ぽっちゃりでもいいですか ~私と御曹司のダイエット日記~
「言ったろう?当分、俺はゆうきを預かるんだ。そのときの世話を君に頼みたい。どんなベビーシッターがくるか気をもむくらいなら、君に任せる方が百二十パーセント安心だ」
「あっ……」
そうきたか……!
なるほど。ゆうきくんの世話を頼めるんだったら契約結婚も厭わない、と。篠崎さんの思惑をだいぶ理解しかけたかれど、それにしたって。
「わ、私、男の人とつきあったことがありません」
恥ずかしかったが正直に打ち明けた。恋愛経験もないの?なんて後で驚かれるのはごめんだ。もうこうなったら自分をちゃんとさらした上で話し合いたい。
夢みたいな話しだからこそ、現実的なことを押さえておかないと。
「ふうん。町田さんは身持ちが固いんだな。いいね。そういうのって素敵だ。俺も帰ったら男友達や彼氏がいた、なんて展開がない方がいい。だから全然、恋愛経験なくてOKだ」
「そ、そうですか......」
頭をめぐらしてこれ以上、不安要素はないか考える。
「町田さん」
篠崎さんが改まった声を出す。
「勇気っていうのは新しい場所に踏み出すときに使うんだ。町田さんにとってそのときが今だと俺は思うけど?」
ごくり、と私は息を呑んだ。
私にとってとてもいい条件の申し出だ。ただ結婚となるとこれまでぼんやりとしか考えてこなかったので怯んでしまう自分がいる。
でも、こんなチャンス、活かさなかったらあの家から出られるのはずっとずっと先だろう。
そして、今、というタイミングを考える。
倉庫にふたりして閉じ込められている、なんてちょっとした非日常だ。
こんなおかしな状況だからこそ、篠崎さんは突拍子もないことを言い出したのかもしれない。この倉庫から無事出られたら、「あっ、そんな話しもしましたね」で終わるかもしれないじゃないか。
人の心は変わる。それは篠崎さんが優しいかどうかではなく、人としてあり得ることだ。
篠崎さんの気が変わらない内にこの決断をしなくちゃいけない。
それだけは直感的にわかる。
そしてそんな思いつめた気持ちで張りつめているのに......
私のお腹は、ぐう、と鳴ったのだ。
篠崎さんに聞こえなかったか恥ずかしかったけど。やはり私はお腹がすくのは嬉しい。いつも食べすぎ気味で身体が重いことから逃れたい。
もしも、篠崎さんの提案を受け入れたら......私はもう、食事はしたい時にだけして、
食べたくない時は食べない、という選択をしていいんだ。
この鎧のように重たい身体から軽やかな身体になることも遠い夢ではなくなるかもしれない。
ぐぐっと篠崎さんの提案に乗りたい気持ちが迫ってくる。
私の身体そのものが「そうしようそうしよう」と叫んでいる。
私は大きく深呼吸をした。
そして篠崎さんに向き直った。
「契約結婚、受け入れます。お金の事とか細かいことはまた話し合いましょう。いつから篠崎さんのお宅に住むことができますか?」
「今日は木曜日だな。今度の土日からでも全く問題ない」
「わかりました。荷物をまとめて引っ越す準備を始めます」
私の中で、ぴん、と一本軸が通った気持ちが芽生えた。
こんな私寄りの条件で提案してくれているんだ。ゆうきくんの世話、篠崎さんの日々の生活の手伝いなど。私にできることがあったらなんでもやろう。
篠崎さんが私に向き直った。
「契約結婚、成立だな。よろしく町田さん……いや、芙美さんの方がいいかな」
名前で呼ばれて照れくさい。
「好きなように呼んでください」
そう答えると、ガチャッと音がして暗がりの中に光が差し込んできた。
「芙美先生、そこにいるのー?」
扉の外から園長が叫んでいる。私はドアにダッシュした。
「はい。ここにいます。園長、私たちがいるのに施錠しちゃったんですよ」
「あらっ、そうだったの。もっと確認すればよかったわ。ごめんなさいね」
園長の耳が遠いせいで問題が起こることは結構あるので謝り慣れている感じだ。
「ゆうきくん、泣いてませんでした?」
まっさきに気になったのがそれだ。
「いいえ。おじさんが待ってろって言ってたから待ってる、って言って自分で
絵本を見てましたよ」
「さすがゆうき。その辺の小僧とはちがうな」
篠崎さんも倉庫から出てきて誇らしげに言う。早歩きで園舎に向い、早速ゆうきくんに声をかけていた。
ゆうきくんはきょとんとして、まだ絵本に未練がありそうだった。
