ゆびきりげんまん
それから。
あたしは。
交番へ行くのをやめた。
颯真兄ちゃんが。
もうそこにおらんことが多いから。
それだけ。
メッセージも。
減った。
仕事が。
忙しいから。
それだけ。
電話もしなくなった。
疲れて。
早く寝たい日が増えたから。
それだけ。
「…………」
言い訳なら。
いくらでも。
あった。
でも。
ほんまは。
ちゃう。
怖かった。
颯真兄ちゃんのことを。
知るのが。
もし。
桐谷さんのことが。
好きやったら。
もし。
六年前の約束が。
颯真兄ちゃんにとって。
ただの。
子供との約束やったら。
もうすぐ。
二十二歳になる。
その日が。
あんなに。
楽しみやったのに。
今は。
少しだけ。
怖かった。
「すず先輩」
「ん?」
「これ、先方から返事来ました」
「見せて」
パソコンの画面を確認する。
「うん。これなら進めて大丈夫やで」
「了解です」
「あと、こっちも今日中にお願いな」
「はい」
後輩が。
自分の席へ戻る。
「神崎」
「はい」
上司に呼ばれる。
「この前の外回り、先方から評判よかったぞ」
「ほんまですか?」
「ああ」
「やった」
「次も頼むな、リーダー」
「はい」
今度は。
その言葉に。
戸惑わなかった。
リーダー。
いつの間にか。
普通に。
返事ができるようになっていた。
颯真兄ちゃん。
あたし。
ちゃんと。
頑張ってるで。
言いたくなって。
やめた。
もう。
何でもかんでも。
報告せんでええ。
あたしは。
もう。
子供やないんやから。
数日後。
仕事を終えて。
会社を出た。
スマホが鳴った。
颯真兄ちゃん。
「…………」
画面を見つめる。
出よか。
少し迷って。
通話ボタンを押した。
「もしもし」
『おう』
「どうしたん?」
『今、仕事終わりか?』
「うん」
『飯は?』
「まだ」
『ほな食いに行くか』
「…………」
前なら。
絶対。
『行く!』
やった。
何食べる?
どこ行く?
迎えに来て。
一秒で。
そう言ってた。
「ごめん」
『……は?』
「今日は帰るわ」
『なんか予定あるんか?』
「ないけど」
『ほな行けるやろ』
「疲れたから」
電話の向こうが。
静かになった。
『……体調悪いんか?』
「ちゃうよ」
『仕事でなんかあった?』
「何にもない」
『ほな――』
「颯真兄ちゃん」
『ん?』
「また今度な」
『…………』
「ほなね」
『おい、すず――』
電話を切った。
「…………」
胸が。
痛い。
行きたかった。
ものすごく。
行きたかった。
でも。
会ったら。
絶対。
聞いてまう。
桐谷さんと。
何してたん?
桐谷さんのこと。
好きなん?
あたしより。
桐谷さんの方が。
大人の女に見える?
そんなこと。
聞きたない。
「…………帰ろ」
駅へ向かった。
「…………」
颯真は。
切れたスマホを。
しばらく見ていた。
「なんやねん」
変。
絶対。
変。
すずから。
飯の誘いを断られた。
記憶にない。
『疲れたから』
それだけ。
「…………」
ほんまに。
疲れてるだけか?
もう一度。
電話しようとして。
やめた。
仕事で疲れてるなら。
邪魔するんも悪い。
「…………」
スマホをしまう。
でも。
妙に。
落ち着かなかった。
一週間。
すずから。
連絡がない。
「…………」
二週間。
『生きとるか』
送った。
『生きてるで笑』
それだけ。
「…………」
三週間。
颯真は。
気づけば。
昔いた交番の前に立っていた。
「何しとんねん、俺」
もう。
ここに来ても。
すずはいない。
昔は。
頼んでもないのに。
来た。
『颯真兄ちゃーん!』
遠くからでも。
すぐわかった。
うるさくて。
よう喋って。
帰れと言っても。
帰らない。
『暇なんか』
『暇ちゃうもん!』
『ほな帰れ』
『嫌や』
『なんでや』
『颯真兄ちゃんおるから』
「…………」
思い出して。
小さく。
息を吐いた。
静かだった。
すずが来なくなっただけで。
こんなに。
静かになるとは。
思わなかった。
そして。
すずの。
二十二歳の誕生日まで。
あと三日。
「朝倉」
呼ばれて。
振り向く。
桐谷だった。
「何、その顔」
「どんな顔ですか」
「捨てられた男みたいな顔」
「誰がですか」
「あんたが」
「捨てられてへんし」
「じゃあ何」
「…………」
桐谷が。
呆れたように笑う。
「すずちゃん?」
「なんでわかるんすか」
「それ以外で、あんたがそんな顔する?」
「…………」
颯真は。
黙った。
「最近、連絡ないんですわ」
「ふーん」
「誘っても断られたし」
「へえ」
「前まで、うるさいくらいやったのに」
「よかったじゃない」
「何がです?」
「静かになって」
「…………」
何も。
返せなかった。
桐谷が。
にやっと笑う。
「よくないんだ?」
「…………」
「朝倉」
「はい」
