ベリーズカフェ15周年記念オリジナル短編『幸せのバタートースト』坂井志緒/著
シャンパンのボトルを空け、そのあと一杯ずつカクテルを飲み干したところでバーを出た。来た時と同じVIP用のエレベーターに乗り、地下へ。降りていく感覚を味わいながら気づいた。私、結構酔っている。
「足元、気をつけて」
シャンパンを空けたとは思えないほど顔色の変わらない彼にエスコートされながらエレベーターを出た。頭がふわふわしているけれど、これだけは忘れたくない。
「いくらだった? 払わせて」
尋ねると、彼は爽やかに「俺のホテルだから、タダだよ」と笑った。
「そんなわけない」
席のチャージ料金とカクテル一杯くらいはマネージャー権限でどうにでもなるかもしれない。でも、シャンパンを一本空けているのだ。
目で圧をかけると、彼は観念したように言った。
「う〜ん。今夜は俺が強引に連れてきたんだし、おごらせてほしいんだけど」
私だって、普通のバーで普通のカクテルを飲んだだけなら、ありがたく「ごちそうさま」と言える。
「でも……」
シャトー・ジャルダンのスカイバーでシャンパンを空けたとなると、金額の桁が違う。そんな額をおごっていただくような関係ではない。
視線で圧をかけ続けると、彼は少し考える素振りを見せた。
「じゃあ、次のデートは明菜さんに出してもらおうかな」
「わかった。次は絶対に私が出すから!」
食い気味に答えてハッとした。これで私は、彼と次のデートをせざるを得なくなった。
「じゃあ俺は、その時に宿題提出するね」
「いや、それは忘れていいから……」
ふと彼の術中にハマっていることに気づき、冷静になっていく。つい二時間前まで落ち込んでたのに、浮かれちゃって。私って本当にチョロい。
「ふふっ……」
自嘲が鼻から漏れた。急に笑い出した私を見て、彼が首をかしげる。
「明菜さん?」
「ごめん、なんでもない」
今は浮ついている場合じゃないのに。本当にダメだな、私。
「そんな顔、させたくないんだけどな」
彼はそう言って、不意に距離を縮めてきた。息を呑む間もなく、私の視界は仕立てのいい彼のジャケットに覆われた。
「へ……? え、なに?」
あたたかくて、ほんのりいい匂い。いやいや、そんなことより。
もしかして私今、御園さんに抱きしめられてる?
「また苦しそうな顔になったから。ハグすると、ストレスがいくらか吹っ飛ぶらしいよ」
「ストレス以外のものも吹っ飛んでいった気がするんだけど」
酔いとか、理性とか、平常心とか。
「吹っ飛んで空いた部分を、俺でいっぱいにしてくれない?」
「たぶんもうそうなってる。でも……そう簡単には応えられないよ」
いい歳だし、会社だってある。いくら御園さんが素敵でも、信じていいという確信がない限り、彼の胸に飛び込むことはできない。
「わかってる。明菜さんは俺を、ただ利用するだけでもいいんだ」
「利用って……そんな言い方」
「美味い酒をおごらせる相手でも、愚痴を聞かせる相手でも、弱音を吐く相手でも、なんでもいい。俺は、明菜さんに構ってもらえるだけで、すごく嬉しいから」
耳元で囁かれる言葉が甘い痺れとなって、心地よく全身に広がっていく。
すごいなぁ、御園さん。どんな言葉を使えば女性が喜ぶか、本当によくわかってるんだ。
「とりあえず……御園さん」
「うん」
「今夜は美味しいお酒をごちそうさまでした」
「こちらこそ、楽しい時間をありがとう」
彼は明日の朝、きっとボスケに来るだろう。私たちの朝は、今までとはちょっとだけ色が変わるに違いない。
私はそのことに期待と不安を抱きながら、彼が呼んでいたタクシーに乗ったのだった。
「足元、気をつけて」
シャンパンを空けたとは思えないほど顔色の変わらない彼にエスコートされながらエレベーターを出た。頭がふわふわしているけれど、これだけは忘れたくない。
「いくらだった? 払わせて」
尋ねると、彼は爽やかに「俺のホテルだから、タダだよ」と笑った。
「そんなわけない」
席のチャージ料金とカクテル一杯くらいはマネージャー権限でどうにでもなるかもしれない。でも、シャンパンを一本空けているのだ。
目で圧をかけると、彼は観念したように言った。
「う〜ん。今夜は俺が強引に連れてきたんだし、おごらせてほしいんだけど」
私だって、普通のバーで普通のカクテルを飲んだだけなら、ありがたく「ごちそうさま」と言える。
「でも……」
シャトー・ジャルダンのスカイバーでシャンパンを空けたとなると、金額の桁が違う。そんな額をおごっていただくような関係ではない。
視線で圧をかけ続けると、彼は少し考える素振りを見せた。
「じゃあ、次のデートは明菜さんに出してもらおうかな」
「わかった。次は絶対に私が出すから!」
食い気味に答えてハッとした。これで私は、彼と次のデートをせざるを得なくなった。
「じゃあ俺は、その時に宿題提出するね」
「いや、それは忘れていいから……」
ふと彼の術中にハマっていることに気づき、冷静になっていく。つい二時間前まで落ち込んでたのに、浮かれちゃって。私って本当にチョロい。
「ふふっ……」
自嘲が鼻から漏れた。急に笑い出した私を見て、彼が首をかしげる。
「明菜さん?」
「ごめん、なんでもない」
今は浮ついている場合じゃないのに。本当にダメだな、私。
「そんな顔、させたくないんだけどな」
彼はそう言って、不意に距離を縮めてきた。息を呑む間もなく、私の視界は仕立てのいい彼のジャケットに覆われた。
「へ……? え、なに?」
あたたかくて、ほんのりいい匂い。いやいや、そんなことより。
もしかして私今、御園さんに抱きしめられてる?
「また苦しそうな顔になったから。ハグすると、ストレスがいくらか吹っ飛ぶらしいよ」
「ストレス以外のものも吹っ飛んでいった気がするんだけど」
酔いとか、理性とか、平常心とか。
「吹っ飛んで空いた部分を、俺でいっぱいにしてくれない?」
「たぶんもうそうなってる。でも……そう簡単には応えられないよ」
いい歳だし、会社だってある。いくら御園さんが素敵でも、信じていいという確信がない限り、彼の胸に飛び込むことはできない。
「わかってる。明菜さんは俺を、ただ利用するだけでもいいんだ」
「利用って……そんな言い方」
「美味い酒をおごらせる相手でも、愚痴を聞かせる相手でも、弱音を吐く相手でも、なんでもいい。俺は、明菜さんに構ってもらえるだけで、すごく嬉しいから」
耳元で囁かれる言葉が甘い痺れとなって、心地よく全身に広がっていく。
すごいなぁ、御園さん。どんな言葉を使えば女性が喜ぶか、本当によくわかってるんだ。
「とりあえず……御園さん」
「うん」
「今夜は美味しいお酒をごちそうさまでした」
「こちらこそ、楽しい時間をありがとう」
彼は明日の朝、きっとボスケに来るだろう。私たちの朝は、今までとはちょっとだけ色が変わるに違いない。
私はそのことに期待と不安を抱きながら、彼が呼んでいたタクシーに乗ったのだった。