ゆびきりげんまん
交番が見えた。
いた。
颯真兄ちゃん。
交番の前で、自転車に乗ったおばあちゃんと話している。
走って。
走って。
そのまま――。
「颯真兄ちゃーん!」
颯真兄ちゃんが振り向いた。
「お前、また来たんか」
「結婚する!?」
「…………は?」
おばあちゃんまで、あたしを見る。
「結婚する予定ある!?」
「なんの話や!」
「あるの!?ないの!?」
「ないわ!」
「ほんと!?」
「なんで俺、女子高生に結婚の予定確認されとんねん!」
よかったぁぁぁ。
全身から力が抜けた。
「なんやねん、お前……」
「なんでもない」
「なんでもない奴は走って結婚の確認しに来ん」
「ちょっと気になっただけ」
「息切らして?」
「…………」
「汗だくで?」
「…………」
「アホやろ」
うるさい。
颯真兄ちゃんは呆れながら、ポケットからハンカチを出した。
「ほら」
「何?」
「汗」
あたしの額を拭こうとする。
「待って」
「なんや」
「自分で拭く」
「なんで」
「子供扱いしないで」
「汗拭くだけやろ」
「それが子供扱いなの!」
ハンカチを奪い取る。
颯真兄ちゃんは、わけがわからないって顔をしていた。
そういうところだ。
あたしがどれだけ頑張っても。
この人の中では、いつまで経っても四歳のすず。
「……ねえ」
「ん?」
「颯真兄ちゃんって、結婚したい?」
「は?」
「いつか」
「そら、まあ」
胸がざわっとした。
「……したいんだ」
「できるか知らんけどな」
「どんな人と?」
「またそれか」
「いいじゃん」
「昨日、好きなタイプ聞いたやろ」
「大人の女?」
「まあな」
また。
その言葉。
「何歳くらい?」
「知らん」
「年上?」
「別に」
「同い年?」
「知らんて」
「年下は?」
「しつこいなぁ」
「何歳下までいける?」
「なんの面接やねん」
「大事なの!」
颯真兄ちゃんがため息をつく。
「六歳下は?」
聞いた。
とうとう。
真正面から。
颯真兄ちゃんが、あたしを見る。
一秒。
二秒。
「今の六歳下は十六やろ」
「…………うん」
「ない」
胸の奥に。
小さな石が落ちた。
「……そっか」
「当たり前や」
わかってる。
高校生だもん。
颯真兄ちゃんは警察官だもん。
わかってる。
でも。
「じゃあ」
声が少しだけ小さくなった。
「六年後は?」
「…………」
「颯真兄ちゃんが二十八で、あたしが二十二になったら?」
今度は。
すぐに答えなかった。
昨日は、
『ならへん、ならへん』
って笑ったのに。
今日は、黙った。
その沈黙だけで。
心臓が速くなる。
「……それは」
颯真兄ちゃんが口を開いた、その時。
「朝倉くん」
女の人の声がした。
颯真兄ちゃんが振り返る。
あたしも見る。
交番の向こうから、一人の女性が歩いてきた。
綺麗な人。
大人っぽくて。
髪も綺麗で。
背も高くて。
あたしなんかより、ずっと落ち着いて見える。
その人が、颯真兄ちゃんに笑いかけた。
「今日、上がり何時?」
「え? ああ、七時ですけど」
「じゃあさ、この前言ってた店、今日行かない?」
「今日ですか?」
「うん。空いてるって言ってたでしょ?」
「まあ……空いてますけど」
何。
誰。
この人。
「じゃ、決まりね」
女の人が笑う。
颯真兄ちゃんも。
普通に話してる。
あたしの知らない顔で。
あたしの知らない、大人の世界で。
「……颯真兄ちゃん」
「ん?」
「あたし帰る」
「え?」
「じゃあね」
「おい、すず」
今度は止まらなかった。
呼ばれても。
振り返らなかった。
歩いて。
角を曲がって。
交番が見えなくなったところで。
走った。
胸が痛い。
息が苦しい。
さっきの人。
綺麗だった。
大人だった。
颯真兄ちゃんが言ってた。
落ち着いてて。
しっかりした。
大人の女。
全部。
あの人じゃん。
「……六年なんて」
長い。
ものすごく長い。
あたしが二十二歳になるまで。
あと六年。
その間。
颯真兄ちゃんの時間だって。
ちゃんと進むんだ。
そんな当たり前のことを。