「ゆうき、もうちょっとしたら伯父さんの部屋で毎日芙美ちゃん先生と会えるかもしれないぞ」
「えっ、本当?」
ゆうきくんは目を丸くして、それから思いっきり笑顔になった。
「やったーふかふか芙美先生といっしょ。それ、すごくいい」
私なんぞでそんなに喜んでもらえるのなら保育士冥利につきるというもの。
篠崎さんはやっとお迎えスペースに置きっぱなしだった自分の鞄を手にして、スマホで電話をかけ始めた。
「...悪いな。そうしてくれると助かる。こっちも急なんでな」
そんな声が聞こえてくる。急ぎの仕事がなにかあったのだろうか。
「おじさんお腹すいたよ」
スマホで通話を終えた篠崎さんのスラックスの裾をひっぱりながらゆうきくんが言う。
「おう。家に帰ったら伯父さん、美味しいオムライス作ってやるからな。あ、それと町田さん。明日の夕方、君の家へ挨拶に行こう。特に用事や予定はない?」
あ、明日。すごい、本当に今週末、契約結婚生活が始まりそうだ。覚悟決めなきゃ。
「は、はい。ないです。でも篠崎さん、お忙しいでしょう」
「ひとつ会合をキャンセルしたから大丈夫だ。...今日の夜、細かいことを詰めよう。ゆうきが寝たら連絡するよ。えっと連絡先は」
私は篠崎さんから名刺をもらっていたけれど、私は名刺なんか持ってない。これからは連絡先が必要になるだろう、と電話とメッセージができるようお互いのスマホを操作した。
まだ話すべきことがたくさんあるような気がしたが、ゆうきくんをほったらかしにできず、ひとまず今日はゆうきくんと篠崎さんと幼稚園で別れた。
園長は私たちを探すのに時間を取られて、他の作業ができなかったらしい。私はそれを手伝ってやっと仕事から解放された。
お腹はここ数年感じたことのなかったくらい空腹で、愉快ですらあった。
家に帰り、リビングに行くと義母と美晴が濃厚なナポリタンを山盛りにして待ち構えていた。
「遅かったじゃない。ちゃんとあんたの分、食べなさいよね」
いつものように上からものを言う美晴。義母はあんたのせいで片付かないでしょ、とブツブツ言う。
私はテーブルについて「いただきます」と言い、ナポリタンを食べ始めた。
家政婦の岡崎さんの作ったナポリタンはさすがプロの味。絶品で申し分ない。私は皿に盛られた半分を食べて、空腹を満たした。
「なによ、それだけでいいって言うの。甘いんじゃない。最後まで食べなさいよ」
「いえ。食べません」
がた、とテーブルから立ち上がり、私は義母と美晴を見た。
「あっ……」
そうきたか……!
なるほど。ゆうきくんの世話を頼めるんだったら契約結婚も厭わない、と。篠崎さんの思惑をだいぶ理解しかけたかれど、それにしたって。
「わ、私、男の人とつきあったことがありません」
恥ずかしかったが正直に打ち明けた。恋愛経験もないの?なんて後で驚かれるのはごめんだ。もうこうなったら自分をちゃんとさらした上で話し合いたい。
夢みたいな話しだからこそ、現実的なことを押さえておかないと。
「ふうん。町田さんは身持ちが固いんだな。いいね。そういうのって素敵だ。俺も帰ったら男友達や彼氏がいた、なんて展開がない方がいい。だから全然、恋愛経験なくてOKだ」
「そ、そうですか......」
頭をめぐらしてこれ以上、不安要素はないか考える。
「町田さん」
篠崎さんが改まった声を出す。
「勇気っていうのは新しい場所に踏み出すときに使うんだ。町田さんにとってそのときが今だと俺は思うけど?」
ごくり、と私は息を呑んだ。
私にとってとてもいい条件の申し出だ。ただ結婚となるとこれまでぼんやりとしか考えてこなかったので怯んでしまう自分がいる。
でも、こんなチャンス、活かさなかったらあの家から出られるのはずっとずっと先だろう。
そして、今、というタイミングを考える。
倉庫にふたりして閉じ込められている、なんてちょっとした非日常だ。
こんなおかしな状況だからこそ、篠崎さんは突拍子もないことを言い出したのかもしれない。この倉庫から無事出られたら、「あっ、そんな話しもしましたね」で終わるかもしれないじゃないか。
人の心は変わる。それは篠崎さんが優しいかどうかではなく、人としてあり得ることだ。
篠崎さんの気が変わらない内にこの決断をしなくちゃいけない。
それだけは直感的にわかる。
そしてそんな思いつめた気持ちで張りつめているのに......
