『飛鳥の皇子は、私の“残業”を許さない』
4.おのれ聖徳太子
「ふん。凡人の泥臭い動機や保身など、僕には到底理解できんが……お前のその『段取り(視覚化)』は見事だったな、依」
役人たちが去り、すっかり静まり返った執務室で、厩戸皇子がふっと満足げに微笑んだ。
国宝級の美貌が、自分だけに向けられる。前世で男っ気のないデスマーチばかりを過ごしてきた身としては、正直、少しだけ心臓に悪いグラフィックだ。
「恐れ入ります。……さて、システムエラーも無事に解決しましたし、ちょうど空の太陽も沈みきって、定刻を過ぎています」
私は伸びをして、懐から自分の荷物をまとめた風呂敷包みを取り出した。
「では皇子、私はこれで『定時退社』させていただきます。明日もスローライフのために、遅刻せずほどほどに働きに来ますので」
「待て」
皇子がすっと扇を広げ、私の行く手を物理的に阻んだ。
その切れ長の瞳には、獲物を見つけた肉食獣のような、あるいは、極上のデベロッパーを見つけたワンマン社長のような、怪しい光が灯っている。
「お前ほどの有能な人材を、ただの采女として雑用に回しておくのは、国家的な損失だ」
「……はい? 嫌な予感がするんですけど」
「明日から、お前を僕の『専属秘書』に任命する。まずは、来月発布予定の、能力主義に基づく新しい人事制度『冠位十二階』の仕様書作成。それから、国家の基本方針となる『憲法十七条』のドラフトの進捗管理。さらに大陸への定期連絡の翻訳チェックもやってもらう」
皇子が、嫌な予感しかしない厚みと重量を持った、数百枚の木簡の束を、ドサッと私の目の前に積み上げた。
それは現代で言えば、「国家規模の超大型デスマーチ案件への、PM強制就任」を意味していた。
「な……っ! 私の、私の念願の、のんびり飛鳥スローライフ計画が!」
「安心しろ。仕事が終わるまでは、僕が責任を持ってお前の帰宅を許さない。さあ、まずは明日の朝までに、この仕様書の課題点を三つにまとめておけよ、依」
不敵に笑う皇子。
それは、終わらない残業のゴングだった。
「おのれ、聖徳太子ぃぃぃーーーーー!!」
私の悲痛な叫びが、夕暮れの飛鳥の空に、虚しくこだまするのだった。私のホワイトな第二の人生は、どうやら始まったばかりで完全に頓挫したらしい。
(第1話 終)