ことほぎの祈り
初めは、本当に何てことのない一言のつもりだったのだ。
放課後、部活を終えた真依ちゃんが「これ、めっちゃ可愛くない? 琴葉も読んでみなよ!」と笑顔で貸してくれた一冊のファッション雑誌。
学校から帰った後、自分の部屋に荷物を置いた私は、居間のふかふかなソファでゴロゴロと横になりながら、何気なくそのページをパラパラとめくっていた。
雑誌の紙面には、プロのモデルさんたちが華やかに着こなす、目移りするほど可愛い服がたくさん並んでいる。
フリルのついた薄いブラウス、最近SNSでよく見る流行りのシアーシャツ、ちょっと背伸びした大人っぽいワンピース。
「良いなぁ、私もこんな服着たいな……」
そう。雑誌の写真に目を奪われながら、私がぽつりと小さく呟いたその声を、居間のドアを開けて入ってきた保名が聞き逃すはずもなかった。
「えっ!琴葉ちゃん、そんな服着たいん!?」
「うわっ、びっくりした!部屋にいたんじゃないの?」
背後から急にひょっこりと覗き込んできた保名に心底驚いて、私は思わず抱きしめるようにして雑誌を自分の胸元に抱え込んだ。
心臓がドキンと嫌な跳ね方をする。
「琴葉ちゃんセンサーはいつでも可動中やからな!」
「いらんセンサー稼働させんで良いよ……」
呆れ顔で突っ込みを入れつつ、胸元に抱えていた雑誌を机に置いた。
「どれどれ?琴葉ちゃんが着たい服ってどんなん?」
「えっとね、探偵っぽい服着てみたい」
「探偵?」
「うん。なんて言うのかな、丈が短くて、ケープみたいなのがついてる……インバウンドコート?」
「インバネスコートやで〜。インバウンドは外国人観光客やな」
「そうそれ!」
保名を指差し、パチコーン!と星でも飛ばしそうな勢いでウィンクする。
確か、先週の土曜日に保名と一緒に動画配信サイトで見た、イギリスのミステリー映画に出てくる名探偵の決めポーズを真似したつもりだった。
「ええなぁ、探偵さん。じゃあ俺は琴葉ちゃん専属の助手なるわ〜。……あと人に指差したらあかんでー」
しまおうな、と私の指に自分の手を添えて拳に戻した。
物心つく前から長いこと面倒を見てきた幼馴染に言い聞かせるように、保名は口を開く。
「人を指差すんはお行儀悪いからな。探偵さんなら、そこらへんもちゃんとせなあかんで」
「うん」
何だか小さい子供扱いされたみたいで、ほんの少しだけ悔しい。けれど、確かに人を指差したのは私の行儀が悪かったので、素直にコクコクと頷いた。
手に残る保名の温もりが、なんだか妙に熱く感じられる。
「それに、季節的に売ってるかなぁ……。秋服ちゃうん?今、初夏やで」
保名は机に置いた雑誌をパラパラとめくりながら、うーんと眉をひそめた。
「……秋まで待つ」
「そこまでして着たいんかー。……まぁ、ネットで探してみよか」
保名は自分のスマホを取り出すと、手慣れた手つきで画面を操作し始める。
「お、琴葉ちゃん。これとかどう?」
「どれどれ」
画面を覗き込むと、そこには夏でも着られそうな軽やかな素材のケープ風ブラウスや、チェック柄のサマージャケットが並んでいた。
「ってか予算なんぼ?」
「五千円。今月の残りのお小遣いと、先月浮いた分」
「琴葉ちゃんがちゃんとした服着るなんて……今日はお祝いやな!赤飯炊かんと」
「あれ、私いま、地味にディスられてた???」
「褒めてる褒めてる!めっちゃ褒めてるで!」
「なら良っか」
「なぁ、今週末ショッピングモール一緒に行こ〜!」
「え、ショッピングモール? ネットで買うんとちゃうの?」
「実物見たほうがサイズ感もわかるし、夏物で探偵っぽい服あるか探すんも楽しそうやん!それに……」
保名はスマホをポケットに放り込むと、ニコニコ笑顔で言う。
「琴葉ちゃんとの久々のデート嬉しいわ〜!」