「六年前、あの子が私を見てたの、覚えてる?」
「はい?」
「ご飯行った時」
「ああ……」
「あの子、私のこと彼女だと思ってたんでしょ」
「たぶん」
「この前も」
桐谷が。
さらっと言った。
「見てたよ」
「…………は?」
颯真の顔が。
変わった。
「いつ」
「飲みに行った日」
「どこで」
「道路の向こう」
「なんで言わへんかったんですか!」
「なんで私が言うのよ」
「桐谷さん!」
「私たちが店に入るところ見てた」
「…………」
頭の中で。
全部。
繋がった。
翌日の。
『そっか』
それから。
減った連絡。
断られた食事。
来なくなった。
すず。
「……アホ」
思わず。
口から出た。
「誰が?」
「すずです」
「私はあんたもだと思うけど」
「…………」
「追いかけられるのに慣れすぎたんじゃない?」
その言葉に。
颯真が。
黙った。
「六年間」
桐谷が言う。
「あの子がずっと来てくれたから、朝倉はそこにいるだけでよかった」
「…………」
「でも」
桐谷が。
颯真を見る。
「もう来ないみたいね」
「…………」
六年間。
ずっと。
すずが。
走ってきた。
自分は。
待っていた。
いや。
違う。
逃げていた。
妹みたいなもんや。
まだ子供や。
六年後も同じこと言えたら。
そのたびに。
先へ。
先へ。
答えを延ばした。
それでも。
すずは。
追ってきた。
なのに。
いなくなって。
たった数週間。
それだけで。
こんなにも。
落ち着かない。
「……桐谷さん」
「何?」
「俺、帰ります」
「まだ勤務終わってないけど」
「…………」
「そこはちゃんと働け」
「はい」
「三日くらい待てるでしょ」
「なんで三日?」
桐谷が。
ため息をついた。
「ほんっとにバカね」
「なんすか」
「すずちゃんの誕生日」
「…………」
「忘れてないんでしょ?」
颯真は。
答えなかった。
忘れるわけがない。
六年前から。
何度も。
何度も。
言われ続けた日。
二十二歳。
『逃げんといてな』
『逃げへん言うとるやろ』
「…………」
逃げへん。
そう言った。
なら。
今度は。
自分の番だった。
ずっと。
走ってきたすずを。
待つんじゃない。
今度は。
自分が。
すずのところへ。
行く番だった。
あたしは。
交番へ行くのをやめた。
颯真兄ちゃんが。
もうそこにおらんことが多いから。
それだけ。
メッセージも。
減った。
仕事が。
忙しいから。
それだけ。
電話もしなくなった。
疲れて。
早く寝たい日が増えたから。
それだけ。
「…………」
言い訳なら。
いくらでも。
あった。
でも。
ほんまは。
ちゃう。
怖かった。
颯真兄ちゃんのことを。
知るのが。
もし。
桐谷さんのことが。
好きやったら。
もし。
六年前の約束が。
颯真兄ちゃんにとって。
ただの。
子供との約束やったら。
もうすぐ。
二十二歳になる。
その日が。
あんなに。
楽しみやったのに。
今は。
少しだけ。
怖かった。
「すず先輩」
「ん?」
「これ、先方から返事来ました」
「見せて」
パソコンの画面を確認する。
「うん。これなら進めて大丈夫やで」
「了解です」
「あと、こっちも今日中にお願いな」
「はい」
後輩が。
自分の席へ戻る。
「神崎」
「はい」
上司に呼ばれる。
「この前の外回り、先方から評判よかったぞ」
「ほんまですか?」
「ああ」
「やった」
「次も頼むな、リーダー」
「はい」
今度は。
その言葉に。
戸惑わなかった。
リーダー。
いつの間にか。
普通に。
返事ができるようになっていた。
颯真兄ちゃん。
あたし。
ちゃんと。
頑張ってるで。
言いたくなって。
やめた。
もう。
何でもかんでも。
報告せんでええ。
あたしは。
もう。
子供やないんやから。
数日後。
仕事を終えて。
会社を出た。
スマホが鳴った。
颯真兄ちゃん。
「…………」
画面を見つめる。
出よか。
少し迷って。
通話ボタンを押した。
「もしもし」
『おう』
「どうしたん?」
『今、仕事終わりか?』
「うん」
『飯は?』
「まだ」
『ほな食いに行くか』
「…………」
前なら。
絶対。
『行く!』
やった。
何食べる?
どこ行く?
迎えに来て。
一秒で。
そう言ってた。
「ごめん」
『……は?』
「今日は帰るわ」
『なんか予定あるんか?』
「ないけど」
『ほな行けるやろ』
「疲れたから」
電話の向こうが。
静かになった。
『……体調悪いんか?』
「ちゃうよ」
『仕事でなんかあった?』
「何にもない」
『ほな――』
「颯真兄ちゃん」
『ん?』
「また今度な」
『…………』
「ほなね」
『おい、すず――』
電話を切った。
「…………」
胸が。
痛い。
行きたかった。
ものすごく。
行きたかった。
でも。
会ったら。
絶対。
聞いてまう。
桐谷さんと。
何してたん?