私のお腹は、ぐう、と鳴ったのだ。
篠崎さんに聞こえなかったか恥ずかしかったけど。やはり私はお腹がすくのは嬉しい。いつも食べすぎ気味で身体が重いことから逃れたい。
もしも、篠崎さんの提案を受け入れたら......私はもう、食事はしたい時にだけして、
食べたくない時は食べない、という選択をしていいんだ。
この鎧のように重たい身体から軽やかな身体になることも遠い夢ではなくなるかもしれない。
ぐぐっと篠崎さんの提案に乗りたい気持ちが迫ってくる。
私の身体そのものが「そうしようそうしよう」と叫んでいる。
私は大きく深呼吸をした。
そして篠崎さんに向き直った。
「契約結婚、受け入れます。お金の事とか細かいことはまた話し合いましょう。いつから篠崎さんのお宅に住むことができますか?」
「今日は木曜日だな。今度の土日からでも全く問題ない」
「わかりました。荷物をまとめて引っ越す準備を始めます」
私の中で、ぴん、と一本軸が通った気持ちが芽生えた。
こんな私寄りの条件で提案してくれているんだ。ゆうきくんの世話、篠崎さんの日々の生活の手伝いなど。私にできることがあったらなんでもやろう。
篠崎さんが私に向き直った。
「契約結婚、成立だな。よろしく町田さん……いや、芙美さんの方がいいかな」
名前で呼ばれて照れくさい。
「好きなように呼んでください」
そう答えると、ガチャッと音がして暗がりの中に光が差し込んできた。
「芙美先生、そこにいるのー?」
扉の外から園長が叫んでいる。私はドアにダッシュした。
「はい。ここにいます。園長、私たちがいるのに施錠しちゃったんですよ」
「あらっ、そうだったの。もっと確認すればよかったわ。ごめんなさいね」
園長の耳が遠いせいで問題が起こることは結構あるので謝り慣れている感じだ。
「ゆうきくん、泣いてませんでした?」
まっさきに気になったのがそれだ。
「いいえ。おじさんが待ってろって言ってたから待ってる、って言って自分で
絵本を見てましたよ」
「さすがゆうき。その辺の小僧とはちがうな」
篠崎さんも倉庫から出てきて誇らしげに言う。早歩きで園舎に向い、早速ゆうきくんに声をかけていた。
ゆうきくんはきょとんとして、まだ絵本に未練がありそうだった。
「ゆうき、もうちょっとしたら伯父さんの部屋で毎日芙美ちゃん先生と会えるかもしれないぞ」
「えっ、本当?」
ゆうきくんは目を丸くして、それから思いっきり笑顔になった。
「やったーふかふか芙美先生といっしょ。それ、すごくいい」
私なんぞでそんなに喜んでもらえるのなら保育士冥利につきるというもの。
篠崎さんはやっとお迎えスペースに置きっぱなしだった自分の鞄を手にして、スマホで電話をかけ始めた。
「...悪いな。そうしてくれると助かる。こっちも急なんでな」
そんな声が聞こえてくる。急ぎの仕事がなにかあったのだろうか。
「おじさんお腹すいたよ」
スマホで通話を終えた篠崎さんのスラックスの裾をひっぱりながらゆうきくんが言う。
「おう。家に帰ったら伯父さん、美味しいオムライス作ってやるからな。あ、それと町田さん。明日の夕方、君の家へ挨拶に行こう。特に用事や予定はない?」
あ、明日。すごい、本当に今週末、契約結婚生活が始まりそうだ。覚悟決めなきゃ。
「は、はい。ないです。でも篠崎さん、お忙しいでしょう」
「ひとつ会合をキャンセルしたから大丈夫だ。...今日の夜、細かいことを詰めよう。ゆうきが寝たら連絡するよ。えっと連絡先は」
私は篠崎さんから名刺をもらっていたけれど、私は名刺なんか持ってない。これからは連絡先が必要になるだろう、と電話とメッセージができるようお互いのスマホを操作した。
まだ話すべきことがたくさんあるような気がしたが、ゆうきくんをほったらかしにできず、ひとまず今日はゆうきくんと篠崎さんと幼稚園で別れた。
園長は私たちを探すのに時間を取られて、他の作業ができなかったらしい。私はそれを手伝ってやっと仕事から解放された。
お腹はここ数年感じたことのなかったくらい空腹で、愉快ですらあった。
家に帰り、リビングに行くと義母と美晴が濃厚なナポリタンを山盛りにして待ち構えていた。
「遅かったじゃない。ちゃんとあんたの分、食べなさいよね」
いつものように上からものを言う美晴。義母はあんたのせいで片付かないでしょ、とブツブツ言う。
私はテーブルについて「いただきます」と言い、ナポリタンを食べ始めた。
家政婦の岡崎さんの作ったナポリタンはさすがプロの味。絶品で申し分ない。私は皿に盛られた半分を食べて、空腹を満たした。
「なによ、それだけでいいって言うの。甘いんじゃない。最後まで食べなさいよ」
「いえ。食べません」
がた、とテーブルから立ち上がり、私は義母と美晴を見た。