ぽっちゃりでもいいですか ~私と御曹司のダイエット日記~
 あんな綺麗な人を見ていたら、自分もちゃんとお肌の手入れくらいしなくちゃ、と思ったのだ。自分が太っていると思うと化粧もスキンケアも本腰が入らなかったものだけど。それは私がわるい方に諦めているからで努力しなくてもいい、ということじゃないって気づけたのだ。
 ドラッグストアのおススメ品だった保湿クリームはプチプラなのに、すごく肌をしっとりさせてくれた。ほっぺたがふわっとする。
 こういう気持ちがあがることってきっと大事なんだわ。
 やがてお迎えの時間となった。朝、お別れしたお母さんと園児たちが午後、感動の再会をする濃い時間だ。すごい勢いで「おかあさーん」とお母さんの胸に飛び込んでいく園児たちを見ると、いくらその園児に「先生好き」と言われていても、お母さんには敵わない、と思い知らされる。
 私の担当の子達のお母さんに「今日もいい子でしたよ」「今日はブロッコリー残してました」などなどいろんなことをお伝えする。
 しばしの別れの後のお母さんは自分がいないときの子どもの様子が喉から手が出るほど知りたいものだ。お子さんの話しを聞いて、お母さんたちは笑ったり焦ったり忙しい。
「ゆうきくんの伯父さん、仕事でお迎え遅れるって。残念。私、用事があるんだよね。イケメン見たかったなあ」
 竹本さんは心底、残念そうだ。他の化粧直しをしていた保育士さんたちも、がっかり感が滲み出ている。
 そう言えば、私居残り当番だ、とふと気づく。
 園児が何か理由があって園に残らないと行けないとき、保育士は定時であがらず、その子が迎えにきてもらえるまで一緒に待つ、という仕事がある。当番制で今日は私の番だ。
 他の保育士達が事務処理などを終えて退勤していく。中には
「いいなあ、芙美先生、イケメンさんと会えて」
 とこぼす先生もいて、私は曖昧に笑ってごまかした。うーん、そこまで私イケメンに執着がないかな……でも確かに少し興味はある気がする。
 お友達も帰ってしまって一人、つまらなそうだったゆうきくんの側にいって、絵本を読んであげた。ゆうきくんは絵本が大好き。暇さえあればページをめくっている。
 私が絵についた物語を読むと真剣にその絵本の世界に入り込んでいた。
「ゆうき、ごめん。遅くなった」
 そんな声がしたかと思うと、ゆうきくんはぱっと立ち上がった。
 ゆうきくんが「おじさーん」と言ってお迎えスペースに駆けていく。
 自然と目を向ける。確かにすらりと長身で端正そうな……
 次の瞬間、私は固まった。ゆうきくんを抱きかかえているのは。
「篠崎さん!!」
 なんなの、この偶然というか、なんというか。ご縁があり過ぎるとでも言ったらいいのか。私がぽかんと口を開けて篠崎さんを見つめていると、篠崎さんも私に気づいたようだった。
「町田さん?君、ここの保育士さんだったの?」
 ゆうきくんを抱っこした篠崎さんが驚いた顔をしていた。そうでしょう。私も驚いたもの。じゃあ、篠崎さんがゆうきくんの伯父さんで噂のイケメン。そうだろうな、篠崎さんだったら皆がそわそわするはずだ。
「ははは……世間は狭いですねえ」
 そう言うしかなかった。
「まったくだ。でもわかったよ。君がゆうきの言う、ふかふかの芙美ちゃん先生なんだな」
 ふかふか…あー、そう言えばそんなこと、言ってたなあ。
「芙美先生、後でミニバスケットのゴール、片づけておいて」
 高齢の園長先生が言った。
「あ、はーい」
 いけない。今日の運動場の片づけは私の仕事だったのに、ミニバスのゴールはしまい忘れていた。
 私は「今日のゆうきくん連絡」をしなくちゃ、と篠崎さんに向き直った。
