独占愛は夜より深く。
月影が向かったのは、街外れにある小さな別拠点だった。
倉庫よりずっと狭い。
古いマンションの一室を改装したような場所で、外から見ればただの空き部屋にしか見えない。
でも中に入ると、机も通信機器も資料棚もそろっていて、ここがただの避難先じゃないとすぐにわかった。
「とりあえず、ここなら少しは時間がある」
恒一がそう言ってドアを閉める。
碧はすぐにカーテンを引き、伊織は持ち帰った帳簿や記録媒体を机いっぱいに並べ始めた。
私は部屋の隅に立ったまま、その様子を見ていた。
ここまで来てもまだ現実感がない。
兄の死。
月城家。
月影の正体。
全部が重なりすぎて、頭の中が追いついていない。
「座れ」
振り向くと、要が近くにいた。
いつの間にか紙コップの水を持っている。
「顔、悪い」
「そんなに?」
「かなり」
少しも迷わず言われて、思わず小さく笑ってしまった。
こんな状況でも、要は要だ。
水を受け取ると、要は私が座るまでそばを離れなかった。
そのさりげない気づかいが、胸にじんわり残る。
机の向こうで、伊織が淡々と話し始める。
「帳簿の流れはほぼ読めました。複数の会社を経由して、最終的に月城グループ特別管理室へ集約されています」
「つまり、末端じゃなく中枢だな」
恒一が腕を組む。
「ええ。そして白石さんのお兄さんは、その記録を外に出そうとしていた形跡があります」
私の指先が、紙コップを持つ手ごと小さく震えた。
兄は気づいていた。
気づいたうえで、残そうとした。
それがどれだけ危険か知っていたはずなのに。
碧が資料の一枚をひらりと持ち上げる。
「こっちは接触記録。お兄さん、亡くなる一週間前に特別管理室の担当者と会ってる」
「名前は」
要の声が低く落ちる。
伊織が記録を指で追い、短く告げた。
「月城蓮司」
その名前が出た瞬間、要の表情がわずかに冷えた。
私はその変化を見逃せなかった。
「……誰」
静かに聞くと、少しだけ間があいた。
答えたのは要だった。
「俺の叔父だ」
胸がきゅっと縮む。
また月城の人間。
しかも、要に近い血縁。
「特別管理室を実質で動かしてる男だ」
恒一が苦い顔で続ける。
「表にはほとんど出てこない」
「証拠としてはかなり強いです」
伊織が言う。
「帳簿、接触記録、送金番号。この三つがつながれば、白石さんのお兄さんが何を追っていたかもはっきりします」
机の上の資料を見つめながら、私はゆっくり息を吐いた。
兄は偶然巻き込まれたんじゃない。
自分の意思で真実に触れて、消された。
悲しい。
苦しい。
でも同時に、兄が最後まで逃げなかったことが誇らしくもあった。
「……私、知りたい」
気づけば声が出ていた。
部屋の全員がこちらを見る。
「お兄ちゃんが何を見て、何を残そうとしたのか。ちゃんと全部知りたい」
要は何も言わずに私を見る。
その目の奥に、少しだけやわらかい光が宿る。
「なら最後まで連れていく」
低いけれど、はっきりした声だった。
その言葉に、もう前みたいな反発は湧かなかった。
簡単に許したわけじゃない。
でも今は、この人と一緒に真相へ進みたいと思っている。
伊織が今度は記録媒体を確認しながら口を開く。
「映像の一部が残っています。完全ではありませんが、復元できれば接触の証明になるかもしれません」
「時間は」
要が聞く。
「少しかかります」
「やれ」
短いやり取りのあと、部屋にはキーボードの音と紙をめくる音だけが残った。
恒一と碧もそれぞれ持ち場につく。
気づけば、私のそばには要だけが残っていた。
さっきまで人目もあってうまく見られなかったのに、こうして隣に立たれるとまた胸が落ち着かない。
「少し休め」
「休める感じじゃない」
「無理やりでも休ませたい」
そう言って要は、私の持っていた空の紙コップを取る。
それから、ほんの少しだけかがんで目線を合わせた。
「泣きたいなら泣け」
不意打ちみたいなその言葉に、喉が詰まる。
「……まだ泣けない」
「じゃあ、泣けるまでそばにいる」
やさしすぎて困る。
こんなときにそんな顔をしないでほしい。
そう思うのに、目が離せない。
「要」
「ん」
「私、まだ全部は許してない」
「いい」
「でも……信じたいとは思ってる」
言った瞬間、要の目が静かに揺れた。
派手な反応はしない。
でも、その沈黙の中にどれだけの想いがあるのかは伝わってきた。
要の手が、そっと私の髪に触れる。
前みたいな強引さはない。
壊れものに触れるみたいに、やさしい。
「それで十分だ」
そのひと言で、胸の奥が少しだけほどけた。
遠くで碧が小さく笑った気配がしたけれど、今はもう気にならない。
机の上では真相が少しずつ形になっていく。
その一方で、私と要の間にも、壊れそうで壊れない何かが静かに積み上がっていく。
やがて、伊織の声が部屋に響いた。
「復元、きます」
全員の空気が一気に変わる。
画面に映るのは、ぼやけた廊下。
日時表示。
そして、そこに立つ二つの影。
ひとつは、見覚えのある兄の姿だった。
もうひとつは。
「……この人」
息をのむ私の隣で、要の目が鋭く細くなる。
画面に映っていたのは、月城蓮司。
そしてその背後には、もう一人、見知らぬ人物の影があった。
黒幕は一人じゃない。
