ぽっちゃりでもいいですか ~私と御曹司のダイエット日記~
 もうひとりの自分が心の底で静かに訴えてくる。私は男性が分からないくらい、わずかに頷いて、もうひとりの自分に了解の合図を差し出した。
「いえ。私も義母や義妹に感謝しているんです。私のお給料じゃ、こんな高級なお店には来れませんから。いつも美食をとることができて、ありがたく思っています。おかげでこんなに太っちゃいましたけど、自業自得ですから」
 私は努めて明るい声をだした。自分的には上手く演じれたと思う。
「そうですか...」
 男性は何か言いたそうな顔をしていたが、口を閉じた。
 男性はビーフシチューを食べるのを再開した。私も最後まで食べきった。
 何も言わずに退席してもいいだろうか、と思案していると男性が言った。
「あなたの......その食べ物の調味料を当てられる能力、お仕事に使われないのはもったいないですね。そんな能力があったら私の仕事がどんなにはかどるか......正直に羨ましいです」
 ストレートな誉め言葉に恐縮してしまう。
「いえ......食い意地がはっていて、お恥ずかしい限りです」
「そんな事はない。繊細な舌を持ってるという事ですよ。恥ずかしがらずに自信を持ったらいい」
 私の舌が繊細だなんて考えたこともなかった。
 すると、男性は、すっと私に名刺を差し出した。
「その特別な能力を活かしたいと思ったら連絡をください。きっとあなたの悪いようにはならないと思います」
 渡された名刺を見る。

『株式会社 スマイルオレンジ 代表取締役 篠崎誠 』

 代表取締役......そんなに偉い方なんだ......。
 自分との大きな距離を感じてしまう。しかし、篠崎さんはちっともそんな距離を気にしていないようで、微笑みをたたえて私を見ている。
 私は舞い上がりそうになった気持ちを抑えて、この出来事を客観的に見ようと思った。
 篠崎さんのテーブルには空のワイングラスがあった。......お酒を飲んでるときに、大盤振る舞いしちゃって、明日になったら忘れてる、なんて普通にあることよね……。ここは笑顔をで別れて、もうこれきりとすればいいのだ。
 ちょうどよく私の皿も篠崎さんの皿もカラになっていた。別れを切り出すいいタイミングだ。
「隣り合っただけなのに親切にしていただいてありがとうございました。私ではお役に立てそうにないので......これで失礼させていただきます」
 私は食べ過ぎにのお腹を抱えて、なんとか立ち上がるのと男性の声がしたのが同時だった。
「お名前を教えてもらえませんか」
 確かに篠崎さんは名乗っていて私が名乗らないのは不作法かもしれない。
「……町田芙美と申します」
 そう言って席から離れた。
 ふと気になって篠崎さんを振り返るとじっとこちらを見ていた。私は会釈をしてそのレストランから出て行った。

「ふみせんせい、折り紙折ってえ」
 幼稚園の年中さんであるゆうきくんが、私のスカートの裾を握ってそんな事を言ってきた。自由に遊べる時間帯で他の子どもたちは運動場でサッカーの真似事をしているのだが、ゆうきくんはインドア派らしかった。
 私は去年からこの「どんぐり幼稚園」という所で保育士として働いている。保育士になるための資格が取れる短大へ行くと決めたとき、本当にナイスタイミングで父が家にいるときだったのだ。父はずいぶん、私の進路を喜んでくれて、「花嫁修行学校よりもずっと学ぶことが多いだろう」と学費などの面をフォローしてくれた。
 私はあの家にいる時間をなんとか減らそうと、しゃかりきに勉強して、保育士の資格を取り、たくさんの面接やらテストを受けて晴れてこの「どんぐり幼稚園」の保育士となることができたのだった。もちろん義母や美晴が黙っているわけはなく、散々反対したけれど、私の給料の八割を家に入れる、ということでOKをもらった。
 自由になるお金がないのはこれまでと一緒だし、何よりも子どもたちと接していると、そんなお金のことや義母たちの嫌がらせもどんどん忘れてしまえるのだ。ストレスのない職場なんて最高だ。
「ふみせんせい、ふかふか」
 ゆうきくんが私のひざにのり言った。ふかふかって言うのも私がぽっちゃりさんだからだろうなあ、と思うと複雑な気持ちになるのだが、園児たちからは「ふかふか」「ましゅまろ」「気持ちいい」と言う声を聞くのでぽっちゃりさんも悪いことばかりではないなあ、と最近思うようになった。
「ゆうきくん、さっきお弁当全部食べきってたねえ」
 以前は食が細かったのだが、最近はしっかり完食している。幼稚園の時期に好き嫌いが決まる子も多いので、お弁当を完食してるかどうかは結構大きな問題だ。
「うん。最近、おじさんが作ってるから美味しいんだ」
「おじさん?」
「お父さんの弟なんだよ。いつも遊んでくれるし、迎えにも来てくれるし。俺、おじさんの子どもになろうかな」
 そこはさすがに賛同できず、慌てて
「お父さんもゆうきくんのこと大好きだよ。お父さんの子どもでいた方がいいよ」
 と、思わず言ってしまった。
 そうかなーなどと言いながら私の膝の上で折り紙を折っている。
「あら、いいなあ、ゆうきくん、芙美先生に抱っこされて」
 同僚の保育士の竹本さんが声をかけてくれた。
 それから私の横に来てそっと耳打ちした。
「芙美ちゃん、帰りにちょっとお茶しない?」
 私は普段から仲のいい竹本さんの誘いが嬉しくてもちろんOKだった。園児たちの自由時間も終わり、お母さんたちが迎えにやって来る。ゆうきくんのお迎えに来るおじさんがどんな人か少し興味があったけれど、他の園児のお母さんとの対応に追われて、いつの間にかゆうきくんはもう帰ってしまっていた。
 園児たちのいなくなったフロアはがらんとしているが、保育士の仕事はまだまだある。掃除や事務仕事などを片づけていってやっと終業時間になった。
 竹本さんと「どんぐり幼稚園」の近くにあるカフェでお茶をすることになった。
 学生の頃は本当にお金がなかったが、ちょっとだけ手元に残るお給料を無駄遣いしないように注意していると、お茶代くらいは出る。
「うーん。今日はパフェ食べちゃおうかな!」
 ショートカットで小柄で可愛らしい竹本さんがメニューをゆっくり見てそう言った。
「いいね。私はアイスティーにしようかな」
 私は言いながらついつい笑顔になってしまう。
 家に帰ったら義母や義妹にあれこれ言われる事を考えると、仕事終わりに同僚とお茶する時間なんて天国にいるみたいだ。
「芙美ちゃんって、いつもそんな風にニコニコしてるよね。なにかいいことあった?」
「うん。こんな風にカフェでお茶するの、好きなの」
 そうなの。竹本さんにはわからないかもしれない。自分の家で安らげられない、ということ。だからあえて自分の話はしない。竹本さんと過ごせるだけで大満足だ。
「そうなんだ。芙美ちゃん、そのニコニコがあればモテだってくるんじゃない?」
「ないよー。だってこの体型だもん。男の人は竹本さんみたいな小柄な人が好きだよ、きっと」
 正直に本音を言った。私が男性だったら、迷わず竹本さんみたいなスタイルのいい素敵な女の子に声をかける。
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