「デート?服を見に行くだけだよ?」
「服を見に行くだけでも、俺にとっては立派なデートなんやで!」
胸を張ってドヤ顔を決める保名に、私は「はいはい」と呆れ半分で苦笑いを返した。
呆れつつも、内心ではちょっと楽しみにしている自分もいたことは秘密だ。
✳✳✳
数日後。
神楽の練習と並行して、保名と私の動画配信の活動も、本人のしつこい情熱によって細々と続いていた。
『やほー!保名やで!今日も保Kちゃんと一緒にお届けしまーす!』
「あ、どうも……保Kです……」
相変わらず猫のお面を被り、カメラの前に座る。
最初はあんなに緊張していたのに、保名の手際の良い進行と、カメラの向こうにいるリスナー達の温かいコメントのおかげで、少しずつ画面の前に立つことへの抵抗感が薄れてきていた。
たまに当主様もコメントを残してくれて、その時ばかりは二人揃ってガチガチに緊張したり。
「保名、今日の企画ってなんなの?」
「ふふふ、よくぞ聞いてくれました!今日の企画は……『保Kちゃんに内緒で、目隠し味触りゲーム』〜!」
「……待って、聞いてないんだけど!?」
「サプライズやからな!ほら、保Kちゃん目閉じて〜」
保名から手渡されたアイマスクをお面の上から付ける。椅子に座らされ、ガチガチに緊張する。
保名がニヤニヤしながら、ゲテモノ料理や、とんでもなく激辛料理を用意している場面が頭をよぎる。
中学の時、彼が悪戯で私のカバンおもちゃのクモのおもちゃを仕込んだ前科を、私は一生忘れない。
「保名……変なものだったら、一週間口聞かないからね」
震える声を精一杯張り上げて、猫のお面越しに威嚇する。
「人聞きの悪いこと言わんといて〜!俺が保Kちゃんにそんな酷いことするわけないやんか」
画面の向こうのリスナーに向かって、保名がおどけるような声を出したのが分かる。
「はい、じゃあ第一問。口大きく開けて〜。あーん」
(……あーん?)
予想外の展開に、一瞬思考が停止した。
まさか、保名に食べさせてもらうなんて。
視界が塞がれているせいで、その言葉の響きがやけに甘ったるく耳に響く。
「……じ、自分で食べる」
「あかんよ、ゲームのルールやから。ほら、リスナーのみんなも待ってるで?3、2、1……」
強引にカウントダウンを始められ、私は観念してお面を少しずらして恐る恐る口を開けた。
変なものだったら、その瞬間にカメラをなぎ倒してやる。そう固く心に誓いながら。
口の中に、ひんやりとした、滑らかな何かが滑り込んできた。
(……あ)
予想していたような、衝撃的な味ではなかった。
舌の上でとろけるような、濃厚な甘み。
上品なカラメルの風味と、わずかに感じる卵の味。
「……ん」
思わず、お面の下で頬が緩む。
美味しい。文句なしに美味しい。
「はい、保Kちゃん、何食べたか分かるかな〜?」
「……プリン?」
「おっ、正解!さすが甘いものには目がない保Kちゃんやな!」
視界が開けると、保名がスプーンを手にニカッと眩しい笑顔を浮かべていた。
カメラの前だというのに、彼の瞳は真っ直ぐに私だけを見つめている。
その真っ直ぐすぎる視線に、胸の奥がキュンと締め付けられるような妙な感覚に襲われた。
お面の下で、顔がカッと熱くなる。
保名からの『あーん』。そして、リスナー達が見守る前での、甘いやり取り。
まるで、本当のカップルみたいじゃないか。
「……保名、次の問題は?」
動揺を隠すように、私は少しぶっきらぼうに尋ねた。
「おっ、やる気満々やな!よっしゃ、第二問は……これや!」
保名が画面に突き出したのは、見知らぬ和菓子屋の包装紙に包まれた小さな箱だった。
「これはなぁ、俺が実家に帰った時に見つけた幻のいっぴん!保Kちゃんに絶対食べさせたいなー思って、お取り寄せしたんよ〜」
(……幻のいっぴん?)
