ゆびきりげんまん
その日の夜。
仕事を終えて。
家に帰って。
ご飯を食べて。
お風呂にも入って。
髪も乾かして。
ベッドに座った。
「…………」
スマホを見る。
まだ。
連絡はない。
「…………」
いやいや。
ちゃう。
なんで。
あたしが待ってんの。
昼間。
言うたよな。
『あとで説明してもらうかな!』
言うた。
絶対言うた。
「……忘れてんの?」
時計を見る。
九時十二分。
もうええ。
こっちからかける。
スマホを持った瞬間。
鳴った。
「…………!」
颯真兄ちゃん。
慌てて出る。
「遅い!」
『もしもしより先に怒るな』
「待ってたんやから!」
『知らんがな』
「昼間言うたやろ!」
『何を』
「全部説明してって!」
『ああ』
「忘れてたやろ」
『今帰ったとこや』
「…………」
その一言で。
怒る勢いが。
少しだけなくなった。
「……こんな時間まで?」
『まあな』
「毎日?」
『毎日ちゃう』
「大変なん?」
『仕事やからな』
「…………」
聞きたいこと。
いっぱいあったのに。
最初に出てきたのは。
違う言葉だった。
「お疲れさま」
電話の向こうが。
少しだけ。
静かになった。
『……おう』
「で!」
『切り替え早いな』
「白バイ!」
『やっぱそこか』
「そこやろ!」
ベッドの上で正座する。
「いつから!?」
『何が』
「白バイ!」
『最近』
「最近っていつ!」
『最近は最近や』
「ちゃんと答えてや!」
『うるさいなぁ』
「なんで教えてくれへんかったん!」
『別に言う必要ないやろ』
「ある!」
『なんで』
「あるの!」
『理由になってへん』
「颯真兄ちゃんのことやから!」
言ってから。
自分でも。
何言ってんねやろと思った。
でも。
颯真兄ちゃんは。
笑わなかった。
「……ずっと目指してたん?」
『まあな』
「知らんかった」
『言うてへんからな』
「なんで?」
少し。
間が空いた。
『なれるかわからんかったし』
「…………」
『あかんかった時、格好悪いやろ』
「そんなんちゃう」
すぐに言った。
「絶対ちゃう」
『…………』
「なれへんかっても、頑張ったんやろ?」
『まあな』
「ほんなら、かっこ悪ないやん」
『…………』
「でも」
『なんや』
「なれたから」
昼間の姿を。
思い出した。
白い車体。
ヘルメットを外した。
颯真兄ちゃん。
「……めちゃくちゃ、かっこよかった」
『…………』
返事がない。
「聞いてる?」
『聞いとる』
「ほんまに、かっこよかった」
『二回言わんでええ』
「照れてる?」
『照れてへん』
「照れてるやん!」
『うるさい』
やっぱり。
颯真兄ちゃんや。
白バイに乗ってても。
何にも変わらへん。
「なあ」
『ん?』
「今度乗せて」
『アホか』
「なんで!」
『なんで乗せてもらえる思たんや』
「後ろ空いてるやん」
『そういう問題ちゃう』
「ケチ」
『ケチで結構』
「ほな触らせて」
『白バイをか?』
「うん」
『勝手に触んなよ』
「園児にも言うてた」
『当たり前や』
「ほな颯真兄ちゃんに触る」
『…………』
あ。
黙った。
「颯真兄ちゃん?」
『……お前な』
「何?」
『そういうこと平気で言うな』
「なんで?」
『なんでもや』
また。
これ。
二十歳になってから。
増えた。
あたしが近づくと。
困る。
触ろうとすると。
逃げる。
『お前がもう、子供ちゃうからや』
あの日の言葉。
まだ。
意味は。
全部わからへん。
でも。
少しくらい。
期待しても。
ええんかな。
「……あと少しやな」
『何が』
「忘れたん?」
『…………』
「六年前の約束」
沈黙。
「二十二歳」
『まだなってへんやろ』
「もうすぐやん」
『知っとる』
「ほんまに覚えてた?」
『忘れるほど昔ちゃう』
「六年前やで?」
『お前が何回も言うからや』
「ほな」
スマホを。
ぎゅっと握る。
「逃げんといてな」
『逃げへん言うとるやろ』
