君の涙は春になる。
 けれど、やさしい時間は長くは続かなかった。

ベンチを立って駅へ向かう途中、湊のスマートフォンが震えた。
画面を見た彼の表情が、ほんの少しだけ変わる。

やわらかかった空気が、すっと引いていくのがわかった。

「ごめん。出る」

「うん」

湊は少し離れた場所で電話に出た。
声は低く抑えられていて、内容までは聞こえない。
けれど、短く答えるたびに横顔が固くなっていく。

紬は見ないふりをした。
見てはいけない気がしたからだ。
でも、胸の奥がざわつく。

電話を切って戻ってきた湊は、いつもの顔に戻ろうとしていた。
けれど完全には戻れていなかった。

「ごめん、今日はもう帰る」

「何かあったの」

聞いたあとで、踏み込みすぎたかもしれないと思った。
けれど湊は少し迷ってから、静かに言った。

「弟が熱出したみたいで」

紬は目を見開いた。

「弟くんいるの」

「うん。小学生」

それも初めて知った。
知らないことが、まだたくさんある。
当たり前なのに、それが少しだけ寂しい。

「そっか……大丈夫かな」

「たぶん。母さん今日遅いから、俺が帰る」

紬は、その言葉に小さくうなずいた。
彼の家の事情はわからない。
でも、なんとなく見えてしまうものがある。

帰って世話をする人が必要なこと。
それを当たり前みたいに引き受ける湊がいること。
彼がときどき見せる疲れた影は、そこにつながっているのかもしれないということ。
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