ぽっちゃりでもいいですか ~私と御曹司のダイエット日記~
「いや。あいつは意外とイレギュラーなことでもへっちゃらなところがあるんだ。俺の兄の息子なんだが、兄の嫁さん、ゆうきの母親が病気で亡くなったときも意外と取り乱さなかった。こっちの方が変に泣くのをこらえてるんじゃないか、なんて心配したもんだよ」
「頼もしいですね。確かに他の子たちよりメンタルが安定してるかも。......じゃあ、ゆううきくんはお兄さんとふたり暮らしなんですか?」
「ああ。兄は当分再婚する気はないらしい。俺もそれでいいと思ってたが兄が今度、ニューヨークに転勤するんだ」
「えっ」
「仕事の都合でね。で、環境が整うまで俺が三か月ほどゆうきを預かることになってるんだ。こうやってたまに迎えにくるのはその前哨戦」
「篠崎さんが?」
「うん」
「あの、私、篠崎さんとはお知り合いになったばかりですが、社長業ってお忙しいんじゃないですか?その篠崎さんがゆうきくんの世話ってすごく大変なんじゃ」
「俺は子ども好きなんで苦じゃないんだが、時間的な余裕がな...まあ、ベビーシッターを雇ってなんとかするよ」
ベビーシッターを長期的に雇うと、経済的な問題が......あ、篠崎さんは社長さんだからその辺はいいのか。それでもベビーシッターさんに世話されながら篠崎さんを待つゆうきくんが少し不憫だった。
子どもって大好きな人によく思われようと思って我慢しちゃうとこ、あるしな......。
それから篠崎さんとの話題はゆうきくん中心となり、ゆうきくんがどのアニメのどのキャラが好きか、お気に入りの本や歌、そんな私が知ってるゆうきくん情報を伝えられるだけ伝えた。
「そういうこと、知りたかったんだ。ありがとう」
薄暗かったが篠崎さんが嬉しそうに微笑むのがわかった。
時計を見たらもう四十分は経っている。
園長先生が来る気配はない。やはり篠崎さんにドアを壊してもらうしかないんだろうか。
そんなことを考えながら、ふといつもだったら家で義母と美晴の「食べろ食べろ」攻撃にあってる時間だなあ、と思い当たった。
「あれっ」
思わず声が出てしまった。
「うん?どうした、何かあった?」
私はかあっと顔を赤らめた。こんなときに不謹慎だ。
でも、こんなことってあんまり久しぶりで。
「お腹がすくのって本当に久しぶりで......馬鹿みたいですよね、すごく嬉しくなったんです」
私の目には涙がにじんでいた。ほんとうに何年ぶりだろう、こんなにお腹がすくのは。私は自分の身体に謝りたくなった。いつも重いものばかり与えてごめん。もっと一日三回、いや一回でもいいからお腹がすく身体になりたい。
私は篠崎さんのリラックス感に影響されているのか、とても素直な心持になっていた。
涙をこらえてふっと顔をあげると篠崎さんが真剣な面持ちで私を見ているのがわかった。
「君は......やっぱり、家族に無理やり食事をさせられてるんだな?こないだ君の家まで送ったときもグラタンがどうだとか言われてたじゃないか。あきらかに会食をした後の時間帯なのに」
「そ、それは」
「話してくれないか。何か力になれるかもしれない」
美晴と義母の「食べろ食べろ攻撃」についてクラスメートや同僚、仲のいい女友達にも言ったことがなかった。口にしてしまえば、もう我慢できなくなるかも、という危惧があったからだ。
でも。初めて、この目の前の篠崎さんに打ち明けてしまいたい気持ちが湧き上がっていた。ただ愚痴をこぼすだけに終わるのなら言いたくない。でもなにかその先にあるのなら。
私は腹をくくって義母と美晴について語った。
食事をした後もさらに食べろと重い食事をすすめ、食べ終えるまで許されないこと。
自分でダイエットしたり、家政婦の岡崎さんに少量の料理を作ってもらおうとしたりしたがそれも義母に見つかり、うまくいかなかったこと。
「いたずらとかふざけて、とかじゃ済まされないな。大体どうしてその義理のお母さんや妹は君を太らせようとするんだ?」
「これは聞きかじったことなんですが......私が実の母と似ているから、絶対に痩せさせたくない、そんなことを言ってました」
「つまり......君が痩せてしまうと、君の実の母親の面影を毎日見ることになる、それが嫌だということ?」
「多分、そうだと思います」
「馬鹿げている。君と実のお母さんは親子とはいえ、別の人間じゃないか。ナンセンスだ。それは言いがかりに近いよ。その義母と実のお母さんの間に大変な諍いがあったとか、そいういうことはない?」
「いえ.....私も十二、三歳だったので大人のそういったところまでは分りませんでした」
「そうか......。君は何故家を出なかったんだ。チャンスがなかった?」
「単純に経済的な問題です。私のお給料の八割は義母に渡す、それが幼稚園で働くときの条件だったんです。なので......ひとり暮らしをしたくてそのわずかな金額をコツコツ貯めてはいますが、なかなか引っ越し資金までには届かなくて」
「そうか......」
篠崎さんは少しうつむいてしばし考え込んだ。
それから顔をあげて、しっかり私の目を見て口を開いた。
「町田さん、家を出てうちに来ないか」
「えっ」
「町田さんの今の状況から脱け出すには、環境をがらりと変える必要がある。俺のマンションなら空き部屋があるし、生活をするには事足りると思う」
「そ、それは、でも」
意外な展開すぎて頭がついていかない。
「いきなり男の部屋で暮らすのはハードルが高いか」
私はぶんぶん首を振って頷いた。そうです。いきなりすぎます。
「じゃあ、こういうのはどうだろう。半年か一年間。契約結婚する、というのは」
「え?」
ちょっと待って。さらに追いつかない。待って、待って。結婚?
