が、月光を浴びてキラキラと輝く。
私はわあああん、と子供のように声を上げて泣いた。
——記憶からすっかり零れ落ちていた。ハルニレや、トキさん、ツルさんと過ごした和やかな時間。どうして忘れていたんだろう。私を慕う「異邦人」の少年。別れの際に、私に結婚の約束をしてくれた……。
けれど、ハルニレの、私を心の底から案じるような懸命な様子は——、私の神経をざらつかせた。
激しい衝動が湧き起こる。突き放してめちゃくちゃにしてしまいたい。
「……ねえ、ハルニレ。あなたはどうして私が泉に沈んでいたか知っている?」
噛み付くように声をあげる私に、青い瞳が動揺に揺れた。なにか口に出そうと逡巡するハルニレを遮り、乱暴に畳みかける。
「私は処刑されたの……!」
「なず……」
「わかるよね!? 私はこの世界に要らない存在なの!」
寒空に響き渡るのも構わずに声を荒げる。
もう今更——遅いんだ。
私はもう、ハルニレの知るなずなではない。
「だから……この手を離して!」
大きな手を振り解こうと力の限り腕を振り上げる。思いの外力強いその手はぴくりともしない。私は狂ったように叫び、身を捩った。
「離してってば! 私はお父様を殺すこともできない臆病者で、偽善者なの! こんな偽善者生きてる意味ない! そうよ……私の優しさなんて、何もかも無駄だった——」
「無駄なんかじゃない……っ!」
突然、慟哭のような、激しい叫びが私を遮った。
私の頬に温かい雨が降ってくる。
見上げると、ハルニレの青い瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「……僕を、見てくれ……」
熱っぽい大きな手が、そっと私の頬を包む。壊れ物に触れるような優しい手つき。私の体は、魔法にかけられたように動けなくなる。——なんで、そんなに優しく触れるのよ。ハルニレの涙が私の頬を、着物の肩を濡らしていく。
「君のその『優しさ』があったから、僕は生きられた。君が教えてくれた文字で、君がくれた温もりで、僕は今日まで生きてこられたんだ……っ」
青い瞳が涙を湛え、泉のようだ。ハルニレの声が大きく震えた。
「君が自分を偽善者だと笑うなら……僕のこの命全部が、君の優しさでできた偽物だと言うのか……!?」
ハルニレの懸命な様子に、私の凍りついた魂が絆されていくのを感じる。
「でも……っ」
気付けば、私の瞳も涙で濡れていた。
「私、何のために生きていけばいいのか……もうわからないよ。信じてたもの——家族も、巫女の立場も——全部なくなってしまった。だって、この世界は私がいなくてもこんなに満ちてる。もう帰るところだってない」
「それなら」
頬を包む手のひらに熱が籠る。
「……君は僕のためだけに生きればいい」
私の両眼から温かいものが次々と溢れ、流れた。
「僕はこの十年間、君のことだけを思い生きてきた。君のような人がいると知って、憎しみの対象でしかなかった世界を好きになれた。だから……お願いだ」
滲む視界の中で、ハルニレが真っ直ぐ私を見据える。
「……生きてくれ、なずな」
「……っ、」
懐かしい人の腕の温かさに怨嗟と孤独が溶けていく。私の信じた『優しさ』は偽善的な不幸の種なんかじゃなく、誰かに響き、救いになっていたということ。胸を滾る黒々しい怒りの感情でさえ、受け止めてくる温かな腕がここにあること。——私は一人じゃないということ。
「……っ、……私……」
顔を上げる。
私はどうして気付かなかったんだろう。その人はずっと傍で私を守り、助けていてくれたのに。
「あなたのこと、全部忘れて……」
ごめんなさい、と涙声で呟くと、ハルニレは自分が濡れてしまうのも構わず、濡れそぼった私を強く抱きしめた。
「いいんだ」
「……っ」
「遅くなって——辛い思いをさせてごめん、なずな」
ハルニレの金色の髪が、月光を浴びてキラキラと輝く。
私はわあああん、と子供のように声を上げて泣いた。