すべてを失って、すべてを奪った一族のメイドになった。 ――未完成の特許と、三兄弟。
第4話 次男坊は、人間より研究が好き。
午前二時十三分。
皇城邸のほとんどの明かりが消えた頃。
一室だけが、昼間のように明るかった。
皇城朔夜 (こうじょうさくや)は、モニターを見ていた。
正確には――
モニターしか見ていなかった。
机の上には、空になったコーヒーカップ。
開きっぱなしの資料。
複数の測定機器。
そして、今夜使用する試料が順番に並べられている。
「…………」
数値が動く。
朔夜の指がキーボードを叩く。
測定。
記録。
条件変更。
再測定。
失敗。
「違う」
条件を戻す。
また測る。
「…………」
午前三時四十七分。
結果は変わらない。
朔夜は眼鏡を外し、目頭を押さえた。
眠い。
腹も減った。
たぶん。
最後に何か食べたのがいつだったか、よく覚えていない。
だが、そんなことはどうでもいい。
問題は一つ。
なぜ理論値と実測値が一致しないのか。
それだけ。
もう一度モニターを見る。
「……次」
机に並べていた試料を取る。
一つ。
測定。
違う。
二つ目。
違う。
三つ目。
少し近い。
「…………」
朔夜の目が細くなる。
条件を変える。
もう一度。
数値が跳ねる。
「来た」
身体を起こした。
ようやく。
仮説が一つ潰せる。
次は――
手を伸ばす。
「…………」
空振り。
朔夜は机を見る。
もう一度手を伸ばす。
ない。
「…………」
昨日用意した試料は六つ。
一。
二。
三。
四。
五。
「…………」
五つしかない。
朔夜の手が止まった。
最後の一つ。
今回の条件でしか使えない試料。
製造数が極端に少なく、追加入手には時間がかかる。
それが、
ない。
「…………は?」
机の上。
引き出し。
ケース。
機器の横。
床。
ない。
朔夜の脳内で、
昨日の行動が高速で巻き戻される。
研究室。
保管庫。
必要な試料を回収。
廊下。
角。
人。
衝突。
落下。
黒と白。
長い髪。
女。
「…………」
朔夜 (さくや)が立ち上がった。
椅子が後ろへ転がる。
「まさか」
***
午前五時十二分。
「ない」
廊下。
「……ない」
棚の下。
「ない」
壁際。
「…………」
朔夜は立ち尽くした。
昨夜ぶつかった場所だ。
綺麗だった。
綺麗すぎる。
床には埃一つない。
早朝清掃が入ったのかもしれない。
捨てられた?
朔夜の顔色が変わる。
近くを通った使用人を捕まえた。
朔夜「ちょっと」
「はい?」
朔夜「ここに小さい透明ケースなかった?」
「ケース、ですか?」
朔夜「これくらいの」
指で大きさを示す。
朔夜「中に試料が入ってる」
「申し訳ありません。私は見ておりません」
朔夜「清掃したの誰?」
「確認いたしましょうか?」
朔夜「今すぐ」
使用人が少し驚く。
「……かしこまりました」
朔夜はもう床を見ていた。
昨日の女。
拾った?
名前は――
「…………」
何だっけ。
言っていた。
たぶん。
新しく来た使用人。
黒髪。
メイド。
「…………」
名前が出ない。
そもそも聞いていなかった。
朔夜「最悪だ……」
昨夜、自分が言った言葉がそのまま返ってきた。
***
午前七時十八分。
朔夜は研究室へ戻っていた。
見つからなかった。
清掃担当も知らない。
ゴミも確認した。
ない。
なら代替品。
メーカーのデータベース。
在庫なし。
別の研究機関。
条件不一致。
海外。
輸送に時間がかかる。
類似素材。
純度が足りない。
朔夜「…………使えない」
検索。
検索。
検索。
候補。
却下。
検索。
モニターの右下に時刻が出ている。
八時。
朔夜は気づいていない。
九時。
気づいていない。
十時。
知らない。
そして。
午前十時四十一分。
コンコン。
「…………」
朔夜は反応しない。
コンコン。
「…………」
三回目。
コンコンコン。
「……何」
「失礼いたします」
扉が開く。
朔夜は振り返った。
黒髪。
白いエプロン。
長いスカート。
「…………」
昨日の女。
灯は扉のところで立っていた。
片手に――
透明なケース。
朔夜の目が見開かれる。
「それ!」
立ち上がる。
朔夜「どこにあった!?」
灯「え?」
朔夜「いつ拾った?」
灯「昨日です」
朔夜「何時?」
灯「十時過ぎだと思いますけど」
朔夜「どこで保管してた?」
灯「私の部屋です」
朔夜「温度は?」
灯「……室温?」
朔夜「直射日光は?」
灯「当たってません」
朔夜「ケース開けた?」
灯「開けてません」
朔夜「触った?」
灯がケースを見る。
灯「持ってきたので、触ってはいます」
朔夜「中身のこと!」
灯「触るわけないでしょう」
朔夜がケースを受け取る。
すぐ光へ透かす。
外観。
密閉。
変色なし。
目視上の異常なし。
「…………」
大丈夫そうだ。
朔夜の肩から、ほんの少し力が抜ける。
灯はその様子を見ていた。
待つ。
一秒。
二秒。
三秒。
「…………」
何もない。
灯:
灯「……あの」
朔夜「何」
灯「何かありません?」
朔夜はケースを見たまま。
「何が?」
「…………」
灯は少し考える。
もしかして本気で分からないのだろうか。
灯「昨日、あなたが落としたものを、私が拾って、わざわざ持ってきたんですが」
朔夜「うん」
灯「それについて何か」
「…………」
朔夜がようやく灯を見る。
考える。
そして。
朔夜「ああ」
分かったらしい。
朔夜「…………ありがとう」
間。
灯:「…………」
朔夜:「…………」
灯:「全然思ってませんよね」
朔夜「言ったけど」
灯、我慢できずに「言えばいいというものではありません」
朔夜「じゃあどうすればいいの」
灯「もう結構です」
朔夜はケースを机に置いた。
ようやく研究が再開できる。
朔夜「じゃあ」
灯「はい?」
朔夜「もう用は済んだから、早く出ていって」
灯:「…………」
すごい。
ここまで人を腹立たせる言葉を、
悪意なく言える人間がいる。
灯「分かりました」
灯は笑顔で答えた。
「失礼いたします」
とは言ったが、大事なもの拾った恩人?にその態度?
正直、気がおさまらってない灯
そこで、ちょっと邪魔してやろうと思った
まだ、お嬢様だったごろの気質の抜けてないらしい
モニターを覗きながら
灯「朔夜さんって何お研究してるんですか?」
朔夜「あなたに言ってもわからない」
モニターに映ってる内容が祖父の研究に似てると思った。
朔夜「研究の邪魔です」と見上げて
あかりの顔を見て、何かに気づいてることに気づいた。
ちょっとその目が気になった朔夜は、またモニターを見始めた。
それでも、周りを見まわしてる灯、その時だった。
ふと、
匂いがした。
金属。
薬品。
機械。
微かに熱を持った電子機器。
振り返る。
朔夜はもう灯を見ていない。
ケースを装置へセットしている。
研究室。
並んだ器具。
資料。
数式。
見覚えのないものばかり。
なのに。
胸の奥に、
妙に懐かしい感覚があった。
――灯、そこ触るなよ。
祖父の声。
――それ、じいちゃんが三日寝ないで作ったやつだからな。
幼い頃。
研究室へ遊びに行って、
よく怒られた。
祖父も、
研究を始めると周りが見えなくなった。
「…………」
少しだけ。
本当に少しだけ。
興味が湧いた。
灯は近くの機器を見る。
「これは何ですか?」
「…………」
返事がない。
灯「これ」
朔夜「触らないで」
即答。
灯の眉が動く。
灯「まだ触ってません」
朔夜「触ろうとしてた」
灯「見ていただけです」
朔夜「なら見るだけにして」
感じが悪い。
灯は隣を見る。
透明な板のようなもの。
灯「これは?」
朔夜「触らないで」
灯「だから触ってません」
朔夜「手が近い」
ムッとする灯
朔夜の指が止まる。
朔夜「君、仕事は?」
灯「休憩中です」
朔夜「休憩なら休んで」
灯「今休んでいます」
朔夜「ここで?」
灯「はい」
朔夜「なんで」
灯「興味があるので」
「…………」
朔夜が初めて、
少しだけ灯を見る。
朔夜「何に?」
灯「研究室に」
朔夜「分かるの?」
灯「分かりません」即答。
朔夜「じゃあ何が面白いの」
灯は部屋を見る。
灯「分からないからじゃないですか?」
「…………」
朔夜が止まった。
ほんの一瞬。
灯の答えが、
予想していたものと違った。
灯「分からないものって、少し気になりません?」
「…………」
それは。
分かる。
かなり分かる。
むしろ、それだけで生きている朔夜。
だが。
朔夜が答える前に、
灯の視線が別のものへ移った。
小さなガラス瓶。
中には透明な液体。
「これは?」灯が手を伸ばす。
朔夜「触らないで」
灯「見るだけです」
朔夜「今手を伸ばした」
灯は瓶を持ち上げた。
朔夜の顔が変わった。灯はここだと思った。
朔夜「それは置いて」
灯「これ、何なんですか?」
朔夜「いいから置いて」
灯「そんなに大事なんですか?」
朔夜「大事だから置いて」
灯「分かりました」
灯が瓶を戻そうとする。
その瞬間。
灯「あ」
指が、
滑った。(本当はわざと滑らした)
瓶が落ちる。
朔夜の顔から血の気が引いた。
「――っ!」
床へ。
落ちる?
寸前。
灯の手が伸びる。(正しくは、受け取る手はもう用意していた)
ぱしっ。
掴む。
「…………」
「…………」
静寂。
灯は瓶を持ち上げた。
灯「落ちませんでした」
朔夜「…………」
灯「よかったですね」と微笑む
朔夜の顔から、
表情が消えていた。
さっきまでの不機嫌とは違う。
本気で怒っている。
灯の悪戯心が、
すっと引いた。
朔夜が立ち上がる。
「何が面白いの」
低い声。
朔夜「もし落としてたら、どうするつもりだった?」
灯は答えられない。
朔夜「それが何なのかも知らないんだろ」
灯「……はい」
朔夜「価値も、作るのにかかった時間も、代わりがあるのかも」
「…………」
朔夜「何も知らないのに」
朔夜が灯を見る。
朔夜「何でそんなことできるの」
その言葉に、
灯の胸が少し痛んだ。
何も知らないのに。
自分も父に似たことを言われた。
――お前に何が分かる。
ただ。
今回は違う。
朔夜が正しい。
完全に。
灯は瓶を両手で持ち、
慎重に元の位置へ戻した。
「……すみませんでした」
朔夜は何も言わない。
灯「さすがに、今のは私が悪かったです」
「…………」
灯「もう触りません」
朔夜「当たり前だ」
灯は素直に頷いた。
そして出口へ向かう。
扉の前。
少しだけ振り返った。
「一つだけ」
朔夜は答えない。
「雨宮灯です…………昨日も名乗りました」
怒ってる人になぜ最後に自己紹介する?と思った
朔夜の眉がわずかに動く。
「次に会った時は、覚えていてください」
灯は小さく頭を下げた。
「では、失礼します」
朔夜「もう来なくていい!」
灯は扉を開ける。
振り返らずに答えた。
「それは残念です。失礼します」
扉が閉まった。
「…………」
静かになった。
朔夜は椅子へ座る。
瓶を見る。
扉を見る。
また瓶。
「…………」
深く息を吐いた。
徹夜明けの身体に、
どっと疲労が来る。
「……疲れた」
眼鏡を外す。
目元を押さえる。
「久しぶりに、研究以外のことで疲れた……」
もっとも、
徹夜もしているので、
どちらが原因なのかは分からない。
「…………」
朔夜は再びモニターを見る。
数値。
条件。
仮説。
やるべきことは山ほどある。
なのに。
腹の立つ受け答えをするさっきのメイドを思い出した
「雨宮……灯」
朔夜は眉を寄せた。
「変なメイド」
***
研究室を出た灯は、
廊下を歩きながら小さく息を吐いた。
「…………」
少し反省していた。
「さすがに、今のはやりすぎた・・・」
当たり前だ。
祖父の研究室でも、
大切なものに勝手に触った時だけは本気で怒られた。
「……子どもみたい」
研究のことになると。
周りが見えなくなって。
大事なものを取られそうになると、
あんな顔をする。
少しだけ、
祖父に似ている。
「…………」
灯は自分の頬がわずかに緩んでいることに気づいた。
すぐ戻す。
「いや、昨日ぶつかった時も感じが悪かった。
ありがとうも適当だったし、今日も感じが悪かった。
追い出された。
最後には怒鳴られた。
「…………」
結論。
「やっぱり感じ悪い」対して反省してない
灯は仕事へ戻った。
この時。
[[rb:皇城朔夜 > こうじょうさくや]]はまだ知らなかった。
研究対象なら、
どれだけ不可解でも歓迎する自分が。
たった一人の女のことだけは、
この先どれだけ考えても、
答えを出せなくなることを。
――第4話・完――