あたしは初めて知った。
いた。
颯真兄ちゃん。
交番の前で、自転車に乗ったおばあちゃんと話している。
走って。
走って。
そのまま――。
「颯真兄ちゃーん!」
颯真兄ちゃんが振り向いた。
「お前、また来たんか」
「結婚する!?」
「…………は?」
おばあちゃんまで、あたしを見る。
「結婚する予定ある!?」
「なんの話や!」
「あるの!?ないの!?」
「ないわ!」
「ほんと!?」
「なんで俺、女子高生に結婚の予定確認されとんねん!」
よかったぁぁぁ。
全身から力が抜けた。
「なんやねん、お前……」
「なんでもない」
「なんでもない奴は走って結婚の確認しに来ん」
「ちょっと気になっただけ」
「息切らして?」
「…………」
「汗だくで?」
「…………」
「アホやろ」
うるさい。
颯真兄ちゃんは呆れながら、ポケットからハンカチを出した。
「ほら」
「何?」
「汗」
あたしの額を拭こうとする。
「待って」
「なんや」
「自分で拭く」
「なんで」
「子供扱いしないで」
「汗拭くだけやろ」
「それが子供扱いなの!」
ハンカチを奪い取る。
颯真兄ちゃんは、わけがわからないって顔をしていた。
そういうところだ。
あたしがどれだけ頑張っても。
この人の中では、いつまで経っても四歳のすず。
「……ねえ」
「ん?」
「颯真兄ちゃんって、結婚したい?」
「は?」
「いつか」
「そら、まあ」
胸がざわっとした。
「……したいんだ」
「できるか知らんけどな」
「どんな人と?」
「またそれか」
「いいじゃん」
「昨日、好きなタイプ聞いたやろ」
「大人の女?」
「まあな」
また。
その言葉。
「何歳くらい?」
「知らん」
「年上?」
「別に」
「同い年?」
「知らんて」
「年下は?」
「しつこいなぁ」
「何歳下までいける?」
「なんの面接やねん」
「大事なの!」
颯真兄ちゃんがため息をつく。
「六歳下は?」
聞いた。
とうとう。
真正面から。
颯真兄ちゃんが、あたしを見る。
一秒。
二秒。
「今の六歳下は十六やろ」
「…………うん」
「ない」
胸の奥に。
小さな石が落ちた。
「……そっか」
「当たり前や」
わかってる。
高校生だもん。
颯真兄ちゃんは警察官だもん。
わかってる。
でも。
「じゃあ」
声が少しだけ小さくなった。
「六年後は?」
「…………」
「颯真兄ちゃんが二十八で、あたしが二十二になったら?」
今度は。
すぐに答えなかった。
昨日は、
『ならへん、ならへん』
って笑ったのに。
今日は、黙った。
その沈黙だけで。
心臓が速くなる。
「……それは」
颯真兄ちゃんが口を開いた、その時。
「朝倉くん」
女の人の声がした。
颯真兄ちゃんが振り返る。
あたしも見る。
交番の向こうから、一人の女性が歩いてきた。
綺麗な人。
大人っぽくて。
髪も綺麗で。
背も高くて。
あたしなんかより、ずっと落ち着いて見える。
その人が、颯真兄ちゃんに笑いかけた。
「今日、上がり何時?」
「え? ああ、七時ですけど」
「じゃあさ、この前言ってた店、今日行かない?」
「今日ですか?」
「うん。空いてるって言ってたでしょ?」
「まあ……空いてますけど」
何。
誰。
この人。
「じゃ、決まりね」
女の人が笑う。
颯真兄ちゃんも。
普通に話してる。
あたしの知らない顔で。
あたしの知らない、大人の世界で。
「……颯真兄ちゃん」
「ん?」
「あたし帰る」
「え?」
「じゃあね」
「おい、すず」
今度は止まらなかった。
呼ばれても。
振り返らなかった。
歩いて。
角を曲がって。
交番が見えなくなったところで。
走った。
胸が痛い。
息が苦しい。
さっきの人。
綺麗だった。
大人だった。
颯真兄ちゃんが言ってた。
落ち着いてて。
しっかりした。
大人の女。
全部。
あの人じゃん。
「……六年なんて」
長い。
ものすごく長い。
あたしが二十二歳になるまで。
あと六年。
その間。
颯真兄ちゃんの時間だって。
ちゃんと進むんだ。
そんな当たり前のことを。
あたしは初めて知った。