歌う人魚と秘密の小屋で

第一章

次に目が覚めた時、小春は白い天井を見上げていた。消毒液の香り。誰かが泣いている声。

「小春!小春、あんたって子はもう!こんな夜に海になんか行ったりして!!」

 わんわん泣きながら小春の手を握り、声をかけてくるのは母親の明里だ。

「お母さん…私…」

 ぼーっとする頭で思い出す。
そうだ。あの時私は海に行った。
そして不思議な歌声とピアノを奏でる主の正体を突き止めようとして沖に泳いでいき…溺れた。

あと、誰かに助けてもらった気がする。
覚えているのはエメラルド色の鱗と男の人。

漁師にでも助けられたのだろうか。
でも、はたして人間があのスピードで泳げるのだろうか…

「お母さん…私、溺れた時に誰かが助けてくれた気がするの…その人にお礼が言いたいんだけど…」

それを聞いた明里は眉をひそめて腕組みをした。

「あんたが見つかった時は岸に1人倒れ込んでいたのよ。溺れた後にたまたま流れ着いたのね…ラッキーだったわよ…。」

 何言ってるのこの子は、と言わんばかりにため息をつきながら明里は話す。

 そうか。発見された時、私は1人だった。

なら私を岸まで引き上げてくれた人物は誰だったのか?

あの歌声。
あのピアノの旋律。
そしてエメラルド色に輝く鱗。
男の人の声。

この地域に伝わる人魚伝説を思い出す。伝説では確か、人魚が人を喰う話だったか…

…いや。死にかけて幻覚でも見たのかもしれない。

心配そうに自分を見つめる母親を見やる。こんな話をすると2度と海に行かせてもらえなくなりそうだ。

「お母さん…心配かけてごめんね。次は気をつけるから…」

 謝る小春。

「当たり前よ。体が回復するまでしばらく海で遊ぶのはやめなさいね。学校の課題も終わってないでしょう。全く…無茶するんだから。」

少し笑って本当にごめんね、と伝える小春。

病院の窓の外はもう、真っ暗になっていた。



 次の日、医師から体調も問題なさそうだから、と告げられた小春は午後には病院を退院となった。

母親の運転で家に帰る途中、車の窓から自分を呑み込んだ海を見た。天気は晴れ。太陽を反射し穏やかに揺らめく海。昨日あったことなんて嘘のようだ。

スマホを見ると、友達からの大量の通知があった。
それはそうだ。私は溺れて病院に搬送されていたのだから。
たくさん返事をするのが少々面倒だなと感じつつも、返事を打ちながら小春は帰路についた。


 家に帰ると、エキゾチックでスパイシーな匂いが立ち込めている。今日の夕飯はカレーだ。
妹の日向がキッチンに立っていた。帰ってきた私に気付いた日向は調理道具を置いてこちらを見た。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
心配そうに話す妹。

「うん、お医者さんも大丈夫だって言ってたし、この通りピンピンしてるよ。」

力こぶを作って妹に見せる。

「そっか。良かった。もう無理しちゃダメだよ…あそうだ。あとね、最近担任の先生が産休に入って変わったんだけど。めっちゃイケメンなのに…」

言い終わらないうちに様子を見ていた母親が水を差す。

「大丈夫なわけないでしょう。あんたは早く部屋に行って休んできなさい。」

母親の気迫に根負けして、ハーイ…と返事をして自室に向かう。

 その後、大丈夫だと言っても全く聞く耳を持たない母親に大学を休むよう促された。スーパーのバイトも事情を話し、休みの連絡を入れる。

3日は療養のためと家でゆっくりと過ごした。

 久しぶりに大学に行くと、私を見つけて両手を広げて安堵の涙を浮かべて駆け寄ってきたのは友達の瀬川菜摘だ。ショートヘアに細長い手足が良く映える。私の両肩をガシッと掴むと早口で言った。

「ちょっと小春。聞いたよ。溺れたんだよね、大丈夫だった?すごく心配したよー!生きててよかった!!」

私に抱きつき頬擦りしてくる菜摘。
心配かけて悪かったな…
でも、病み上がりの人間をそんなふうに激しく扱うのはいかがなものか。

「アハハ…もう大丈夫だから。遅刻しちゃうよ。」

小春はくっつく菜摘を引き剥がし、一緒に授業へと向かった。


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