学校一の王子様は、私にだけ甘すぎる。
第10話 この嘘くらいは
定例報告は、いつも決まった時間に届く。
『殿下のご様子、変わりないか』
画面に表示された短い一文に、碧悠真はしばらく返信を打てずにいた。
◇
変わりない、というのは嘘になる。ここ数ヶ月の蓮は、悠真が知る限り、一番よく笑うようになった。誰にも見せなかった素の表情を、あの気の弱そうな女の子の前でだけ、あっさりと見せてしまう。
『問題ありません。学業も順調です』
結局、当たり障りのない一文だけを返した。本当のことを書けば、余計な詮索を招くだけだと分かっていたから。
スマートフォンをポケットにしまいながら、悠真は屋上のフェンスに寄りかかった。放課後の空は、いつのまにか茜色に染まり始めている。
(何年、あいつの隣にいるんだろうな)
初めて蓮に会ったのは、悠真がまだ十歳の頃だった。お目付け役の家系に生まれた自分にとって、レオンハルト殿下の護衛は生まれながらに決められた将来だった。
けれど、初めて顔を合わせたあの日、蓮は悠真を「護衛」ではなく「友達」として扱った。誰も彼もが跪く中で、対等に接してくれた最初の相手だった。
以来ずっと、任務と友情の境界線は、悠真の中でも曖昧なままだった。
◇
「あれー、こんなところで一人とか珍しいじゃん」
声のした方を見ると、蓮が屋上の入り口に立っていた。
「お前こそ。茜は?」
「委員会。もうすぐ終わる」
そう言いながら、蓮は悠真の隣まで歩いてきて、同じようにフェンスに寄りかかった。
「本国から、何か言ってきたか」
唐突な問いに、悠真は一瞬言葉に詰まった。
「……いつも通り、様子伺いだよ」
「フリーデリケ嬢のことも?」
その名前を、蓮自身の口から聞くのは初めてだった。悠真は少し驚きながらも、平静を装って答える。
「聞かれれば、答えないわけにはいかない」
「そうだよな」
蓮は夕焼けを見つめたまま、静かに続けた。
「悠真から見て、俺、逃げてると思うか」
「逃げてる?」
「本国の話から。決められてる役割から」
珍しく弱さの滲む声だった。悠真はしばらく考えてから、正直に答えることにした。
「逃げてるとは思わない。ただ、いつかは向き合わなきゃいけない話だとも思ってる」
「分かってる」
「その上で聞くけどさ、お前、あの子のこと、どうするつもりだ。……なんてね、質問がガチすぎたか」
◇
蓮は少しの間、答えなかった。空を茜色から紫色へと変えていく夕暮れの中、彼の横顔には、悠真が今まで見たことのない真剣さが浮かんでいた。
「守りたいと思ってる」
「守るって、どこから」
「全部から。本国のごたごたも、噂話も、俺のせいで巻き込まれる面倒事も、全部」
「重いな、それ」
「分かってる。でも、それでも」
蓮はそこで初めて、悠真のほうを見た。
「悠真になら、頼んでもいいか」
「何を」
「もし俺が本国のことで身動き取れなくなったとき、あいつのこと、代わりに守ってほしい」
冗談交じりに聞こえる口調の裏に、本気の色があるのが分かった。悠真は一瞬呆れたように笑ったあと、肩をすくめた。
「お前がそういうこと本気で頼んでくるの、初めてだな」
「悪いか」
「いや。任せとけ、そこは。俺、これでも護衛のプロなんで」
軽い調子で答えながらも、悠真の中では静かに一つの決意が固まっていた。
(今度の報告も、当たり障りのないことだけ書いとくか)
本国に本当のことを伝えるのが自分の役目だと、頭では分かっている。それでも今は、目の前の友人が初めて見せた本気の顔を、優先したいと思ってしまった。
「あ、いた! 二人ともこんなところにいたの?」
屋上の入り口から、委員会を終えたらしい茜が顔を出した。夕焼けを背に駆け寄ってくる彼女を見て、蓮の表情が一瞬でやわらかくなる。
その顔を見ながら、悠真は小さく笑った。
(まあ、これくらいの嘘は、許されるだろ。……なんてね)
夕暮れの屋上に、三人分の影が長く伸びていた。