【番外編】元・訳あり男装剣士の初めての舞踏会
最終話「初めての舞踏会」
数日後。
王宮で舞踏会が開かれる、その日の夕刻。
アーデン侯爵家の王都邸では、出発の支度が進められていた。
ベイルは玄関広間で、セレスティアが下りてくるのを待っていた。
王家が主催する舞踏会へ出席するのは、別に初めてではない。
これまでにも、何度となく出席してきた。
必要な挨拶をして。
求められれば、付き合い程度に踊ることもある。
だが。
正直なところ、楽しみにしたことなど一度もなかった。
「お待たせしました」
声がして。
ベイルは、顔を上げた。
「…………」
階段を下りてくるセレスティアを見て。
一瞬。
言葉が出なかった。
淡い色のドレスに包まれた細い身体。
肩を大きく開いたドレスには繊細な刺繍が施され、幾重にも重なる柔らかな生地が、歩くたびに優雅に揺れている。
腰には、淡い色合いを引き締めるように、深い群青色のリボンが結ばれていた。
その色に、ふと目が留まる。
自分の髪と、よく似た色だった。
灰銀色の髪は美しく結い上げられ、白い花と、同じ群青色のリボンが飾られている。
いつものドレス姿とは、まるで違う。
王宮の舞踏会へ出席する伯爵令嬢として。
そして。
自分の婚約者として。
華やかに装ったセレスティアがそこにいた。
黙ったままのベイルの様子に、セレスティアが不思議そうに首を傾げる。
「……どうかしましたか?」
その声に、ベイルは我に返った。
「いや」
一度言葉を切って。
改めて、目の前の彼女を見る。
「……綺麗だ」
「そのドレスも良く似合っている」
セレスティアは、少しだけ目を瞬いた。
それから、嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます」
そして。
今度は、セレスティアがベイルを見つめた。
いつもの騎士服ではなく、今夜のベイルは騎士の礼服に身を包んでいる。
黒を基調とした上衣には、金の刺繍が控えめに施され、胸元には飾緒が華やかに垂れている。
そして胸元のクラバットには、セレスティアの瞳の色と同じ淡紫色の宝石が煌めいていた。
華やかな装いでありながら、それが不思議なほど彼によく馴染んでいる。
鋼色の瞳も。
すっと伸びた立ち姿も。
いつもと同じはずなのに。
今夜は、どこか違って見えた。
「ベイルもとても、素敵です」
「……そうか」
「はい」
セレスティアは素直に頷く。
「とてもよく似合っています」
二人の間に、どこか照れくさいような沈黙が落ちた。
ベイルは、何となく視線を逸らした。
けれど。
すぐにまた、セレスティアへと戻る。
淡い色のドレスに包まれた細い身体。
先ほどから思っていたが。
よく似合っている。
華やかでありながら、彼女らしい柔らかさもあって――。
そこまで考えたところで。
ふと。
ベイルの視線が、止まった。
「…………」
肩から胸元にかけて、大きく開いたドレス。
普段のセレスティアの装いでは、まず目にすることのない肌が露わになっている。
舞踏会の衣装なのだから。
この程度、別に珍しくはない。
それくらいは、知っている。
知ってはいるが。
「…………」
改めて見る。
――いや。
やはり、少し開きすぎではないか。
それが、そのまま口に出た。
「……胸元が開きすぎじゃないか?」
「え?」
突然の思いがけないベイルの言葉に、セレスティアが自分の胸元へ視線を落とす。
「確かに、普段の装いよりは開いていますが……」
「兄様」
すぐ横から、呆れた声が飛んできた。
見ると、同じく舞踏会の支度を整えたエレノアがこちらを見ている。
「これくらい、舞踏会のドレスでは普通ですよ?」
「……それくらい分かっている」
「では、何が問題なんですか?」
「…………」
答えずに。
ベイルは、もう一度セレスティアを見る。
「……何か羽織るものはないのか」
「ありません」
即座に、エレノアが答えた。
「あったとしても着せません」
「なぜだ」
「せっかく綺麗に支度したんですよ?」
「…………」
「これから王宮の舞踏会へ行くのに、どうして隠さなくてはいけないんですか」
「隠せとは言っていない」
「羽織らせようとしたじゃないですか」
「…………」
エレノアは、じっと兄を見た。
そして。
「まあまあ」
楽しそうな声とともに、ライザが口を挟んだ。
「エレノア。そのくらいにしておきなさい」
「でも、母様」
「仕方がないでしょう?」
ライザは、くすりと笑う。
そして。
セレスティアを見てから、ベイルへ視線を移した。
「ベイルも、初めてなのだから」
「……何がですか?」
エレノアが尋ねる。
「こんなに綺麗な婚約者を連れて、舞踏会へ行くのが」
「…………」