「絶対?」
『…………』
「颯真兄ちゃん?」
少しして。
低い声が。
返ってきた。
『絶対や』
「…………」
胸が。
どくん。
と鳴った。
「約束やで」
『ああ』
「指切りする?」
『電話や言うとるやろ』
「小指出して」
『出さん』
「前は出したやん!」
『あれは一回だけや』
「今日も!」
『嫌や』
「出して!」
『嫌や』
「颯真兄ちゃん!」
電話の向こうで。
笑ってる。
あたしも。
笑った。
あと少し。
あと。
ほんの少し。
六年前。
十六歳のあたしが。
ずっと遠いと思っていた。
二十二歳が。
もう。
すぐそこまで。
来ていた。
◇
数日後。
仕事帰り。
駅へ向かって歩いていた。
「すず先輩、お疲れさまでた!」
「お疲れー。明日遅刻せんといて
や」
「一回しかしてないじゃないですか!」
「一回したら十分や!」
後輩と別れる。
「さて」
帰ろ。
そう思って。
歩き出した。
その時。
道路の向こう。
見覚えのある後ろ姿があった。
「…………?」
女の人。
背が高くて。
綺麗で。
どっかで。
見たことがある。
誰やったっけ。
少し考えて。
思い出した。
「…………あ」
十六歳の時。
颯真兄ちゃんを。
ご飯に誘っていた人。
あの。
綺麗なお姉さん。
確か。
颯真兄ちゃんの先輩。
その人が。
店の前で。
誰かを待っていた。
なんで。
今さら。
こんなところで。
そう思った時。
「お待たせしました」
聞こえた声に。
身体が。
止まった。
道路の向こう。
その人のところへ。
颯真兄ちゃんが。
歩いてきた。
「遅い」
「すんません、桐谷さん」
「じゃ、今日は朝倉のおごりね」
「なんでそうなるんすか」
「待たせたから」
「横暴やなぁ」
二人が。
笑った。
「…………」
胸の奥が。
ざわっとした。
また。
この人。
六年前と。
同じ人。
桐谷さん。
二人は。
並んで。
店の中へ入っていった。
あたしは。
道路の反対側で。
ただ。
それを見ていた。
仕事を終えて。
家に帰って。
ご飯を食べて。
お風呂にも入って。
髪も乾かして。
ベッドに座った。
「…………」
スマホを見る。
まだ。
連絡はない。
「…………」
いやいや。
ちゃう。
なんで。
あたしが待ってんの。
昼間。
言うたよな。
『あとで説明してもらうかな!』
言うた。
絶対言うた。
「……忘れてんの?」
時計を見る。
九時十二分。
もうええ。
こっちからかける。
スマホを持った瞬間。
鳴った。
「…………!」
颯真兄ちゃん。
慌てて出る。
「遅い!」
『もしもしより先に怒るな』
「待ってたんやから!」
『知らんがな』
「昼間言うたやろ!」
『何を』
「全部説明してって!」
『ああ』
「忘れてたやろ」
『今帰ったとこや』
「…………」
その一言で。
怒る勢いが。
少しだけなくなった。
「……こんな時間まで?」
『まあな』
「毎日?」
『毎日ちゃう』
「大変なん?」
『仕事やからな』
「…………」
聞きたいこと。
いっぱいあったのに。
最初に出てきたのは。
違う言葉だった。
「お疲れさま」
電話の向こうが。
少しだけ。
静かになった。
『……おう』
「で!」
『切り替え早いな』
「白バイ!」
『やっぱそこか』
「そこやろ!」
ベッドの上で正座する。
「いつから!?」
『何が』
「白バイ!」
『最近』
「最近っていつ!」
『最近は最近や』
「ちゃんと答えてや!」
『うるさいなぁ』
「なんで教えてくれへんかったん!」
『別に言う必要ないやろ』
「ある!」
『なんで』
「あるの!」
『理由になってへん』
「颯真兄ちゃんのことやから!」
言ってから。
自分でも。
何言ってんねやろと思った。
でも。
颯真兄ちゃんは。
笑わなかった。
「……ずっと目指してたん?」
『まあな』
「知らんかった」
『言うてへんからな』
「なんで?」
少し。
間が空いた。
『なれるかわからんかったし』
「…………」