桐谷さんのこと。
好きなん?
あたしより。
桐谷さんの方が。
大人の女に見える?
そんなこと。
聞きたない。
「…………帰ろ」
駅へ向かった。
「…………」
颯真は。
切れたスマホを。
しばらく見ていた。
「なんやねん」
変。
絶対。
変。
すずから。
飯の誘いを断られた。
記憶にない。
『疲れたから』
それだけ。
「…………」
ほんまに。
疲れてるだけか?
もう一度。
電話しようとして。
やめた。
仕事で疲れてるなら。
邪魔するんも悪い。
「…………」
スマホをしまう。
でも。
妙に。
落ち着かなかった。
一週間。
すずから。
連絡がない。
「…………」
二週間。
『生きとるか』
送った。
『生きてるで笑』
それだけ。
「…………」
三週間。
颯真は。
気づけば。
昔いた交番の前に立っていた。
「何しとんねん、俺」
もう。
ここに来ても。
すずはいない。
昔は。
頼んでもないのに。
来た。
『颯真兄ちゃーん!』
遠くからでも。
すぐわかった。
うるさくて。
よう喋って。
帰れと言っても。
帰らない。
『暇なんか』
『暇ちゃうもん!』
『ほな帰れ』
『嫌や』
『なんでや』
『颯真兄ちゃんおるから』
「…………」
思い出して。
小さく。
息を吐いた。
静かだった。
すずが来なくなっただけで。
こんなに。
静かになるとは。
思わなかった。
そして。
すずの。
二十二歳の誕生日まで。
あと三日。
「朝倉」
呼ばれて。
振り向く。
桐谷だった。
「何、その顔」
「どんな顔ですか」
「捨てられた男みたいな顔」
「誰がですか」
「あんたが」
「捨てられてへんし」
「じゃあ何」
「…………」
桐谷が。
呆れたように笑う。
「すずちゃん?」
「なんでわかるんすか」
「それ以外で、あんたがそんな顔する?」
「…………」
颯真は。
黙った。
「最近、連絡ないんですわ」
「ふーん」
「誘っても断られたし」
「へえ」
「前まで、うるさいくらいやったのに」
「よかったじゃない」
「何がです?」
「静かになって」
「…………」
何も。
返せなかった。
桐谷が。
にやっと笑う。
「よくないんだ?」
「…………」
「朝倉」
「はい」
「六年前、あの子が私を見てたの、覚えてる?」
「はい?」
「ご飯行った時」
「ああ……」
「あの子、私のこと彼女だと思ってたんでしょ」
「たぶん」
「この前も」
桐谷が。
さらっと言った。
「見てたよ」
「…………は?」
颯真の顔が。
変わった。
「いつ」
「飲みに行った日」
「どこで」
「道路の向こう」
「なんで言わへんかったんですか!」
「なんで私が言うのよ」
「桐谷さん!」
「私たちが店に入るところ見てた」
「…………」
頭の中で。
全部。
繋がった。
翌日の。
『そっか』
それから。
減った連絡。
断られた食事。
来なくなった。
すず。
「……アホ」
思わず。
口から出た。
「誰が?」
「すずです」
「私はあんたもだと思うけど」
「…………」
「追いかけられるのに慣れすぎたんじゃない?」
その言葉に。
颯真が。
黙った。
「六年間」
桐谷が言う。
「あの子がずっと来てくれたから、朝倉はそこにいるだけでよかった」
「…………」
「でも」
桐谷が。
颯真を見る。
「もう来ないみたいね」
「…………」
六年間。
ずっと。
すずが。
走ってきた。
自分は。
待っていた。
いや。
違う。
逃げていた。
妹みたいなもんや。
まだ子供や。
六年後も同じこと言えたら。
そのたびに。
先へ。
先へ。
答えを延ばした。
それでも。
すずは。
追ってきた。
なのに。
いなくなって。
たった数週間。
それだけで。
こんなにも。
落ち着かない。
「……桐谷さん」
「何?」
「俺、帰ります」
「まだ勤務終わってないけど」
「…………」
「そこはちゃんと働け」
「はい」
「三日くらい待てるでしょ」
「なんで三日?」
桐谷が。
ため息をついた。
「ほんっとにバカね」
「なんすか」
「すずちゃんの誕生日」
「…………」
「忘れてないんでしょ?」
颯真は。
答えなかった。
忘れるわけがない。
六年前から。
何度も。
何度も。
言われ続けた日。
二十二歳。
『逃げんといてな』
『逃げへん言うとるやろ』
「…………」
逃げへん。
そう言った。
なら。
今度は。
自分の番だった。
ずっと。
走ってきたすずを。
待つんじゃない。
今度は。
自分が。
すずのところへ。
行く番だった。