「今日のゆうきくんは、ご挨拶もきちんとしたし、お弁当も残さず食べてました。お遊戯はちょっと苦手だけど、お歌は一生懸命うたってます」
 篠崎さんの顔がふわっと綻んだ。
「そうか。よかった。町田さんもお疲れ様。待たせてすまなかったね」
 ふっと、篠崎さんの視線が園庭に向けられた。
「あのバスケットゴールを運ぶの?」
「ええ。倉庫があるのでそこに」
「ひとりじゃ重いでしょう。手伝うよ」
「え、いえ、そんな」
 と、断ろうとしたが、ゆうきくんを下して「ちょっと待ってろ」と言って鞄を床に置くと篠崎さんはすたすたとバスケットゴールへと向かう。私は、慌てて後を追った。
 ゴールにはキャスターがついていて、簡単に動かせる。
「ああ。なるほど、思ったよりも軽い」
「はい、なので私ひとりで大丈夫です」
「いや、女性に任せっきりにするなんて紳士的じゃない。倉庫の場所は?」
 紳士的じゃない……うーん、確かに保育士同士で貴公子と呼んでしまうのもわかる。
「こっちです」
 私もゴールに手をかけてふたりで運ぶようにして園舎の隣りにある倉庫へ持っていく。
 倉庫の中には、ボール類や、運動場で使うような遊具が所狭しと置いてある。もちろん園児たちの体格に合わせて小さいものが多い。
「いろんなものがあるなあ。これはすべり台?」
「ええ。お天気のいい日に出すんです。雨の後に出したら園児たちが泥だらけになってしまうので」
「なるほどね、これは」
 そう言って篠崎さんの質問を聞こうとした瞬間、ガチャッと音がして、倉庫の扉が閉まったのがわかった。
「え!」
 私は驚いてドアに飛びつくと外側から鍵がかけられている。
「芙美先生、開けっ放しでどこに行っちゃったのかしら」
 園長先生の呟きが聞こえた。
「園長先生!ここ!ここにいますっ」
 大きな声で叫びドアを叩く。しかし園長の足音は遠ざかっていく。園長先生は耳が遠いのだ。なんてこと。篠崎さんとふたり、倉庫に閉じ込められてしまった。
「町田さん。ドア、閉められてしまったのか」
「そのようです......」
 私はすっかり動転して青ざめてそう言ったのだけれど、篠崎さんは慌てる様子もない。
「ゆうきだけが外にいるんだ。きっと園長先生は気づいてくれるよ」
「あ、そ、そうですね......」
 ゆうきくんをほったらかしにしてどこに、となるはずだ。倉庫だと気づいてくれるといいけど......。
「倉庫に窓があってよかった。真っ暗闇じゃない」
 窓といっても天井近くにある小さな明かりとりで、その窓から出ることはできないだろうけど。確かに真っ暗よりはいい。
「篠崎さんはこういうときに慌てないんですね」
 小さな跳び箱の上に座って篠崎さんはリラックスしてるように見える。
「うん。慌てても仕方ないだろう。もし、しばらくしても探しに来なかったら、俺がドアをぶち壊すよ。でもこの幼稚園に悪いからできればそうしたくはないよな」
 少子化も相まって、確かに幼稚園の経営は大変だともよく噂にのぼる。高齢の園長先生が現役で仕事をしているのも、人手不足だからだ。
「こんなとき、スマホを鞄に入れずにポケットに入れておくべきだったと思うな」
「私たち保育士は、仕事中はスマホを携帯しないルールなんです。......にしても困りましたね」
 薄暗い倉庫の中で私もちょうど座れそうな遊具を探して腰を下す。
 心配なのはゆうきくんのことだ。おじさんがいない、と泣いてないだろうか。
「ゆうきくん、篠崎さんを探してるんじゃないかな......」
 思わずつぶやく。
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