「その契約結婚はもしかして私と篠崎さんがするんですか?」
信じられなくて声が高くなってしまう。
「そう。俺と町田さんで。期間限定ならその方がいいだろう。同棲だとこそこそしなくちゃいけないが、結婚となると大っぴらにしていい。『結婚しました』と言って、堂々とこの幼稚園でも働ける。あ、既婚じゃ保育士の仕事に差し障りある?」
「い、いえ既婚の保育士もいます。でも、あの」
なんとか心を落ち着かせて考えようとする。
私は義母や美晴と離れて暮らしたかったから、家を出るのが目標だった。
でもそれは現状では経済的に無理だ。
けれど篠崎さんと暮らすなら部屋を用意してもらえる。そこから幼稚園に通えばいい。
胸がドキドキしてきた。夢にまで見た、欲しかった自由が目の前にぶらさげられている。
私は何度も冷静になって、と自分に言い聞かせた。
「や、家賃とかはどれくらいなんでしょうか。契約結婚と言ってもそれは必要でしょう?」
「いや。君からお金をもらうつもりはないよ。生活費も俺が出す」
「そんなの!篠崎さんにメリットが無さすぎるじゃないですか!」
いくらなんでも条件が良すぎる。本当の夢みたいに、足を踏み入れたら床が消えて真っ逆さまに落ちそうな話しだ。
「メリットならある」
なんだそんなこと、と言うふうに篠崎さんはけろりと言った。
「頼もしいですね。確かに他の子たちよりメンタルが安定してるかも。......じゃあ、ゆううきくんはお兄さんとふたり暮らしなんですか?」
「ああ。兄は当分再婚する気はないらしい。俺もそれでいいと思ってたが兄が今度、ニューヨークに転勤するんだ」
「えっ」
「仕事の都合でね。で、環境が整うまで俺が三か月ほどゆうきを預かることになってるんだ。こうやってたまに迎えにくるのはその前哨戦」
「篠崎さんが?」
「うん」
「あの、私、篠崎さんとはお知り合いになったばかりですが、社長業ってお忙しいんじゃないですか?その篠崎さんがゆうきくんの世話ってすごく大変なんじゃ」
「俺は子ども好きなんで苦じゃないんだが、時間的な余裕がな...まあ、ベビーシッターを雇ってなんとかするよ」
ベビーシッターを長期的に雇うと、経済的な問題が......あ、篠崎さんは社長さんだからその辺はいいのか。それでもベビーシッターさんに世話されながら篠崎さんを待つゆうきくんが少し不憫だった。
子どもって大好きな人によく思われようと思って我慢しちゃうとこ、あるしな......。
それから篠崎さんとの話題はゆうきくん中心となり、ゆうきくんがどのアニメのどのキャラが好きか、お気に入りの本や歌、そんな私が知ってるゆうきくん情報を伝えられるだけ伝えた。
「そういうこと、知りたかったんだ。ありがとう」
薄暗かったが篠崎さんが嬉しそうに微笑むのがわかった。
時計を見たらもう四十分は経っている。
園長先生が来る気配はない。やはり篠崎さんにドアを壊してもらうしかないんだろうか。
そんなことを考えながら、ふといつもだったら家で義母と美晴の「食べろ食べろ」攻撃にあってる時間だなあ、と思い当たった。
「あれっ」
思わず声が出てしまった。
「うん?どうした、何かあった?」
私はかあっと顔を赤らめた。こんなときに不謹慎だ。
でも、こんなことってあんまり久しぶりで。
「お腹がすくのって本当に久しぶりで......馬鹿みたいですよね、すごく嬉しくなったんです」
私の目には涙がにじんでいた。ほんとうに何年ぶりだろう、こんなにお腹がすくのは。私は自分の身体に謝りたくなった。いつも重いものばかり与えてごめん。もっと一日三回、いや一回でもいいからお腹がすく身体になりたい。
私は篠崎さんのリラックス感に影響されているのか、とても素直な心持になっていた。
涙をこらえてふっと顔をあげると篠崎さんが真剣な面持ちで私を見ているのがわかった。
「君は......やっぱり、家族に無理やり食事をさせられてるんだな?こないだ君の家まで送ったときもグラタンがどうだとか言われてたじゃないか。あきらかに会食をした後の時間帯なのに」