エレノアが、納得したように頷いた。
「なるほど」
「何がだ」
「兄様、他の殿方に見られるのが嫌なんですね」
「…………」
「違うんですか?」
「……別に、そういうわけでは」
「では、どういうわけなんですか」
「…………」
言い返す言葉が見つからない。
「兄様、面倒くさいですね」
「……何がだ」
「そういうところです」
「あの」
それまで黙って二人のやりとりを聞いていたセレスティアが、口を挟んだ。
二人が、同時に振り向く。
「他の方に見られるのが嫌なのでしたら――」
セレスティアは、少し考えて。
「舞踏会では、私はなるべく人目につかないところで大人しくしておきますね」
「…………」
「…………」
今度は。
兄妹が揃って黙った。
「いや、それは違う」
ベイルが、慌てて否定した。
「そうです」
エレノアがそれに続く。
「兄様が我慢すればいいんです」
きっぱりと言い切った。
「えっ?……でも……」
セレスティアが、困ったようにベイルとエレノアを見比べる。
「エレノアの言う通りよ」
傍で見ていたライザが、可笑しそうに口元を緩める。
「セレスティアは何も気にしなくていいの」
そしてライザは、ちらりとベイルを見る。
「問題があるとすれば、ベイルの方ですから」
「…………」
その時。
「エレノア様。ベルティエロ様がお迎えにお見えになりました」
使用人の声に、エレノアが振り返る。
「まあ、もういらしたの?」
その表情がぱっと明るくなる。
どうやら、エレノアの婚約者が迎えに来たらしい。
「では、私は先に失礼しますね」
そう言って、エレノアは玄関へと向かって行った。
その姿を見送った後。
「それでは、私たちも先に行くわね」
ライザもそう言って、アーデン侯爵の待つ方へと歩いて行く。
あれほど賑やかだった場が、急に静かになった。
残されたのは、ベイルとセレスティア。
ベイルは、小さく息を一つ吐くと、隣に立つセレスティアを見た。
そして。
そっと、セレスティアへ腕を差し出す。
「俺たちも行こうか」
「はい」
セレスティアが、その腕にそっと手を添える。
その瞬間。
なぜか。
いつもより少しだけ、ベイルの心臓が大きく鳴った。
「…………」
ベイルは、自分の腕に添えられたその手へ、一瞬だけ視線を落とす。
舞踏会など。
これまで、何度も出席してきた。
今さら、緊張するようなものでもない。
――そう、思っていた。
王宮で舞踏会が開かれる、その日の夕刻。
アーデン侯爵家の王都邸では、出発の支度が進められていた。
ベイルは玄関広間で、セレスティアが下りてくるのを待っていた。
王家が主催する舞踏会へ出席するのは、別に初めてではない。
これまでにも、何度となく出席してきた。
必要な挨拶をして。
求められれば、付き合い程度に踊ることもある。
だが。
正直なところ、楽しみにしたことなど一度もなかった。
「お待たせしました」
声がして。
ベイルは、顔を上げた。
「…………」
階段を下りてくるセレスティアを見て。
一瞬。
言葉が出なかった。
淡い色のドレスに包まれた細い身体。
肩を大きく開いたドレスには繊細な刺繍が施され、幾重にも重なる柔らかな生地が、歩くたびに優雅に揺れている。
腰には、淡い色合いを引き締めるように、深い群青色のリボンが結ばれていた。
その色に、ふと目が留まる。
自分の髪と、よく似た色だった。
灰銀色の髪は美しく結い上げられ、白い花と、同じ群青色のリボンが飾られている。
いつものドレス姿とは、まるで違う。
王宮の舞踏会へ出席する伯爵令嬢として。
そして。
自分の婚約者として。
華やかに装ったセレスティアがそこにいた。
黙ったままのベイルの様子に、セレスティアが不思議そうに首を傾げる。
「……どうかしましたか?」
その声に、ベイルは我に返った。
「いや」
一度言葉を切って。
改めて、目の前の彼女を見る。
「……綺麗だ」
「そのドレスも良く似合っている」
セレスティアは、少しだけ目を瞬いた。
それから、嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます」
そして。
今度は、セレスティアがベイルを見つめた。
いつもの騎士服ではなく、今夜のベイルは騎士の礼服に身を包んでいる。
黒を基調とした上衣には、金の刺繍が控えめに施され、胸元には飾緒が華やかに垂れている。
そして胸元のクラバットには、セレスティアの瞳の色と同じ淡紫色の宝石が煌めいていた。
華やかな装いでありながら、それが不思議なほど彼によく馴染んでいる。
鋼色の瞳も。
すっと伸びた立ち姿も。
いつもと同じはずなのに。
今夜は、どこか違って見えた。
「ベイルもとても、素敵です」
「……そうか」