「ほら、目ぇ閉じて」
再びアイマスクを着用させられ、視界が断たれる。
今度は、保名が何かを私の唇に押し付けてきた。
少し硬い、ザラッとした質感。
「はい、噛んで」
促されるまま、思い切って噛み砕く。
口の中に広がったのは、意外なことに、爽やかな柚子の香りだった。
外側はシャリッとした砂糖の食感。内側はトロッとした濃厚な柚子餡。
甘すぎず上品で、いくらでも食べられそうな、そんな味。
「あ、これ美味しいね!」
「やろ〜!老舗和菓子屋で、よくごひいきにさせてもろて……」
「ありがとうね、保名」
お面越しに、精一杯の感謝を伝える。
カメラの向こうで、リスナー達がどんなコメントを残しているかは分からない。
でも、今はどうでもよかった。
ただ、目の前にいる保名に私の気持ちを伝えたかった。
「……待って。え、今なんて言った?」
ぽかんと口を開けたまま、私は保名の様子をうかがう。
それまでのヘラヘラした余裕のある表情はどこへやら、彼は見事なまでにフリーズしている。目がこれでもかというくらい丸く見開かれていて、手に持ったお菓子の箱がカタカタと小さく震えていた。
私は恥ずかしくなってアイマスクを付け直す。
「ま、待って待って!琴葉ちゃん、もう一回!もう一回言って!目覚ましのアラーム音にするから!!」
「誰が言うか!画面の前で恥ずかしいこと言わせないでよ!」
「えぇ~っ!? 奇跡の一言やったのに~!リスナーのみんな、今の聞いた!?保Kちゃんが俺に『ありがとう』って! 素直に感謝の言葉を口にしたで!?」
コメント欄が一気に流れていく気配を感じる。『保Kちゃんデレた!?』とか『保名くんおめでとう(笑)』なんて文字が画面を埋め尽くしているんだろうか。
「えーっと、なになに。『保Kちゃん可愛いですね』。そうやろ〜!保Kちゃんはほんま可愛いんよ。怒ってる顔も小動物みたいでほんま可愛らしいねん!あ、また生放送で惚気話すわ」
放課後、部活を終えた真依ちゃんが「これ、めっちゃ可愛くない? 琴葉も読んでみなよ!」と笑顔で貸してくれた一冊のファッション雑誌。
学校から帰った後、自分の部屋に荷物を置いた私は、居間のふかふかなソファでゴロゴロと横になりながら、何気なくそのページをパラパラとめくっていた。
雑誌の紙面には、プロのモデルさんたちが華やかに着こなす、目移りするほど可愛い服がたくさん並んでいる。
フリルのついた薄いブラウス、最近SNSでよく見る流行りのシアーシャツ、ちょっと背伸びした大人っぽいワンピース。
「良いなぁ、私もこんな服着たいな……」
そう。雑誌の写真に目を奪われながら、私がぽつりと小さく呟いたその声を、居間のドアを開けて入ってきた保名が聞き逃すはずもなかった。
「えっ!琴葉ちゃん、そんな服着たいん!?」
「うわっ、びっくりした!部屋にいたんじゃないの?」
背後から急にひょっこりと覗き込んできた保名に心底驚いて、私は思わず抱きしめるようにして雑誌を自分の胸元に抱え込んだ。
心臓がドキンと嫌な跳ね方をする。
「琴葉ちゃんセンサーはいつでも可動中やからな!」
「いらんセンサー稼働させんで良いよ……」
呆れ顔で突っ込みを入れつつ、胸元に抱えていた雑誌を机に置いた。
「どれどれ?琴葉ちゃんが着たい服ってどんなん?」
「えっとね、探偵っぽい服着てみたい」
「探偵?」
「うん。なんて言うのかな、丈が短くて、ケープみたいなのがついてる……インバウンドコート?」
「インバネスコートやで〜。インバウンドは外国人観光客やな」
「そうそれ!」
保名を指差し、パチコーン!と星でも飛ばしそうな勢いでウィンクする。
確か、先週の土曜日に保名と一緒に動画配信サイトで見た、イギリスのミステリー映画に出てくる名探偵の決めポーズを真似したつもりだった。
