一か月だけの契約妻のはずが、恋愛経験ゼロの私を社長が溺愛してきます
そして、何も言えずに俯いた姿。
初めてだったと知った今となっては、あのとき自分がどれだけ唐突なことをしたのか、嫌でもわかる。
なのに、今になって考えると、あの驚いた顔が気になって仕方がない。
嫌だったのか。
それとも―― 。
そこまで考えて、思考を止める。
今夜、家に帰ったら―― 。
彩乃と、どんな顔をして向き合えばいいんだ?
そう考えたところで、また小さく息を吐いた。
仕事をしている間は忘れていられると思ったのに、どうにも頭から離れてくれない。
こんな状態で家に帰るのは、まずい気がする。
少し時間を潰してから帰ろうか。
そう思ったとき、ふと頭に浮かんだのは、たっちゃんの顔だった。
…… そうだ。
今日は、たつさんの店に行こう。
彩乃が一緒に暮らし始めてから、あの店には行っていない。
たつさんにも、何か言われるかもしれない。
いや―― 。
たぶん、絶対に何か言われる。
バー・ヴェインの扉を開けると、カウンターの向こうにいたたつさんが顔を上げた。
「お、いらっしゃい。新婚さん」
いつものように、にやりと笑う。
「……その呼び方、やめてくださいよ」
「なんや。新婚さんやろ?」
「一か月限定ですけどね」
「そないな細かいこと、言わんでもええやん」
たつさんは楽しそうに笑いながら、グラスを取り出した。
「今日は彩乃は一緒やないんか?」
「……はい」
「ほう。珍しいな」