「はい」
セレスティアは素直に頷く。
「とてもよく似合っています」
二人の間に、どこか照れくさいような沈黙が落ちた。
ベイルは、何となく視線を逸らした。
けれど。
すぐにまた、セレスティアへと戻る。
淡い色のドレスに包まれた細い身体。
先ほどから思っていたが。
よく似合っている。
華やかでありながら、彼女らしい柔らかさもあって――。
そこまで考えたところで。
ふと。
ベイルの視線が、止まった。
「…………」
肩から胸元にかけて、大きく開いたドレス。
普段のセレスティアの装いでは、まず目にすることのない肌が露わになっている。
舞踏会の衣装なのだから。
この程度、別に珍しくはない。
それくらいは、知っている。
知ってはいるが。
「…………」
改めて見る。
――いや。
やはり、少し開きすぎではないか。
それが、そのまま口に出た。
「……胸元が開きすぎじゃないか?」
「え?」
突然の思いがけないベイルの言葉に、セレスティアが自分の胸元へ視線を落とす。
「確かに、普段の装いよりは開いていますが……」
「兄様」
すぐ横から、呆れた声が飛んできた。
見ると、同じく舞踏会の支度を整えたエレノアがこちらを見ている。
「これくらい、舞踏会のドレスでは普通ですよ?」
「……それくらい分かっている」
「では、何が問題なんですか?」
「…………」
答えずに。
ベイルは、もう一度セレスティアを見る。
「……何か羽織るものはないのか」
「ありません」
即座に、エレノアが答えた。
「あったとしても着せません」
「なぜだ」
「せっかく綺麗に支度したんですよ?」
「…………」
「これから王宮の舞踏会へ行くのに、どうして隠さなくてはいけないんですか」
「隠せとは言っていない」
「羽織らせようとしたじゃないですか」
「…………」
エレノアは、じっと兄を見た。
そして。
「まあまあ」
楽しそうな声とともに、ライザが口を挟んだ。
「エレノア。そのくらいにしておきなさい」
「でも、母様」
「仕方がないでしょう?」
ライザは、くすりと笑う。
そして。
セレスティアを見てから、ベイルへ視線を移した。
「ベイルも、初めてなのだから」
「……何がですか?」
エレノアが尋ねる。
「こんなに綺麗な婚約者を連れて、舞踏会へ行くのが」
「…………」
エレノアが、納得したように頷いた。
「なるほど」
「何がだ」
「兄様、他の殿方に見られるのが嫌なんですね」
「…………」
「違うんですか?」
「……別に、そういうわけでは」
「では、どういうわけなんですか」
「…………」
言い返す言葉が見つからない。
「兄様、面倒くさいですね」
「……何がだ」
「そういうところです」
「あの」
それまで黙って二人のやりとりを聞いていたセレスティアが、口を挟んだ。
二人が、同時に振り向く。
「他の方に見られるのが嫌なのでしたら――」
セレスティアは、少し考えて。
「舞踏会では、私はなるべく人目につかないところで大人しくしておきますね」
「…………」
「…………」
今度は。
兄妹が揃って黙った。
「いや、それは違う」
ベイルが、慌てて否定した。
「そうです」
エレノアがそれに続く。
「兄様が我慢すればいいんです」
きっぱりと言い切った。
「えっ?……でも……」
セレスティアが、困ったようにベイルとエレノアを見比べる。
「エレノアの言う通りよ」
傍で見ていたライザが、可笑しそうに口元を緩める。
「セレスティアは何も気にしなくていいの」
そしてライザは、ちらりとベイルを見る。
「問題があるとすれば、ベイルの方ですから」
「…………」
その時。
「エレノア様。ベルティエロ様がお迎えにお見えになりました」
使用人の声に、エレノアが振り返る。
「まあ、もういらしたの?」
その表情がぱっと明るくなる。
どうやら、エレノアの婚約者が迎えに来たらしい。
「では、私は先に失礼しますね」
そう言って、エレノアは玄関へと向かって行った。
その姿を見送った後。
「それでは、私たちも先に行くわね」
ライザもそう言って、アーデン侯爵の待つ方へと歩いて行く。
あれほど賑やかだった場が、急に静かになった。
残されたのは、ベイルとセレスティア。
ベイルは、小さく息を一つ吐くと、隣に立つセレスティアを見た。
そして。
そっと、セレスティアへ腕を差し出す。
「俺たちも行こうか」
「はい」
セレスティアが、その腕にそっと手を添える。
その瞬間。
なぜか。
いつもより少しだけ、ベイルの心臓が大きく鳴った。
「…………」
ベイルは、自分の腕に添えられたその手へ、一瞬だけ視線を落とす。
舞踏会など。
これまで、何度も出席してきた。
今さら、緊張するようなものでもない。
――そう、思っていた。