「ええなぁ、探偵さん。じゃあ俺は琴葉ちゃん専属の助手なるわ〜。……あと人に指差したらあかんでー」
しまおうな、と私の指に自分の手を添えて拳に戻した。
物心つく前から長いこと面倒を見てきた幼馴染に言い聞かせるように、保名は口を開く。
「人を指差すんはお行儀悪いからな。探偵さんなら、そこらへんもちゃんとせなあかんで」
「うん」
何だか小さい子供扱いされたみたいで、ほんの少しだけ悔しい。けれど、確かに人を指差したのは私の行儀が悪かったので、素直にコクコクと頷いた。
手に残る保名の温もりが、なんだか妙に熱く感じられる。
「それに、季節的に売ってるかなぁ……。秋服ちゃうん?今、初夏やで」
保名は机に置いた雑誌をパラパラとめくりながら、うーんと眉をひそめた。
「……秋まで待つ」
「そこまでして着たいんかー。……まぁ、ネットで探してみよか」
保名は自分のスマホを取り出すと、手慣れた手つきで画面を操作し始める。
「お、琴葉ちゃん。これとかどう?」
「どれどれ」
画面を覗き込むと、そこには夏でも着られそうな軽やかな素材のケープ風ブラウスや、チェック柄のサマージャケットが並んでいた。
「ってか予算なんぼ?」
「五千円。今月の残りのお小遣いと、先月浮いた分」
「琴葉ちゃんがちゃんとした服着るなんて……今日はお祝いやな!赤飯炊かんと」
「あれ、私いま、地味にディスられてた???」
「褒めてる褒めてる!めっちゃ褒めてるで!」
「なら良っか」
「なぁ、今週末ショッピングモール一緒に行こ〜!」
「え、ショッピングモール? ネットで買うんとちゃうの?」
「実物見たほうがサイズ感もわかるし、夏物で探偵っぽい服あるか探すんも楽しそうやん!それに……」
保名はスマホをポケットに放り込むと、ニコニコ笑顔で言う。
「琴葉ちゃんとの久々のデート嬉しいわ〜!」
「デート?服を見に行くだけだよ?」
「服を見に行くだけでも、俺にとっては立派なデートなんやで!」
胸を張ってドヤ顔を決める保名に、私は「はいはい」と呆れ半分で苦笑いを返した。
呆れつつも、内心ではちょっと楽しみにしている自分もいたことは秘密だ。
✳✳✳
数日後。
神楽の練習と並行して、保名と私の動画配信の活動も、本人のしつこい情熱によって細々と続いていた。
『やほー!保名やで!今日も保Kちゃんと一緒にお届けしまーす!』
「あ、どうも……保Kです……」
相変わらず猫のお面を被り、カメラの前に座る。
最初はあんなに緊張していたのに、保名の手際の良い進行と、カメラの向こうにいるリスナー達の温かいコメントのおかげで、少しずつ画面の前に立つことへの抵抗感が薄れてきていた。
たまに当主様もコメントを残してくれて、その時ばかりは二人揃ってガチガチに緊張したり。
「保名、今日の企画ってなんなの?」
「ふふふ、よくぞ聞いてくれました!今日の企画は……『保Kちゃんに内緒で、目隠し味触りゲーム』〜!」
「……待って、聞いてないんだけど!?」
「サプライズやからな!ほら、保Kちゃん目閉じて〜」
保名から手渡されたアイマスクをお面の上から付ける。椅子に座らされ、ガチガチに緊張する。
保名がニヤニヤしながら、ゲテモノ料理や、とんでもなく激辛料理を用意している場面が頭をよぎる。
中学の時、彼が悪戯で私のカバンおもちゃのクモのおもちゃを仕込んだ前科を、私は一生忘れない。
「保名……変なものだったら、一週間口聞かないからね」
震える声を精一杯張り上げて、猫のお面越しに威嚇する。
「人聞きの悪いこと言わんといて〜!俺が保Kちゃんにそんな酷いことするわけないやんか」
画面の向こうのリスナーに向かって、保名がおどけるような声を出したのが分かる。
「はい、じゃあ第一問。口大きく開けて〜。あーん」
(……あーん?)
