一か月だけの契約妻のはずが、恋愛経験ゼロの私を社長が溺愛してきます
「だからタワマンを……」
「まあ、俺も別にタワマンにこだわってたわけじゃないから」
 湊さんはそう言って、それ以上は何でもないことのように前を向いた。
 けれど私には、その選択が少し意外だった。
 結婚にあまり興味がない。
 そういう話は、以前に聞いたことがある。
 これまで湊さんに言い寄ってきた女性たちは、彼自身ではなく、経営者という肩書きや収入、外見――そんなわかりやすい部分に惹かれていたのだろう。
 だから、湊さんは女性ではなく犬を選んだ。
 犬なら、そんなものは見ない。
 ただ、そばにいてくれる。
 裏切らない。
 そして湊さんにとって、サンちゃんはそれだけで十分大切な存在なのだ。
「……湊さんって、サンちゃんのこと、本当に大事なんですね」
「大事な家族だよ」
 湊さんは照れる様子もなく、当たり前のように答えた。
「家に帰って、この子がいるだけでホッとするし」
 その横顔を見ながら、私の胸の奥が、ほんの少しだけ揺れた。
 湊さんがサンちゃんを大切にしていることは、今までの生活を見ていてもわかっていた。
 でも、こうして本人の口から聞くと、また違って感じる。
 大切なものを、大切だと素直に言える人。
 それは、なんだかいいなと思った。
 車を降りると、ひんやりとした風が頬を撫でた。
「わあ……」
 目の前に広がった景色に、私は思わず息を呑んだ。
 遠くに連なる山々が、青空の下にくっきりと浮かんでいる。
「南アルプス」
 隣に立った湊さんが、山々を眺めながら言った。
「南アルプス……」
「うん。あそこに見える山、わかる?」
 湊さんが指を差す。
< 74 / 187 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop