すべてを失って、すべてを奪った一族のメイドになった。 ――未完成の特許と、三兄弟。

第5話 長男坊は、支配的?

皇城邸で働き始めて、三日目。

雨宮灯は、一つの結論に達しつつあった。

皇城家は、みんな変わってる。

まだ全員には会っていないが

三男。 暇さえあれば絡んでくる。

次男。 研究物に触れると本気で怒る。

そして今日。

灯はまだ会ったことのない最後の一人――

皇城家長男 皇城玲司 (こうじょうれいじ)の書斎へ向かっていた。

「雨宮さん」

前を歩くチーフが振り返る。

「こちらのお部屋は、特に気をつけてください」

灯「特に?」

チーフ「玲司様の私室兼書斎です」

灯は足を止めかけた。

皇城玲司。

名前くらいは聞いたことがある。

皇城家の長男。

そして事実上、

巨大な皇城グループを動かしている男。

「玲司様は、お仕事の物の位置が変わることを非常に嫌われます」

「分かりました」

「机の上には触れないように」

「はい」

「特に左側の資料には絶対に」

「触りません」

昨日の経験がある。

大切なものには触らない。

もう学んだ。

たぶん。

***

書斎は、

想像していたより静かな部屋だった。

大きなデスク。

壁一面の本。

窓。

必要なものしか置かれていない。

朔夜の研究室とは正反対だ。

あちらは混沌。

こちらは、

すべてが決められた位置に置かれている。

「……性格が出るものね」

灯は小さく呟いた。

掃除を始める。

棚。

窓際。

ソファ。

床。

机には触らない。

完璧。

今日は何も起きない。

そう思った。

机の横を通った時だった。

「……あ」

スカートの裾が、

椅子の装飾に引っかかった。

「ちょっと――」

無理に動けば危ない。

灯は身体を捻り、裾を外そうとする。

その肘が、

机の端へ触れた。

嫌な感触。

「…………」

紙が動く。

灯は振り返った。

数枚の資料が、

ゆっくり机から滑り落ちた。

「待って」

手を伸ばす。

遅い。

ばさばさばさ。

床、たくさんの資料

「…………」

灯は目を閉じた。

三日目。

今日も駄目だった。

「……落ち着いて」

拾えばいい。

順番を変えないように。

そう思ってしゃがんだ。

だが。

問題はすぐ分かった。

資料は一つの束ではなかった。

机の左側に積まれていた複数の書類が混ざっている。

会議資料。

数値。

グラフ。

契約関連。

添付資料。

「…………」

まずい。

かなり。

「どうしよう……」

その時。

扉が開いた。

灯の背中が固まる。

革靴の音。

一歩。

止まる。

「…………」

振り返らなくても分かる。

たぶん、

一番会いたくない人が帰ってきた。

低い声が落ちた。

「何をしている」

灯は床の資料を拾いながら、ゆっくり振り返った。

最初に思ったのは、

大きい。

次に、

怖い。

短い銀髪。

鋭い目。

隙のない服装。

背が高い。

凪や朔夜もかなり高いが、

目の前の男は身体そのものに厚みがある。

そして何より。

機嫌が悪い。多分私で。

「申し訳ありません」

灯は立ち上がる。

「私の不注意で資料を落としてしまいました」

男の視線が床へ。

次に机。

そして灯。

玲司「誰が机に触れていいと言った」

灯「故意ではありません」

玲司「故意かどうかを聞いているんじゃない」

声を荒らげているわけではない。

なのに、

怒鳴られるより怖い。

玲司「触るなと言われなかったか」

灯「言われました」

玲司「なら、なぜこうなっている」

灯「ですから、私の不注意です」

灯も少し腹が立ってきた。

失敗した。

それは認める。

でも。

灯「すぐに戻します」

資料へ手を伸ばす。

玲司「触るな」

灯「ですが、私が落としたので」

玲司「聞こえなかったのか」

灯「聞こえています」

玲司「なら、もう下がれ」

灯「でも――」

玲司「もう、下ががっていい」

灯の指が止まった。

失敗した自分が悪い。

分かっている。

なのに。

胸の奥で、

昨日とは別の何かが引っかかった。

――お前に何が分かる。

父の声。

――お前に何ができる。

灯は資料を見る。

そして、

玲司を見る。

灯「いや、私が戻します」

玲司の眉が動いた。

「何?」

灯「私が落としたものですから」

玲司「何も分からないお前に、何が戻せる」

その瞬間。

灯の目が変わった。

玲司も気づいた。

あかりは小さく「……まだ、やってもいないのに」

「?」

灯「できないと決めないでください」

静かだった。

けれど、

はっきり言った。

まだメイドにはなりきれない。まっすぐだ

玲司が灯を見る。

長い沈黙。

「…………」

灯は視線を逸らさない。

玲司「誰に口を利いているか分かっているのか」

灯「皇城玲司様ですよね」

玲司「分かっていてそれか」

灯「失礼なのは承知しています」

玲司「なら、黙って下がれ」

灯「それとこれとは別です」

玲司の目が細くなった。もっと機嫌悪くなった

「…………」

灯は資料を拾おうとする。

「失礼します」

一歩。

その瞬間。

手首を掴まれた。

「――っ」

強い。

そのまま引かれる。

「ちょ――」

背中が壁へ。

ドン。

「……!」

目の前に玲司。

片手は灯の手首。

もう片方が、

灯の顔の横の壁につく。

近い。

大きい。

逃げ道がない。

「俺がいいと言ってるんだ、」

低い声。

「勝手にやるな」

灯は息を止めた。

怖い。

それは、

ちゃんと怖かった。

でも同時に。

腹が立つ。

灯「……離してください」

玲司は動かない。

灯「聞こえませんでした?」

玲司「聞こえている」

灯「では離してください」

玲司「俺の質問に答えろ」

灯「質問されてません」

「…………」

本当に面倒くさい。

灯は小さく呟いた。

灯「……横暴」

玲司「何?」

聞こえた。

玲司の眉間に皺が寄る。

怒る。

灯はそう思った。

ところが。

「…………フッ、そうか」

ほんの一瞬。玲司の口元が動いた。

灯「…………」

今、

笑った?

玲司は灯の手首を離した。

「そこまで言うなら」

床の資料を見る。

玲司「並べ直してみろ」

灯は掴まれていた手首を押さえる。

「……いいんですか?」

玲司「五分やる」

灯「五分?」

玲司「できると言ったのはお前だ」

灯「そんなことは言ってません」

玲司「同じことだ」

違う。

かなり違う。

だが。

「……分かりました」

灯は床へしゃがんだ。

玲司は腕時計を見る。

「やっていいぞ」

灯「もう始めています」

玲司「口は動かさなくていい」

灯「話しかけたのは玲司様です」

今までにない強気なメイドに、おかしく思った玲司だった

***

資料を見る。

最初は意味が分からなかった。

専門用語。

企業名。

数字。

だが。

内容を理解する必要はない。

どう使われる資料なのか。

それだけを見る。

表紙。

会議名。

日付。

ページ番号。

添付番号。

右上の管理番号。

同じフォント。

同じ案件名。

灯は分けていく。

一つ。

二つ。

三つ。

「…………」

玲司は腕を組んで見ていた。

三分。

灯の手が止まる。

一枚だけ、

どこに入るか分からない。

数字を見る。

本文。

グラフ。

「…………」

玲司「あと二分だ」

灯「分かっています」

玲司「手が止まっているぞ」

灯「考えているんです」

「遅い」変わってるやつ・・・急かす玲司

灯「急かさないでください」

玲司「仕事で待ってくれる相手ばかりだと思うな」

これも意地悪だ、本当は何にも期待してない。

灯「今は玲司様しか待ってません」

強気、想定外の返し、珍しいタイプ

玲司はそう思った。

四分。

灯が一枚を動かす。

別の束へ。

玲司の目が、

ほんの少し変わった。

そこか。

正しい。

だが灯は気づかない。

五分。

玲司が時計を見る。

玲司「終わりだ」

灯「あと少しです」

玲司「もう五分経った」

灯「あと二枚だけ――」

玲司「できてないじゃないか。もういい」

玲司が資料を取る。

「あ」

灯の手から束が抜かれた。

玲司「下がれ」

灯「でも」

玲司「もう大丈夫、二度言わせるな」

「…………」

灯は立ち上がった。

悔しい。

できなかった。

灯「申し訳ありませんでした」

頭を下げる。

扉へ向かう。

灯「失礼いたします」

返事はない。

灯は部屋を出た。

***

静かになった書斎。

玲司は資料を机へ置いた。

「…………」

自分で並べ直す。

その必要は、

ほとんどなかった。

灯から取り上げた束を見る。

一つ目。

正しい。

二つ目。

正しい。

三つ目。

正しい。

添付資料。

合っている。

ページ順。

合っている。

「…………」

玲司の手が止まる。

五分。

それも、

内容を知らない人間が。

玲司「……何者だ」

内線を取る。

玲司「今日、俺の書斎に入っていた使用人」

少し待つ。

チーフ『雨宮さんでしょうか』

玲司「雨宮?」

チーフ『はい。本日で勤務三日目の雨宮灯さんです』

「…………雨宮灯」

名前を頭に入れる。

チーフ『何か問題がございましたか?』

玲司は、

整えられた資料を見る。

「いや」

少し考える。

そして。

玲司「明日から、あいつを俺の書斎担当につけろ」

チーフ『……雨宮さんを、ですか?』

玲司「ああ」

チーフ『承知いたしました』

電話を切る。

玲司は仕事へ戻る。

数秒。

「…………」

また資料を見る。

ほんの少しだけ、

口元が動いた。

***

その頃。

当の灯は、

廊下を歩きながら手首をさすっていた。

「……痛い」

薄く赤くなっている。

「何なの、あの人……」

怖い。

偉そう。実際、偉い

人の話を聞かない。

命令ばかり。

凪とは別方向に疲れる。

朔夜とは別方向に腹が立つ。

あかり「もう、この家……」

灯は足を止める。

自分の制服を見る。

長いスカート。

今日も裾が引っかかった。

そもそも、

全部これのせいではないか。

灯「誰の趣味なんだろう、この制服……」

男「俺だよー」

「…………」

灯が止まる。

声は、

後ろからした。

振り返る。

男が立っていた。

「…………」

知らない人。

五十代後半くらい。

銀色の混じった髪。

無精髭。

背が高い。

黒いシャツ。

上のボタンがいくつか開いている。

この屋敷には妙に似合わない、

気の抜けた格好。

なのに。

立ち姿だけで分かる。

出入りの多い屋敷で、使用人ではないことだけはわかる

灯「……ど、どなたですか?」

男は笑った。

男「ひどいなあ」

灯「初対面ですので」

男が笑う「そうだったね〜」

男は灯を見る。

頭から、

足元まで。

男「うん」

満足そうに頷く。

男「やっぱり似合うね、その制服」

灯「…………」

嫌な予感がする。

灯「あなたが?」

男「うん、デザイン決めた」

灯「なぜこんなに長く?」

専属デザイナー?と勘づくが勘が悪い

男が楽しそうに笑う。

「隠す美学?」

「…………」

「見えない方が想像するじゃない?」

灯の目が冷たくなる。

男は続ける。

「なんかエロいし?」

灯「最低ですね」即答。

男「ハハハ、面白い子だなあ」

まただ。

この家に関わる人は、

人を面白がる癖でもあるのだろうか。

男が近づく。

灯が警戒するより早く、

手を取られた。

「……?」

その手を持ち上げる。

男が腰を屈める。

そして。

灯の手の甲へ、唇を落とした。

「――!」

灯が即座に手を引く。

灯「何してるんですか!」

男「挨拶?」

灯「どこの国のです?」

男「俺の国」

灯「存在しません」

男がまた笑う。

「いいねえ」

今度は灯の顔へ手を伸ばす。

指先が頬へ触れる。

輪郭をなぞるように――

灯がその手を払った。

灯「触らないでいただけます?」

男「可愛いね、新入りのメイドちゃん」

灯は無言で、

先ほど口づけされた手の甲を、

制服のエプロンで拭いた。

男「今拭いた?」

灯:「はい」

男は腹を抱えて笑い始めた。

「ははっ、いいねえ」

「何がです?」

「いや、久しぶりに面白い子がいるなって」

灯「確認ですが、奥様はいらっしゃいます?」

男「いるよ」

即答。

灯「では、今のことを奥様に言いつけますよ」

男「いいよ」

灯「え……いいんですか?」

男「うん。たぶん笑うから」

何だ、この夫婦。

「それに」

男は壁へ軽くもたれた。

「君が言いつけなくても、俺から話すし」

本当に何なんだ。その感覚理解できない

灯はふっと男を見る。

顔。銀混じりの髪。背の高さ。目元。軽さ。

ちょっとまって、似てる・・・

その予感は当たりだ

灯「もしかして」

男「ん?」

灯「玲司様のご親戚ですか?」

またしても、惜しい

男の眉が上がった。
「お、鋭いね〜、似てる?』

灯「はい、似ています」

男「どこらへんが?」

「顔と」

一拍。

「いろいろ」

男「玲司も何かした?」

灯「お答えする義務はありません」

男「ふーん」

男の笑みが深くなる。
本当、この家の人はみんなおさわが・・・

遠くから声がした。

「征士 (せいじ)様?」

使用人の一人がこちらへ来る。

「お戻りだったのですね」

灯「…………」

征士。

その名前にも聞き覚えがある。

皇城征士 (こうじょうせいじ)。

確か――

男がにこっと笑う。

「そういえば自己紹介してなかったね」

皇城征士 灯を見る。

そして、

何でもないことのように続けた。

「俺、玲司の父親、朔夜と凪もね」

「…………」

灯は征士を見る。

もう一度確認した

顔は、長男次男三男 全員入ってる

黒と銀色の髪。 れいじとさくや?

長身 全員超身長

距離感 三男

空気読まなさ 

長男次男三男すべてにこころあたりが・・・

「…………」

全部、

頭の中で繋がった。

灯は静かに言った。

「色々と納得しました」

「何が!?」と笑う征士に

灯は答えなかった。

ただ、

一つの結論だけは確信に変わった。

この家、遺伝だ。

灯「では、失礼いたします」

征士「あ、待ってよ。名前は?」

灯「雨宮です」

征士「あかりちゃん?」

灯の足が止まる。「…………」

なぜ。

征士「凪から聞いた」

やっぱり。

征士「可愛いメイドが来たって」

灯「余計な情報を共有しないでいただきたいです」

征士「俺もあかりちゃんって呼んでいい?」

灯「駄目です」

征士「じゃあ、あかりちゃん」

灯「・・・では失礼します」

征士の笑い声

灯は正体がわかっても態度変わることがなかった。

いや、変えることができなかったのもかもしれない。

その場を去った

***

一人残った征士は、

しばらく灯の背中を見ていた。

笑っている。

いつもの、

軽い顔。

だが。

灯が角を曲がって見えなくなった瞬間。

ほんの少しだけ、

征士の目つきが変わった。

「……へえ、おもしろくなりそうだね……」

新入りのメイド。

自分が誰なのか知っても、

最低限の礼儀は守るが、

態度はほとんど変わらなかった。

でも、媚びない。

そして。

玲司の名前を出した時。

ほんのわずかに、

手首を押さえた。

「…………」

征士はそこまで見ていた。

「玲司がねえ」

口元がまた緩む。

あの長男が、

使用人に何かしたらしい。

それだけでも珍しい。

「これは――」

少し考える。

そして、

いつもの軽い声へ戻った。

「しばらく家にいるのも、ありかもね」

皇城征士、五十八歳。

人生の基本方針は、

面白そうなら近づく。
面倒そうなら逃げる。

その両方を兼ね備えた雨宮灯という女を、

この日初めて知った。

――第5話・完――
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