ぽっちゃりでもいいですか ~私と御曹司のダイエット日記~
 そういえば朝ご飯を食べるのを忘れていた。空腹に優しいフォーの味が沁みた。私は食事の時間ってこんなさわやかなものだったんだ、と改めて思った。
 食事を終えると、篠崎さんは私を一軒のお店へ連れて行った。
「篠崎さんここは......」
 ずらりと高級そうな洋服が並んでいる。いわゆる高級ブティックではないだろうか。
「芙美さんのクローゼット、女性にしては寂しすぎると思ってな。好きな服をいくらでも買えばいい」
「え、そんな。だ、第一私のサイズに合う服なんか」
 きっとMサイズばかりで入る服なんてない。
「お嬢様、ご安心ください。サイズはございますので、ゆっくりとお選びください」
 女性店員が微笑んで言ってくれる。
 本当だろうか......おそるおそる服を手にとると確かにLLサイズもXLもある。服が選べる......好きに買っていい......。くらくらしながら篠崎さんを見ると、こっくりと頷いた。
 それからは女性店員が持ってきてくれる服をあれこれ試して着せ替え人形みたいになった。結果。このお店の大きな袋三つ分の服を買ってもらった。
 この十年、同じ服たちを改造して着ることに精を尽くしたので、新品の服を選べることがどんなに嬉しかったことか。篠崎さんは当然のように支払いをすませてくれた。
「篠崎さん......ありがとうございます」
 ほぼ泣きそうになって私は篠崎さんに言った。こんな夢みたいなことがあるなんて。
「いや、俺の母親は着道楽なんだ。クローゼットは服で溢れかえってる。だから芙美さんも服がいっぱいあるのは嬉しいかなと思ってな」
「嬉しいです......あっ」
 お店を出ようとした瞬間、ショーウィンドウに飾ってあるマネキンに気づいた。美しいローズピンクのワンピースを着ている。
 私は胸を射抜かれた。
 なんて素敵なの。色も生地の感じも申し分ない。高級感よりも、もっと身近で、でも魅力的......こんな服が着たい。こんな服を着て街を歩いてみたい。
 ふつふつと胸の内から強い感情が溢れた。
 こんなこと、今まで思ったこと、なかったのに。
 急に自由を手に入れたから貪欲になっている?
 私は自分の心の中で飛び跳ねている思いを抑えつけようとした。 
 だが。
 ちょっと待って。どうして抑えなきゃいけないの?
 誰も私の足を引っぱるものはないはず。私はもう自分を偽る必要なんてない。
 そこまで考えて、ショウウィンドウに自分の姿が映っていた。
 そこには飾ってあるワンピースなんてとても着れない太った私の姿があった。
 痩せたい。いや、痩せるんだ。
 義母も美晴もいない世界だったら、それは可能なはず。
 できるでしょう、芙美。
 私は篠崎さんのシャツの裾をつかんで、言った。
「篠崎さん、私……痩せます」
 思いつめた声を出していた。生活が変わるだけじゃなく、私だって変わるんだ。
 女性店員はバックヤードに行っているのか店内は私と篠崎さんだけだった。
「俺は今のままでも素敵だと思うけど......変わろうとしている君は魅力的だ」
 ふっと篠崎さんの顔が近付いた、と思ったら唇に柔らかいものが触れた。
 え......え、今ひょっとしてキスされたの?!
「それが芙美さんがしたいことなら。応援するよ」
 ファーストキスだ。ショックすぎて、一瞬篠崎さんの言っていることの意味がわからなかった。応援......応援してくれるのね。うん。それはありがたい。
 それにしてもキス......こ、これから本当にやっていけるのかな、私。
 不安になりながらも、どこかくすぐったいような嬉しい気持ちも心の底には潜んでいて。
「よ、よろしくお願いします」
 やっとそれだけ言った。

◇◇◇

< 篠崎誠サイド >

 俺は自分の顔が嫌いだ。子供の頃、随分「女みたいな顔」と言って同級生たちにからかわれた。
 クラスメートの女の子からもらうラブレターも「恰好いい」「綺麗」といった言葉が並んでいた。表面的な俺しか見ていないんじゃないか。
 いや、それでも嬉しいと感じる男性は多いだろう。
 問題はもっと根が深い。
 俺は母親と顔がそっくりなのだ。鏡を見るたびにわずかだが苦い思いがよぎる。
 母は、子どもの頃から仕事で家にいなかった。父は食品メーカーの社長で会社を大きくしていて、経済的にはなんの苦労もなかった。そこで母は自分の趣味で陶器を売る店を始めた。母の実家は家具店を経営していたから商売の勘があったのだろう。すぐに人気店になり、母はあちこち陶器製品の買い付けに奔走し家を空けがちだった。
 たまに帰ってくると嬉しくて俺は母に抱きついた。
 しかし、母は俺の身体をさっとかわした。
「疲れてるのよ。ほら、汚い手、洗ってらっしゃい」
 確かに俺の手は外遊びをした後で汚れていた。だが、子供心にすごい拒絶感を感じたのははっきり覚えている。
 母はさっさとシャワーを浴びに行ってしまった。取り残された俺は部屋の隅にうずくまって泣いた。多分、四歳くらいだったと思う。兄とは仲がよかったが四歳年上でお稽古事やクラブ活動が忙しくあまり構ってもらえなかった。
「誠、どうしたの」
 そうやって目の前に現れたのは父方の祖母だった。
「おばあちゃん......」
 俺は祖母にすがりついて泣いた。母が家にいない分、家事は家政婦がやったが、俺の面倒はほとんど祖母がみてくれた。
 ふくよかな祖母の胸はやわらかく、どんどん涙を吸い込んでくれるかのようだった。
 祖母は痩せぎすの母と違ってふっくらしていた。肩の丸み、大きな手、俺を抱きとめてくれるしっかりした体。そういうものの全て好ましかった。俺がこの家にいていい、と思えたのは祖母の存在があったからだ。
 祖母は、俺の涙の原因が母にあることも気づいていたと思う。しかし母を悪く言うことはなく、ただひたすら自分にかまってくれた。
 おかげでいじけて卑屈な性格にもならずにすんだ。小学校にあがると特に顔のことでいろいろ言ってくるクラスメートがいたが、負けん気を発揮してとっくみあいの喧嘩もやった。喧嘩で負けても祖母がいてくれたので次の日は雪辱戦に挑んだ。そんなことを繰り返してる内に人望もついてきたのか小学校高学年になった頃は学級委員になり、児童会活動もやった。学生時代は生徒会会長も務めた。
 どんな時も支えてくれた祖母のお陰だと思う。祖母は俺が高校生の頃、亡くなってしまた。大きな穴がぽっかり開いた気がした。その穴は未だに時折顔を見せる。
 祖母が好きだった和菓子を見ると、今でも目頭が熱くなる。
 俺は大学を卒業した後、父が経営する食品メーカー「オレンジスマイル」に入社した。兄は子供の頃から弁護士になると言ってその道に進んだので父の後を継ぐのは自然と俺ということになっていた。俺もそれを受け入れていた。
 最初は営業職につき、自社製品の売れ方、魅力をしっかり学んだ。数年後、開発部に異動し、少しでも売上を伸ばす新製品の開発に追われた。仕事は楽しかった。やったらやっただけ成果があがる。特に俺が発案した「夕食を一瞬でたべれる」という「夕食一瞬シリーズ」を発売したときはちょっとしたブームになり、大金星をあげた。
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