真相は、まだその先に続いている。
倉庫よりずっと狭い。
古いマンションの一室を改装したような場所で、外から見ればただの空き部屋にしか見えない。
でも中に入ると、机も通信機器も資料棚もそろっていて、ここがただの避難先じゃないとすぐにわかった。
「とりあえず、ここなら少しは時間がある」
恒一がそう言ってドアを閉める。
碧はすぐにカーテンを引き、伊織は持ち帰った帳簿や記録媒体を机いっぱいに並べ始めた。
私は部屋の隅に立ったまま、その様子を見ていた。
ここまで来てもまだ現実感がない。
兄の死。
月城家。
月影の正体。
全部が重なりすぎて、頭の中が追いついていない。
「座れ」
振り向くと、要が近くにいた。
いつの間にか紙コップの水を持っている。
「顔、悪い」
「そんなに?」
「かなり」
少しも迷わず言われて、思わず小さく笑ってしまった。
こんな状況でも、要は要だ。
水を受け取ると、要は私が座るまでそばを離れなかった。
そのさりげない気づかいが、胸にじんわり残る。
机の向こうで、伊織が淡々と話し始める。
「帳簿の流れはほぼ読めました。複数の会社を経由して、最終的に月城グループ特別管理室へ集約されています」
「つまり、末端じゃなく中枢だな」
恒一が腕を組む。
「ええ。そして白石さんのお兄さんは、その記録を外に出そうとしていた形跡があります」
私の指先が、紙コップを持つ手ごと小さく震えた。
兄は気づいていた。
気づいたうえで、残そうとした。
それがどれだけ危険か知っていたはずなのに。
碧が資料の一枚をひらりと持ち上げる。
「こっちは接触記録。お兄さん、亡くなる一週間前に特別管理室の担当者と会ってる」
「名前は」
要の声が低く落ちる。
伊織が記録を指で追い、短く告げた。
「月城蓮司」
その名前が出た瞬間、要の表情がわずかに冷えた。
私はその変化を見逃せなかった。
「……誰」
静かに聞くと、少しだけ間があいた。
答えたのは要だった。
「俺の叔父だ」
胸がきゅっと縮む。
また月城の人間。
しかも、要に近い血縁。
「特別管理室を実質で動かしてる男だ」
恒一が苦い顔で続ける。
「表にはほとんど出てこない」
「証拠としてはかなり強いです」
伊織が言う。
「帳簿、接触記録、送金番号。この三つがつながれば、白石さんのお兄さんが何を追っていたかもはっきりします」
机の上の資料を見つめながら、私はゆっくり息を吐いた。
兄は偶然巻き込まれたんじゃない。
自分の意思で真実に触れて、消された。
悲しい。
苦しい。
でも同時に、兄が最後まで逃げなかったことが誇らしくもあった。
「……私、知りたい」
気づけば声が出ていた。
部屋の全員がこちらを見る。
「お兄ちゃんが何を見て、何を残そうとしたのか。ちゃんと全部知りたい」
要は何も言わずに私を見る。
その目の奥に、少しだけやわらかい光が宿る。
「なら最後まで連れていく」
低いけれど、はっきりした声だった。
その言葉に、もう前みたいな反発は湧かなかった。
簡単に許したわけじゃない。
でも今は、この人と一緒に真相へ進みたいと思っている。
伊織が今度は記録媒体を確認しながら口を開く。
「映像の一部が残っています。完全ではありませんが、復元できれば接触の証明になるかもしれません」
「時間は」
要が聞く。
「少しかかります」
「やれ」
短いやり取りのあと、部屋にはキーボードの音と紙をめくる音だけが残った。
恒一と碧もそれぞれ持ち場につく。
気づけば、私のそばには要だけが残っていた。
さっきまで人目もあってうまく見られなかったのに、こうして隣に立たれるとまた胸が落ち着かない。
「少し休め」
「休める感じじゃない」
「無理やりでも休ませたい」
そう言って要は、私の持っていた空の紙コップを取る。
それから、ほんの少しだけかがんで目線を合わせた。
「泣きたいなら泣け」
不意打ちみたいなその言葉に、喉が詰まる。
「……まだ泣けない」
「じゃあ、泣けるまでそばにいる」
やさしすぎて困る。
こんなときにそんな顔をしないでほしい。
そう思うのに、目が離せない。
「要」
「ん」
「私、まだ全部は許してない」
「いい」
「でも……信じたいとは思ってる」
言った瞬間、要の目が静かに揺れた。
派手な反応はしない。
でも、その沈黙の中にどれだけの想いがあるのかは伝わってきた。
要の手が、そっと私の髪に触れる。
前みたいな強引さはない。
壊れものに触れるみたいに、やさしい。
「それで十分だ」
そのひと言で、胸の奥が少しだけほどけた。
遠くで碧が小さく笑った気配がしたけれど、今はもう気にならない。
机の上では真相が少しずつ形になっていく。
その一方で、私と要の間にも、壊れそうで壊れない何かが静かに積み上がっていく。
やがて、伊織の声が部屋に響いた。
「復元、きます」
全員の空気が一気に変わる。
画面に映るのは、ぼやけた廊下。
日時表示。
そして、そこに立つ二つの影。
ひとつは、見覚えのある兄の姿だった。
もうひとつは。
「……この人」
息をのむ私の隣で、要の目が鋭く細くなる。
画面に映っていたのは、月城蓮司。
そしてその背後には、もう一人、見知らぬ人物の影があった。
黒幕は一人じゃない。
真相は、まだその先に続いている。