私にだけ素顔をみせる営業部主任の雨風くん。
「……ちょっと待って!」
 
 深く考える間もなく、私はその人へ声をかけていた。

 その人はぎょっとしてこちらを見た――のだが、なんということだろう。次の瞬間、何食わぬ顔で立ち去ろうとするではないか。

 でも、ほかに縋れる糸がない私は諦めない。

「待って、行かないで――! 教えてほしいことがある!」

 必死でマイクに声を通すと、キインと耳障りなハウリング。彼は聞こえよがしにため息を吐いてから、いかにも億劫そうに近づいてきた。

 なぜか通話中を装うようにスマートフォンを右耳にあてて、私の横に並ぶと、

「……なに?」

 気だるげに言葉を吐く。さらに「俺忙しいんだけど」と、余計な一言付きだ。

 こっちがお願いをする立場とはいえ、なんて失礼な態度なの。
 むっとした私は、売り言葉に買い言葉、どこかなげやりな態度で質問を投げた。

「昨日の話だけど、ちゃんと説明してよ」

「……はあ。いや、説明するほどのこともないけど」

 応じつつも、彼はこちらを見ようともしない。あくまで携帯電話に話しかける体(てい)で、会話を続ける。

「……昨日言ったとおり、きみはユーレイとかそういう類のモンだと思うよ。たぶん」
「幽霊って」
 確かに、そう言われれば色々と説明はつく。でも……。
「そもそも死んだ記憶がないんだけど」
 そうなのだ。昨日も今日もしっかり出社して、なんなら仕事でミスをして課長に絞られたことも覚えている。もちろん、死にたいと思い悩んでいたわけでもなければ、不慮の事故にあった記憶もない。

「ふーん。じゃあ何なら覚えてる。名前と職業は」
「覚えてるけど……」

 他人に本名を名乗るのは抵抗がある。だって、路上ライブをしている間だけは、何者でもない私でいたかったから。
 黙り込んでいると、彼は「ま、プライバシーがあるわな」と肩を竦めた。

「答えたくなきゃ別にいいよ。俺はなんも困らないし――それじゃ」
「ちょっ……」

 そそくさと身を翻す彼。
 なんて薄情な……。
 ――こうなったら、仕方がない。赤の他人に個人情報を開示する決意を固める。

「椿井(つばい)です。椿井ゆき。会社員」

 見ての通り、と自らの服装を視線で示す。今日も私はオフィス帰りの格好そのままで路上に立っていた。

「へえ……」
 ここで初めて、彼が私の顔をしっかり見た。
「さよ子とか、ちよ子とか、その手のユーレイらしい名前を想像してた」 
「…………」
 悪かったわね。
「こちとら現代を生きる普通の会社員なので」
「……死んでるんじゃん?」
 彼がさらりと訂正してきた。
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