ぽっちゃりでもいいですか ~私と御曹司のダイエット日記~
「ダイエット中でも、これくらいは大丈夫だろう?」
「はい、一日くらいは野菜スープじゃなくてもOKですよ、と真下先生に言われてますから」
「そうか。よかった。夕食もお楽しみに。ちゃんと真下にメニューを見せて大丈夫かどうか、聞いておいたんだ」
 真下さんは誠さんと会社の同期だったのだが、数年前起業して今は管理栄養士兼ダイエットコーチをやっているのだそうだ。誠さんは私が痩せたいと言ったのを聞いて、すぐ真下さんのことを思い出して私と引き合わせてくれたのだ。
 ふと、真下さんの言っていた来年春の予定の結婚式の話やゆうきくんの言っていた誠さんの恋人らしいユリさんのことを思い出してしまう。
 こんな風にお互い向き合っている時に、聞けばいい。
 そう自分に言い聞かせようとしたけれど、今日が誠さんとの最後のデートの日かもしれない、と思うとそんな気も失せてしまう。
 ランチの後、誠さんは私を現代アートをやっている美術館に連れて行ってくれて、ゆっくり二人で作品を見て回った。
「美術館にはよく来られるんですか?」
「たまにだけどな。食品パッケージのイメージとか思い浮かんだりするから楽しくてね」
 なるほど、仕事にすぐに結びつくのが誠さんらしい、と納得する。
 美術館に併設されているティールームで紅茶を飲んでいたら、だんだん夕暮れが近付いてきた。
 ゆうきくんがいたときの日曜日は一緒に公園に行って随分長い時間を過ごしたりしていた。男の子の遊びたい欲は底無しで夕方になる頃にはへとへとになったけれど、楽しかった。誠さんが必死で時間をやりくりして、ゆうきくんと三人で遊園地や動物園に行ったのもいい思い出だ。
 ゆうきくんがきらきらした目でゾウやキリンを見上げるの見ていると何だかこちらの気持ちまで洗われるような心地がした。
 誠さんとこうして二人きりでデートしていても、話に出てくるのはゆうきくんのことが多かった。あの時ああして、こうして、と思い出話が尽きない。
 するとコーヒーカップをソーサーに置いた誠さんがぽつりと言った。
「ゆうきの話も楽しいけれど。俺はもっと芙美さんのことが知りたいな」
 目の奥を覗き込まれた気がして、私は顔がぼうっと熱くなった。なんだろう、今、知らない誠さんが顔を出したような...?
 不思議な感覚を味わった後、店を出た。しばらくドライブしてから誠さんは夕食を予約してくれていたフレンチのビストロへ連れて行ってくれた。
 会員制の隠れ家的なお店らしい。こじんまりとした外観で、そっとドアを開けるとやわらかいオレンジの照明が床を照らしていた。
 男性の店員さんが恭しく「お待ちしておりました」と腰を折って挨拶してくれる。案内された席は奥の壁がガラスになっていて、広がる庭が見えるようになっている。
 夕暮れにさらされる草木が美しかった。
 そして供されたお食事の素晴らしいことと言ったら!真下さんの了解を得ている、というのも納得だった。とにかくヘルシーで口当たりが軽い。野菜のテリーヌやパテ。ローストされた赤みのお肉。繊細な味のソースのかかったお魚。どれも美味しくて誠さんとたあいない話をして楽しんでいる内にあっという間にデザートとなった。パヴァロアという軽いケーキ。確かにこれなら太らないかも。
「誠さん、ありがとうございます。すごい美味しかったです」
「女性好みの店だからな。芙美さんは喜んでくれると思った。ダイエットもいいけど、たまには食事を楽しむことも大事にして」
「はい」
「少し、お酒も飲もうか。女性の好きな甘いお酒があるらしい。イチジクのフレーバーでクライナーファイグリングと言うんだ」
 夜もまだ早い時間だったし、それは素敵な提案に思えた。誠さんとの素敵なディナー。思い切り、楽しもう。
 運ばれてきたお酒は確かに甘く、飲みやすかった。フルーティでするすると飲めてしまう。
 気持ちがふわふわしてきた。誠さんと一緒だからかな......。
 そこで記憶が途切れた。

 気が付いて目を開くと、見たことのない天井だった。
「芙美さん、起きた?」
 誠さんの顔を見てはっとする。えっ、どういこと?
「芙美さん、ごめん。酒に弱かったんだな。さっきのお酒でふらふらになって車でここまで運んだんだ。さっきのビストロの近くにあるホテル」
「そうだったんですね。すみません、ご迷惑をおかけして」
 慌てて起き上がろうとする。ベッドはツインになっていて、隣りのベッドに誠さんは腰かけている。
「いや。迷惑なんかじゃない。芙美さんが酒に酔うのは想定外だったけど、このホテルは予約してあったんだ」
「え?」
「芙美さんとここで一夜を明かしたくて」
「え?」
 同じ返ししかできず情けないがどうリアクションしていいかわからない。
「俺、芙美さんにキスしてたよね。挨拶みたいなキス。でも、最近、それじゃ足りなくなってきた」
 キスに足りないとか足りるとか、あるの?
「芙美さんは自分の体型にこだわりがあって、でも俺は最初に会ったときから芙美さんのふっくらしてるところがいいな、と思ってた。何とも言えない安心感があって気持ちがやすらぐんだ。家に帰るとそんな芙美さんがいてくれる......芙美さんは俺の祖母に似ているんだ。俺は子どもの頃、母につらく当たられていた時期があってそんなとき祖母は優しくていつも俺を包み込んでくれた。祖母がいなかったら今の自分がいないと思う。そして芙美さんにも同じように感じてすごく癒されるんだ」
 誠さんは目を細めた。私も自分の存在が少しでも役に立ったんだ、と嬉しくなる。
「ゆうきとの暮らしも楽しかったし、この二か月、忙しかったけど、心地いい充実感だったな。でも、きっと芙美さんがいてくれなかったから破綻してたかもな。本当にありがとう」
「いえ。私もすごく楽しませてもらいました」
 ゆうきくんは可愛かったし、いつも誠さんは優しかった。私は義母や美晴に解放された気持ち良さだけでなく、人に優しくされる瞬間を十二分に味わった。
 そしてそんな誠さんに......外見だけで惹かれたのではなく、好きになってしまった。
「芙美さんはそのままでも素敵だったけど、さらに自分でがんばって五キロ痩せただろう。なんていうのかな、まぶしくて......契約結婚でもこんな人が自分の奥さんだなんて人に自慢したいくらいだった」
「そんな、言い過ぎです」
 私は苦笑した。きっと誠さんもお酒に酔っているのかもしれない。
「笑わないで」
 ふっと誠さんの顔が近付き、唇を塞がれた。いつものような軽いキスでなく、誠さんの熱が伝わってくる。頬を手で包まれて、しっかり固定される。息苦しくなって息を吐いたら、その隙に舌が滑り込んできた。
「んんっ」
 舌が触れ合うという初めての感触に腰がじんと痺れた。誠さんの舌は私の口の中を縦横無尽に動き回り、私はもたらされる快感に翻弄された。
 唇が離れて、誠さんはまっすぐ私を見つめた。
「俺は芙美さんを抱きたいんだ......。もう自制がきかない。君が欲しい」
 誠さんの熱が唇から伝わって私自身も熱を持っているようだった。さっきまでの快感の波にぼうっとしている頭で考えた。
< 21 / 30 >

この作品をシェア

pagetop