予想外の展開に、一瞬思考が停止した。
まさか、保名に食べさせてもらうなんて。
視界が塞がれているせいで、その言葉の響きがやけに甘ったるく耳に響く。
「……じ、自分で食べる」
「あかんよ、ゲームのルールやから。ほら、リスナーのみんなも待ってるで?3、2、1……」
強引にカウントダウンを始められ、私は観念してお面を少しずらして恐る恐る口を開けた。
変なものだったら、その瞬間にカメラをなぎ倒してやる。そう固く心に誓いながら。
口の中に、ひんやりとした、滑らかな何かが滑り込んできた。
(……あ)
予想していたような、衝撃的な味ではなかった。
舌の上でとろけるような、濃厚な甘み。
上品なカラメルの風味と、わずかに感じる卵の味。
「……ん」
思わず、お面の下で頬が緩む。
美味しい。文句なしに美味しい。
「はい、保Kちゃん、何食べたか分かるかな〜?」
「……プリン?」
「おっ、正解!さすが甘いものには目がない保Kちゃんやな!」
視界が開けると、保名がスプーンを手にニカッと眩しい笑顔を浮かべていた。
カメラの前だというのに、彼の瞳は真っ直ぐに私だけを見つめている。
その真っ直ぐすぎる視線に、胸の奥がキュンと締め付けられるような妙な感覚に襲われた。
お面の下で、顔がカッと熱くなる。
保名からの『あーん』。そして、リスナー達が見守る前での、甘いやり取り。
まるで、本当のカップルみたいじゃないか。
「……保名、次の問題は?」
動揺を隠すように、私は少しぶっきらぼうに尋ねた。
「おっ、やる気満々やな!よっしゃ、第二問は……これや!」
保名が画面に突き出したのは、見知らぬ和菓子屋の包装紙に包まれた小さな箱だった。
「これはなぁ、俺が実家に帰った時に見つけた幻のいっぴん!保Kちゃんに絶対食べさせたいなー思って、お取り寄せしたんよ〜」
(……幻のいっぴん?)
「ほら、目ぇ閉じて」
再びアイマスクを着用させられ、視界が断たれる。
今度は、保名が何かを私の唇に押し付けてきた。
少し硬い、ザラッとした質感。
「はい、噛んで」
促されるまま、思い切って噛み砕く。
口の中に広がったのは、意外なことに、爽やかな柚子の香りだった。
外側はシャリッとした砂糖の食感。内側はトロッとした濃厚な柚子餡。
甘すぎず上品で、いくらでも食べられそうな、そんな味。
「あ、これ美味しいね!」
「やろ〜!老舗和菓子屋で、よくごひいきにさせてもろて……」
「ありがとうね、保名」
お面越しに、精一杯の感謝を伝える。
カメラの向こうで、リスナー達がどんなコメントを残しているかは分からない。
でも、今はどうでもよかった。
ただ、目の前にいる保名に私の気持ちを伝えたかった。
「……待って。え、今なんて言った?」
ぽかんと口を開けたまま、私は保名の様子をうかがう。
それまでのヘラヘラした余裕のある表情はどこへやら、彼は見事なまでにフリーズしている。目がこれでもかというくらい丸く見開かれていて、手に持ったお菓子の箱がカタカタと小さく震えていた。
私は恥ずかしくなってアイマスクを付け直す。
「ま、待って待って!琴葉ちゃん、もう一回!もう一回言って!目覚ましのアラーム音にするから!!」
「誰が言うか!画面の前で恥ずかしいこと言わせないでよ!」
「えぇ~っ!? 奇跡の一言やったのに~!リスナーのみんな、今の聞いた!?保Kちゃんが俺に『ありがとう』って! 素直に感謝の言葉を口にしたで!?」
コメント欄が一気に流れていく気配を感じる。『保Kちゃんデレた!?』とか『保名くんおめでとう(笑)』なんて文字が画面を埋め尽くしているんだろうか。
「えーっと、なになに。『保Kちゃん可愛いですね』。そうやろ〜!保Kちゃんはほんま可愛いんよ。怒ってる顔も小動物みたいでほんま可愛らしいねん!あ、また生放送で惚気話すわ」