『あかんかった時、格好悪いやろ』
「そんなんちゃう」
すぐに言った。
「絶対ちゃう」
『…………』
「なれへんかっても、頑張ったんやろ?」
『まあな』
「ほんなら、かっこ悪ないやん」
『…………』
「でも」
『なんや』
「なれたから」
昼間の姿を。
思い出した。
白い車体。
ヘルメットを外した。
颯真兄ちゃん。
「……めちゃくちゃ、かっこよかった」
『…………』
返事がない。
「聞いてる?」
『聞いとる』
「ほんまに、かっこよかった」
『二回言わんでええ』
「照れてる?」
『照れてへん』
「照れてるやん!」
『うるさい』
やっぱり。
颯真兄ちゃんや。
白バイに乗ってても。
何にも変わらへん。
「なあ」
『ん?』
「今度乗せて」
『アホか』
「なんで!」
『なんで乗せてもらえる思たんや』
「後ろ空いてるやん」
『そういう問題ちゃう』
「ケチ」
『ケチで結構』
「ほな触らせて」
『白バイをか?』
「うん」
『勝手に触んなよ』
「園児にも言うてた」
『当たり前や』
「ほな颯真兄ちゃんに触る」
『…………』
あ。
黙った。
「颯真兄ちゃん?」
『……お前な』
「何?」
『そういうこと平気で言うな』
「なんで?」
『なんでもや』
また。
これ。
二十歳になってから。
増えた。
あたしが近づくと。
困る。
触ろうとすると。
逃げる。
『お前がもう、子供ちゃうからや』
あの日の言葉。
まだ。
意味は。
全部わからへん。
でも。
少しくらい。
期待しても。
ええんかな。
「……あと少しやな」
『何が』
「忘れたん?」
『…………』
「六年前の約束」
沈黙。
「二十二歳」
『まだなってへんやろ』
「もうすぐやん」
『知っとる』
「ほんまに覚えてた?」
『忘れるほど昔ちゃう』
「六年前やで?」
『お前が何回も言うからや』
「ほな」
スマホを。
ぎゅっと握る。
「逃げんといてな」
『逃げへん言うとるやろ』
「絶対?」
『…………』
「颯真兄ちゃん?」
少しして。
低い声が。
返ってきた。
『絶対や』
「…………」
胸が。
どくん。
と鳴った。
「約束やで」
『ああ』
「指切りする?」
『電話や言うとるやろ』
「小指出して」
『出さん』
「前は出したやん!」
『あれは一回だけや』
「今日も!」
『嫌や』
「出して!」
『嫌や』
「颯真兄ちゃん!」
電話の向こうで。
笑ってる。
あたしも。
笑った。
あと少し。
あと。
ほんの少し。
六年前。
十六歳のあたしが。
ずっと遠いと思っていた。
二十二歳が。
もう。
すぐそこまで。
来ていた。
◇
数日後。
仕事帰り。
駅へ向かって歩いていた。
「すず先輩、お疲れさまでた!」
「お疲れー。明日遅刻せんといて
や」
「一回しかしてないじゃないですか!」
「一回したら十分や!」
後輩と別れる。
「さて」
帰ろ。
そう思って。
歩き出した。
その時。
道路の向こう。
見覚えのある後ろ姿があった。
「…………?」
女の人。
背が高くて。
綺麗で。
どっかで。
見たことがある。
誰やったっけ。
少し考えて。
思い出した。
「…………あ」
十六歳の時。
颯真兄ちゃんを。
ご飯に誘っていた人。
あの。
綺麗なお姉さん。
確か。
颯真兄ちゃんの先輩。
その人が。
店の前で。
誰かを待っていた。
なんで。
今さら。
こんなところで。
そう思った時。
「お待たせしました」
聞こえた声に。
身体が。
止まった。
道路の向こう。
その人のところへ。
颯真兄ちゃんが。
歩いてきた。
「遅い」
「すんません、桐谷さん」
「じゃ、今日は朝倉のおごりね」
「なんでそうなるんすか」
「待たせたから」
「横暴やなぁ」
二人が。
笑った。
「…………」
胸の奥が。
ざわっとした。
また。
この人。
六年前と。
同じ人。
桐谷さん。
二人は。
並んで。
店の中へ入っていった。
あたしは。
道路の反対側で。
ただ。
それを見ていた。