ゆびきりげんまん
――二年後。
「颯真兄ちゃーん!」
「…………」
「颯真兄ちゃーん!」
「聞こえとる」
「無視した!」
「朝から声でかいねん」
十八歳。
高校卒業。
そして。
あたしは今日も、颯真兄ちゃんが好きだった。
「見て!」
「何を」
「卒業証書!」
「見たらわかる」
「卒業した!」
「それも見たらわかる」
「女子高生じゃなくなった!」
「せやな」
「つまり!」
「嫌な予感しかせんな」
「一歩、大人の女に近づきました!」
「…………」
颯真兄ちゃんが、あたしを上から下まで見る。
制服。
卒業証書。
胸元には卒業式でもらった花。
「まだ制服着とるやん」
「今日まで!」
「ほな今日まで高校生や」
「細かい!」
「事実や」
二年前から何も変わらない。
あたしが騒いで。
颯真兄ちゃんがあしらう。
だけど。
変わったこともある。
背が――。
二センチ伸びた。
たった二センチとか言うな。
髪も少し伸ばした。
メイクも覚えた。
料理も。
……ちょっとだけ覚えた。
そして何より。
十八歳。
大人。
「ねえ」
「ん?」
「二年前の約束、覚えてる?」
「約束多すぎてわからん」
「六年後!」
「ああ」
覚えてる。
やっぱり。
それだけで嬉しくなる。
「あれから二年経ったから、あと四年ね」
「カウントダウンすな」
「してるよ。毎日」
「怖いわ」
「あと千四百――」
「日数まで数えんな!」
「冗談だよ」
本当は数えたことあるけど。
それは黙っておく。
「それより」
颯真兄ちゃんが、あたしの卒業証書を指で軽く叩いた。
「卒業おめでとう」
「…………」
急に。
普通に言うから。
弱い。
こういうの。
「……ありがと」
「よう頑張ったな」
ぽん。
頭に手。
「…………」
「なんや」
「これ」
「ん?」
「いつまでやるの?」
「何が」
「頭ぽんぽん」
「嫌なん?」
「嫌じゃないけど」
むしろ好きだけど。
「子供にするやつじゃん」
「そうか?」
「そう」
颯真兄ちゃんの手首を掴む。
頭から、そっと離した。
「もう卒業したよ」
「高校をな」
「子供も」
「それはどうやろ」
「したの!」
「自分で言う奴は大体してへん」
「むぅ……」
まただ。
まだ。
足りない。
十八歳になっても。
颯真兄ちゃんから見れば、あたしは子供。
「じゃあ」
一歩近づいた。
颯真兄ちゃんが、少しだけ眉を上げる。
「何したら大人って認めてくれる?」
「知らん」
「お酒?」
「二十歳からや」
「知ってるよ!」
「ほな言うな」
「仕事したら?」
「それだけちゃうやろ」
「一人暮らし?」
「それも関係ない」
「じゃあ何!」
颯真兄ちゃんは少し考えてから。
「自分のこと、自分でちゃんと決められるようになったらちゃうか」
「決められるよ」
「ほんまか?」
「うん」
「進路は?」
「…………」
「ほら」
「決めたもん」
「どないすんねん」
あたしは卒業証書を抱え直した。
「働く」
「就職?」
「うん」
「どこ」
「まだ内緒」
「なんでや」
「ちゃんと決まったら言う」
「そうか」
颯真兄ちゃんは、それ以上聞かなかった。
本当は。
もう決まってる。
春から。
あたしは働く。
颯真兄ちゃんとは全然違う仕事。
自分で探して。
自分で決めた。
颯真兄ちゃんのためじゃない。
……と言ったら。
ちょっと嘘になる。
だって。
早く大人になりたいって思った理由は。
この人だから。
「颯真兄ちゃん」
「ん?」
「あたしね」
「おう」
「ちゃんと大人になるから」
二年前と同じ言葉。
だけど。
あの頃みたいに叫ばなかった。
まっすぐ。
颯真兄ちゃんの目を見て言った。
「だから、あと四年待ってて」
「…………」
颯真兄ちゃんが黙る。
また頭を撫でられると思った。
『はいはい』
って笑われると思った。
でも。
手は伸びてこなかった。
「……すず」
「なに?」
「お前もこれから、いろんな奴に会う」
「うん」
「学校ん中だけやなくなる。仕事始めたら、もっと世界広がる」
「うん」
「俺よりええ男も、ぎょうさんおる」
「いないよ」
「まだわからんやろ」
「わかる」
「なんで言い切れんねん」
「だって」
そんなの。
四歳の時から決まってる。
「あたし、颯真兄ちゃんしか見てないもん」
「…………」
「十二年ずっと」
颯真兄ちゃんが。
初めて。
あたしから目を逸らした。
ほんの一瞬。
それだけだった。
でも。
あたしは見逃さなかった。
「……颯真兄ちゃん?」
「なんでもない」
「今、照れた?」
「照れてへん」
「照れた!」
「うるさい」
「絶対照れた!」
「卒業式戻れ!」
「終わったよ!」
「ほな帰れ!」
逃げるように歩き出す。
あたしは、その背中を追いかけた。
「颯真兄ちゃん!」
「ついてくんな!」
「ねえってば!」
「なんや!」
「あと四年だからね!」
「知らん!」
「待っててね!」
「知らん言うとるやろ!」
口では。
ずっとそう言う。
でも。
この日。
颯真兄ちゃんは初めて。
あたしの頭を撫でなかった。
その意味を。
十八歳のあたしは。
まだ、知らなかった。