ぽっちゃりでもいいですか ~私と御曹司のダイエット日記~
 私はぐっと唇をかんだ。
「それだけ人を貶められるんなら、君は人として終わってる。人以下だな」
 私の後方からそんな声がした。
 誰だろう、聞き覚えのある声。さっと振り向いて声をあげる。
「し、篠崎さん!!」
 そう。そこには先日レストランで隣り合い、ビーフシチューの成分について思い悩んでいたあの篠崎さんが立っていたのである。
「楽しい食事の場を台無しにしてるのが自分だという自覚がないようだね」
 篠崎さんに会うのは二度目だが、鋭い目の光に、篠崎さんが怒っているのがわかった。
「な、なんだよ。あんた」
 三国さんが食ってかかる。ふっと篠崎さんは私と目を合わせた。
「君にはこんな場所はふさわしくない。行こう」
 気が付くと篠崎さんから手を引かれレストランから連出されていた。
 ものすごく早く歩く篠崎さんについて行くのが精一杯。さすがに息が切れてきた。
「し、篠崎さん、待ってください」
 息も絶え絶えに言うと、篠崎さんはやっと足を止めて私を見た。イタリアンの店から少し遠ざかった人通りの少ない路地。
「ああ……すまない。どうしても、君をあの場所にいさせたくなくて。……俺も我慢ができるようになったな」
「え?」
 どういう流れか把握できず、きょとんとしていると篠崎さんがにやりと笑った。
「以前の俺ならあいつに頭からビールをかけていた」
 ぎょっとして言葉に詰まる。
「君だってそうしたかったんじゃないか?」
 言われて三国さんの顔を思い浮かべると確かにむかつきを覚えた。
「そうですね……でも、私は怒るのを我慢するのに慣れているので」
 思わずぽろりと言ってしまった。
「そうなのか?俺が君だったら平手打ちだって食らわせてたと思うよ。それにしたって人の食生活をどうのこうのと。なに様のつもりだ」
「それは……やっぱり私が太ってるから言いたくなったんでしょうね」
「もっとわからない。君の体型がなんだっていうんだ。君は素敵な女性なのに」
 え、と私は聞き慣れない言葉を聞いてフリーズした。
「今日の服、とても似合っている。品がいいし、どこに出てもおかしくないレディだ」
 思わずぽかんとしてしまった。男性の口からそんな言葉が聞けるなんて想像したこともなかった。
 本当に私のことを言っているんだろうか、と頭をめぐらせたが、やはり私のことのようだ。
「えっと…あの、私…」
 なんて言葉を返せばいいんだろう。
「とにかくさっきの男の女の趣味は悪すぎる。君を悪しざまに言うなんて、どこに目をつけてるんだ。全くなってない」
 まだ怒りを露わにしている篠崎さんを見ているとなんだか胸が詰まった。
 気が付けばぽろりと涙をこぼしていた。
 男性からかばってもらったり、容姿をほめてもらったり、レディと言われたり……私の人生には絶対起こらないと思っていたことが起こった。そのことが嬉しくて泣けてしまったのだ。
「町田さん、大丈夫か」
 あ、私の名前覚えてくれてたんだ。涙目になった私を見た篠崎さんの声は少し慌てていた。私は涙をなんとか拭いて気持ちが落ち着くよう努めた。
「篠崎さんは、どうしてあのお店に?」
 突然現れたのにもびっくりしたので訊かずにはいられない。
「後輩の送別会をやっていてね。化粧室に行った帰りに君がいるのに気づいた。声をかけようかなと思ってテーブルに近づいたらあの男が君を悪く言うので腹が立ってね」
「そうだったんですね」
 私が薄く笑うと篠崎さんも少し怒りがやわらいできたようだ。
「君が言ってたビーフシチューの隠し味は赤味噌だって話しを職場の連中にしたら随分盛り上がってね。そんな話しを君にしようと思ってたんだ」
 そうだったんだ、とようやく合点がいった。
 それにしたってこんな短期間に二度も会うなんて不思議。
「篠崎さんはお仕事絡みで外食が多いんですか?」
「そうだな。社長業は会食が多いし、こないだみたいに味を探りに行ったりもするからね」
 なるほど、と頷きながら、はたと気づく。
「あの、篠崎さん、送別会に戻らなくていいんですか?大事な会でしょう?」
 いや、と篠崎さんは首を振った。
「もう送別会は終わりかけてたから問題ない。会計もすんでたんだ。君を家まで送るよ」
 そう言うともう篠崎さんはタクシーを止めていた。あっという間に乗せられ、後部座席に篠崎さんと並ぶ。
 その後はおしゃべりは静かになったが、私はなんとなくいい気分だった。篠崎さんみたいな綺麗な人に褒められるなんてもう今後ないだろう。この事は日記に書いて大事にしよう。
 しばらくすると家に到着した。玄関のエントランスまでのアプローチが暗いので篠崎さんが手を引いてくれた。
 すると私が玄関ドアを開く前にドアが開いた。
「あー、ブタ美、やっと帰ってきた。早くあんたのグラタン食べなさいよ。三十分以内ね」
 私が帰ってきた気配を察知してきたらしい美晴が言う。私はイタリアンでお腹はいっぱいでげんなりした。次の瞬間、はっとした。振り返ると篠崎さんが眉間に皺を寄せている。いけない、また篠崎さんを怒らせるかもしれない、と私は慌てて篠崎さんに言った。
「篠崎さん、今日はありがとうございました。失礼します」
 何かを言いたそうな顔だったが、もうこれ以上私のことで怒らせるのは忍びない。
 もう二度と会うこともないだろうと思いながらドアを閉めた。
 私もそんなに外食する予定だってない。そう今日のことはたまたまの偶然……。
 でも、今日の怒っている篠崎さんも綺麗だったな、なんてことを思いながらグラタンの匂いが鼻をくすぐる。
「ブタ美、グラタン冷めるわよ。あ、冷めてもいいか。ブタだから気にしないよね」
 美晴がけらけら笑う声が廊下に響く。美晴は私の後方にいた篠崎さんには気がつかなかったみたいだ。よかった。
 あんな綺麗な人に難癖をつけられたら、私も篠崎さんのように怒ってしまいそうだった。
 
 二日後。園児たちのお迎えの時間が近付いている。私は運動場に出しっぱなしになったボールや玩具を片づけて園舎に戻った。
 すると何となく私の同僚の保育士たちが揃ってなんだかそわそわしている。誰かが化粧室に行くと、かわるがわる私も、という感じだ。心なしかいつもより化粧が濃いような……。
 私は側にいた竹本さんにきいた。
「ね、今日、なにかあるの?」
「今日は木曜日の貴公子が来るからよ」
 にやにやしながら竹本さんが言う。
「な、なにそれ?」
「芙美ちゃんも私も先週の木曜休んでたから知らないか。あのね、ゆうきくんの伯父さんが木曜日だけ迎えに来るんだけど、すっごい美形でイケメンなんだって」
 あっ、と私は思い当たった。
 そうだ、ゆうきくんが言ってたお父さんよりも好きになっちゃいそうな伯父さんのことだ。
「それで皆、少しでも貴公子にお近づきになりたくて化粧直しに余念がないわけ。だって美形で仕事もエリートらしいんだ、これが」
「はあ……それはわかりやすくモテそうな人ね」
 ゆうきくんの言ったことを考えると子どもも好きなんじゃないかな。私はそっちの方がポイント高いと思うけど……。
 でも化粧直ししたくなる気持ちもわかる。実を言うと私は篠崎さんに送ってもらった次の日、ドラッグストアで保湿クリームを買った。
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