「そ、それは」
「話してくれないか。何か力になれるかもしれない」
美晴と義母の「食べろ食べろ攻撃」についてクラスメートや同僚、仲のいい女友達にも言ったことがなかった。口にしてしまえば、もう我慢できなくなるかも、という危惧があったからだ。
でも。初めて、この目の前の篠崎さんに打ち明けてしまいたい気持ちが湧き上がっていた。ただ愚痴をこぼすだけに終わるのなら言いたくない。でもなにかその先にあるのなら。
私は腹をくくって義母と美晴について語った。
食事をした後もさらに食べろと重い食事をすすめ、食べ終えるまで許されないこと。
自分でダイエットしたり、家政婦の岡崎さんに少量の料理を作ってもらおうとしたりしたがそれも義母に見つかり、うまくいかなかったこと。
「いたずらとかふざけて、とかじゃ済まされないな。大体どうしてその義理のお母さんや妹は君を太らせようとするんだ?」
「これは聞きかじったことなんですが......私が実の母と似ているから、絶対に痩せさせたくない、そんなことを言ってました」
「つまり......君が痩せてしまうと、君の実の母親の面影を毎日見ることになる、それが嫌だということ?」
「多分、そうだと思います」
「馬鹿げている。君と実のお母さんは親子とはいえ、別の人間じゃないか。ナンセンスだ。それは言いがかりに近いよ。その義母と実のお母さんの間に大変な諍いがあったとか、そいういうことはない?」
「いえ.....私も十二、三歳だったので大人のそういったところまでは分りませんでした」
「そうか......。君は何故家を出なかったんだ。チャンスがなかった?」
「単純に経済的な問題です。私のお給料の八割は義母に渡す、それが幼稚園で働くときの条件だったんです。なので......ひとり暮らしをしたくてそのわずかな金額をコツコツ貯めてはいますが、なかなか引っ越し資金までには届かなくて」
「そうか......」
篠崎さんは少しうつむいてしばし考え込んだ。
それから顔をあげて、しっかり私の目を見て口を開いた。
「町田さん、家を出てうちに来ないか」
「えっ」
「町田さんの今の状況から脱け出すには、環境をがらりと変える必要がある。俺のマンションなら空き部屋があるし、生活をするには事足りると思う」
「そ、それは、でも」
意外な展開すぎて頭がついていかない。
「いきなり男の部屋で暮らすのはハードルが高いか」
私はぶんぶん首を振って頷いた。そうです。いきなりすぎます。
「じゃあ、こういうのはどうだろう。半年か一年間。契約結婚する、というのは」
「え?」
ちょっと待って。さらに追いつかない。待って、待って。結婚?
「その契約結婚はもしかして私と篠崎さんがするんですか?」
信じられなくて声が高くなってしまう。
「そう。俺と町田さんで。期間限定ならその方がいいだろう。同棲だとこそこそしなくちゃいけないが、結婚となると大っぴらにしていい。『結婚しました』と言って、堂々とこの幼稚園でも働ける。あ、既婚じゃ保育士の仕事に差し障りある?」
「い、いえ既婚の保育士もいます。でも、あの」
なんとか心を落ち着かせて考えようとする。
私は義母や美晴と離れて暮らしたかったから、家を出るのが目標だった。
でもそれは現状では経済的に無理だ。
けれど篠崎さんと暮らすなら部屋を用意してもらえる。そこから幼稚園に通えばいい。
胸がドキドキしてきた。夢にまで見た、欲しかった自由が目の前にぶらさげられている。
私は何度も冷静になって、と自分に言い聞かせた。
「や、家賃とかはどれくらいなんでしょうか。契約結婚と言ってもそれは必要でしょう?」
「いや。君からお金をもらうつもりはないよ。生活費も俺が出す」
「そんなの!篠崎さんにメリットが無さすぎるじゃないですか!」
いくらなんでも条件が良すぎる。本当の夢みたいに、足を踏み入れたら床が消えて真っ逆さまに落ちそうな話しだ。
「メリットならある」
なんだそんなこと、と言うふうに篠崎さんはけろりと言った。