ベリーズカフェ15周年記念オリジナル短編『幸せのバタートースト』坂井志緒/著
 今日は午後三時から、素材の仕入れ先である商社の担当者、大貫(おおぬき)さんとの打ち合わせを予定している。いつもはどちらかのオフィスで行うことが多いのだが、今回は「予算消化のため、接待費を使わせてほしい」とのことで、なんとシャトー・ジャルダンのロビーラウンジでのアフタヌーンティーを指定された。

「大貫さん、お待たせしました」

 待ち合わせの十分前にラウンジへ入ると、大貫さんはすでに到着していた。

「森川社長。いつもお世話になっております」

「こちらこそ。今回は素敵な場所へのご招待、ありがとうございます」

「いやいや、こちらこそ。僕は酒が飲めませんので、こういう使い方しかできなくて」

「そういえばそうでしたね。素敵な使い方だと思いますよ」

 大貫さんは私と同世代で、ザ・サラリーマンといった雰囲気の男性だ。トレードマークはシルバーフレームの丸メガネ。物腰は柔らかいが仕事はきっちりこなしてくれる頼れるビジネスパーソンで、スリステ事業の重要なパートナーだ。

 まずは香り高い紅茶とセイボリーをいただきつつ、テーマパークとのコラボが決まったことと、それに伴って素材を発注する量が一時的に増えることを話した。

「なるほど、そんなに使いますか。生産が追いつくかな……」

「確実に仕入れる必要があるので、今のうちからストックしておけませんか」

 ローテーブルには三段のティースタンドと紅茶ポット、そして印刷した資料とノートパソコン。周囲はカップルや女子会グループが多く、笑い声が絶えない。まじめな顔で固い話をしているのは私たちくらいだ。

「まずは今弊社にある在庫を、全部御社用に確保しますね。あとはメーカーに相談して――」

「二回目、三回目の生産もありうるので、その分も見据えて確保を――」

「でしたら、一度メーカーも交えて打ち合わせを――」

 ラウンジの華やかな雰囲気の中、私たちの打ち合わせは静かに白熱していた。

「わかりました。直近で来週には……」

 手帳から顔を上げた時だった。大貫さんの肩越しに見えた光景に、私は思わず言葉を失った。

 仕立てのいいスーツではなく、スポーティーな私服姿の御園さんが女性と腕を組んで歩いている。女性の顔はサングラスでよく見えないが、あの骨格とブリュネットヘアはおそらくヨーロッパ系の外国人だ。まるでモデルのようなしなやかな体型で、高いヒールのサンダルがよく似合っている。着ている服や持っているバッグから、彼と同じレベルのお金持ちのお嬢様であろうことは、なんとなくわかった。

 今朝は連絡がなかったけれど、シンガポールから帰国してたんだ。そりゃあ私に連絡なんてしないよね。素敵な女の人、連れてるんだもん。送られてきた写真を撮ったのも、きっとあの人だ。

 なぁんだ、やっぱりね。本気になんて、しちゃいけなかった。

 御園さんもパーカーなんて着るんだ。意外と似合ってるじゃん。

 私はスーツ姿しか見たことがない。会う時はだいたい仕事の前だし、仕事の後に会ったのもたったの一回だ。連絡を取り合うようになって彼のことを知った気になっていたけれど、私は彼の私服姿すら見たことがなかった。

 つまり彼には、私をその領域まで踏み込ませるつもりなんてなかったのだ。

 バカだな、私。ちょっと甘い言葉をかけられたくらいで、まんまと好きになっちゃって。

ほんと、自分がチョロくて嫌になる。

 ふたりは腕を組んだまま、エレベーターホールへと去っていった。

「森川社長?」

 大貫さんに名を呼ばれ、我に返る。

「すみません。知人がいた気がしたんですけど、見間違いでした。打ち合わせの日程の話でしたよね。それなら――」

 仕事しよう。頭の中を仕事のことでいっぱいにして、彼のことなんか忘れてしまおう。

 彼は明日、ボスケには来ないだろう。でもいつか顔を合わせた時、普通の顔をして話せるよう、イメトレくらいはしておかなくちゃ。
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