ぽっちゃりでもいいですか ~私と御曹司のダイエット日記~
「わかりました。じゃあ、こうしましょう。芙美さんはこれから十日間、謹慎処分とします。このことが落ち着くまで自宅待機してなさい」
「わかりました」
 きっと無理して仕事をしていても針の筵だっただろう。今は園長のはからいに感謝すべきなのだ。
 私は持ってきたバッグを取りに更衣室へ行った。
 他の保育士は園児達の対応をしてるのだろう。竹本さんだけが心配そうな顔をして更衣室に残っていてくれた。
「芙美ちゃん、大丈夫?」
「うん。謹慎処分になっちゃった。当分、園はお休みするね。ありがとう、竹本さん。かばってくれて嬉しかった」
「何言ってるの。たぶらかすなんて芙美ちゃんから一番遠い言葉だよ。落ち込み過ぎないで。いつでも連絡してね」
 うん、ありがとう、と言って私は園の裏口から帰路についた。

 夕方。誠さんは今頃シンガポールだ。マンションのリビングでぼうっと座っていたらいつの間にか時間が経っていた。
 誰があんな貼り紙をしたんだろう、と考えても考えてもわからない。
 保育士の誰かが妬んでやった?たしかに誠さん、貴公子とか言われてたし。
 でも更衣室で喋ってる感じを思い出すと事件の犯人のようには見えなかったけど......。
 すると、目の前に置いていたスマホが鳴った。
 非通知の着信だ。誰だろう。不審に思いながらも通話ボタンをタップする。
『ブタ美、どお、元気にやってるう?』
 ぎょっとした。こんなことを言うのは義母と美晴しかいない。明らかに声の主は美晴だった。
『あんたさあ、ちょっと痩せたからっていい気になってんじゃないの。そう思ってさあ、私、あんたにお仕置きしてやったのよね』
「え?」
『あんたの仕事場に素敵な張り紙があったでしょ。あたしからのプレゼント。あそこの設備古いわねー、入り込むのに全然簡単だったわあ』
 貼り紙をした犯人は美晴だったのだ。くだらない。何がお仕置きだ。痩せた私をどこかで見かけてこんなことを。卑劣さが美晴らしくて大いに納得してしまった。
『ブタはブタらしく大人しくしてなさいよ!じゃあね!』
 ブツッと電話は切れてしまった。はあ、と大きなため息をつく。この二か月、義母と美晴のことは思い出さないようにしていた。誠さんとゆうきくんとの三人暮らしが充実していて思い出す暇もなかったとも言える。
 こんなふうに手を出してくるなんて全く予想していなかった。これからもどんぐり園に迷惑がかかるような事があったらどうしよう。
 こんな時、どう対処すれば.....。
 ぐるぐると思いをめぐらしていて、いつの間にか夜も更けていた。
「いけない。こんな時間」
 化粧も落としていなかった。お風呂に入った後、スキンケアをしていると、スマホが鳴った。また美晴だろうか、と身構える。
 しかし、違った。誠さんからだ。
『芙美さん、お疲れ様。今、ホテルで落ち着いたところ。そっちはどう?』
 シンガポールは日本より一時間ちょっと遅いくらいの時差なので、誠さんも仕事が終わって寛いでいる時間ではないだろうか。
 そっちはどう?と言われて咄嗟に美晴のした貼り紙のことを言おうとしたがやめた。くだらないいたずらだ。ふりまわされるのもばかばかしい。
『いえ。特には。それよりゆうきくんロスが大きいです』
『そうなんだよな。俺もなんだか手持無沙汰だよ』
 そう。ゆうきくんがいれば、美晴の嫌がらせなんて、いつの間にか忘れられるのに。五歳児の存在感は半端ない。
 しばらく誠さんのシンガポールでの仕事の話を聞いた。首尾が上々でうまくいきそうな予感がする、と誠さんの声に高揚感が滲んでいる。
 つまらないことを言わなくてよかった、とあらためてほっとする。
『あっ、ユリ。そのケースはクローゼットへ入れてくれ』
 えっ。
 今、ユリって誠さん、言った?
『すまない。こっちの話。俺の話ばかりして悪いな。芙美さん、その部屋で一人きりなんて初めてだろう。落ち着かないんじゃないかと思ってな。何かあったらマンションのコンシェルジュに相談したらいい』
『はい、大丈夫です』
 誠さんは話を続けてくれるけれど、内容が頭に入ってこない。
 ユリって人とそこにいるの?
 ゆうきくんの「おじさんのこいびと」という台詞がぐっと心の中に刺さる。
 誠さんと特別な一夜を過ごして、もうユリの存在は忘れよう、そう思っていたのに。

 ユリさんという人は、誠さんの出張先のホテルに、今、いるんだ。

 どういうことなのか誠さんに訊きたい。
 でも、そんな事を訊く資格が私にあるだろうか。ベットは共にしたけれど、なんの約束もしていないのだ。私が今持っているカードは契約結婚上の妻という一枚のカードだけ。
 誠さんのプライベートに踏み込める資格なんてない。
 喉がカラカラに渇いていく。
『芙美さん、どうかした?』
 心配そうな誠さんの声に、はっと我に返る。
『ううん、なんでもないです。少し眠くなったみたいです』
『そうか。一人きりだからって夜更かししないこと。明日だって仕事だろう?』
『ええ』
 わざとらしく口角をあげる。嘘なのに。私は仕事だって失いかけている。
 じゃあ、また連絡するよ、と誠さんは電話を切った。

 私はへなへなとソファに沈み込んだ。
 
 幼稚園の仕事は謹慎処分で。
 好きな人は私じゃない女の人とホテルの部屋にいる。

 なんだか大きな心の支えがぽきりと折れてしまった感じがした。

 お腹がすいているようだったが、食欲もない。そういえば野菜スープの作り置きもなかった。明日も仕事は休みなんだから明日作ればいい。

 私はソファに沈み込み、目を閉じた。

 翌朝。目覚ましをかけずに起きるなんていつ以来だろう、とぼんやり思う。誠さんやゆうきくんの朝食も作らなくていいんだ。のんびりしよう。
 そう思ったら何もする気になれなくて、起き上がった身体をまたソファに寝かせる。寝たり起きたりを繰り返して、さすがに何か食べようと思っても野菜スープがないことを思い出す。 
 キッチンに立つ気になれない。
 誠さんと一緒に過ごしているユリさんはどんな人なんだろう。誠さんは私の料理を美味しいと食べてくれたけど。ユリさんは作ってくれないの?作ってくれたらユリさんにも美味しいって言うの?
 そんな気持ちがせりあがってきて、冷蔵庫を開けることもできなくなった。
 ふと、誠さんが
「芙美さんが好きに食べていいから」
 と言っていたたくさんのお菓子の箱の事を思い出した。誠さんは仕事柄、取引相手の人からお菓子のお土産をもらうことが多い。誠さん自身は夜はお酒のタイプだから、自然とお菓子の処理に困る。普段は会社の女子社員に適当に渡していたけれど、私が食べるかもと持って帰ってきてくれていたのだ。
 私はダイエット中なので、と大変申し訳ないのだがお断りしていた。
「じゃあ、日持ちのするのだけ残して、後は会社に持って行くよ」
 そう言って残しておいてくれたお菓子の箱が目の前にある。
 ダイエット中にお菓子は厳禁だけど。
 でも、私、昨日何も食べてないしな......。
 箱から一個、個包装された焼き菓子を取り出す。
 
 ちょっとくらい、いいよね......。

 三日後。
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