いえない事情〜初恋のエリート上司がわたしに執着する理由〜
ほろ酔い気分で帰宅した、駅から徒歩十三分、3LDKの一軒家は、私が子供の頃から住んでいる家だ。
母を中学の時に事故で亡くし、以来父と十歳年の離れた弟の桜丞と三人暮らしをしていたが、大手ゼネコンに勤める父は現在単身赴任で家を離れており、この三月までは桜丞と二人暮らしをしていた。
その桜丞も無事第一志望だった大学に合格して、この春から京都で一人暮らしを始めたことで、この家には私一人になった。
リビングに足を踏み入れると、遮光カーテンを開け放した窓から、半月がおぼろげな光を投げかけている。この広い家に一人なのには、まだ少し慣れない。
桜丞が家を出てしばらくは心配でしょっちゅうLINEを送っていたけれど、この前、ついに「姉ちゃん、そろそろ子離れしたら?」と言われてしまってからは、極力控えるようにしている。
……昔は小さくてあんなに可愛かったのに。
子どもが巣立ったあとの親の気持ちとは、こんな感じなのだろうか。
カーテンをしめたあと、シーリングライトのスイッチをつける。
母の趣味で、家具はシンプルなものが多い。
直線的なシルエットのローソファに、ガラス天板のローテーブル。それと、木の温もりが感じられる四人掛けのダイニングテーブル。
家族の思い出が染み込むこの空間は、私にとって心安まる場所だけれど、時折不意に思い出される別の記憶は、たまに私の胸を締めつけてくるから少々厄介だ。
「はぁ……」
小さく息を吐きながら二階にある自室のドアを開くと、ベッドの上には散らかした服がそのまま散乱していた。
今朝茅野ちゃんと電話で打ち合わせながら、あれでもない、これでもないとクローゼットから引っ張り出していたからだ。それらをクローゼットに戻しながら、目は、本棚に収まっていた一冊の本に吸い寄せられていた。
『いまさら他人には聞けない雑学800』
……今日が、五月五日だからだろうか。
先輩との思い出に、どうしても思考が傾いてしまうのは。あれから十年も経ったのに、先輩の面影は、この家の至る所に染み付いていた。
先輩は、今日という特別な日を、誰かとお祝いしているのだろうか。
時計の秒針が刻む音だけが、等間隔で部屋に響いている。ふと思い立って、バッグからスマホを取り出し、LINEのトーク画面を開く。
かつて、いつも一番上にあって、毎日のようにくだらないメッセージやスタンプを送り合っていたアカウントは、今やスクロールしなければ見つからないほど下に埋もれている。
ようやく見つけたそれを開けば、「お誕生日おめでとう」という絵文字も何もない私のメッセージが、既読だけつけられた状態で今もそこにひっそりと佇んでいた。
日付は彼と別れた直後の、十年前の今日だ。
「……何やってるんだろ、私」
ポツリと呟いた声が、誰もいない部屋に虚しく響く。サッとホーム画面に戻し、スマホをベッドに放り投げる。
「よし!お風呂入ろ!」と、今度はわざと静寂を打ち破るような大きな声を出して、私はバスルームへと向かったのだった。


